米沢 長南の声なき声


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H君のこと
2017年01月29日

 発症率が10万人に1人か2人という難病に罹って十数年、手足・口も動かず、寝たきりになって、長い間闘病生活を続けてきた彼は、初めての教え子だったが、とうとう亡くなった。
 一昨年秋、彼の高校時代のクラス全員に「卒業50周年に寄せて」の手紙に次のようなことを書いたりした。「人は誰しも、それぞれ置かれた境遇や条件の下で、人生が自分に期待し課している目標・課題に取り組み、それを果たして自己満足を得、生きがいを感じる。それが困難で多くの努力を要し、世のため人のために役立つものほど人々から感謝・共感を得られて満足度は高く、あまり努力を要さず、自分のためにしかならないものは満足度は低い。総理大臣やノーベル賞受賞者などと当方のような者とでは、事を為して得られる満足度には天地の差があっても、いずれも自身にとっては、それを(「自分の自己満足のためだ」とか「自分のためではない」とか、意識するとしないとに関わらず)無意識のうちに欲求の充足すなわち自己満足と結びついていることにはかわりないわけある。それぞれが置かれた境遇や条件の下で、自分のできることを目標・課題として取り組むしかないわけであり、当方のように、たとえ世のため人のためには何ら役立たないまるっきり自己満足にすぎないものであっても、それでよいのだと思っており、法や道徳に反しない限り目標は何だっていいのだ。何でもいいから、自分のできることを為し、或は難病で手足も口も動かず何かを為すということはできなくても、(医療介護サポートによって)生きているだけならできるという場合には、ただひたすらそれ(生きること)だけを自分に課せられた目標として専念し、日々それを果たして過ごす、そういう生き方もありなわけだ。
 そもそも人間誰しも、その究極の人生目標は「死ぬまで生き抜くこと」これに尽きる。
 彼は極限ともいうべき状況下で生き抜いて生命を全うしたのだ。彼自身には、臨終までの間、生きていてはたしてどれだけ満足感を覚え生きがいを感じることができたのかなど、本人には確かめようもなかったわけだが、彼の奥さんは、この手紙を送った後、年賀状に「(夫は)何もできないように見えても、生きることができなかった兄弟たちの分もひたすら生き、今けんめいに生きている家族の心の柱となって生き方を示してくれています。『どんな生き方にも意味がある』といつも話しかけています」と書いてよこして下さったのだった。
 彼には頼もしそうな息子・娘さんがおられ、奥さんとこの子らが時々見に来たその顔を(薄目にでも)見、声を聴くのも楽しみだったことだろう。その子らも、彼の命と志を受け継いで、それぞれ日々の生活や人生の目標・課題に取り組みながら精一杯生きていかれることだろう。



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