米沢 長南の声なき声


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現行憲法と自民党式改憲のどちらが安全保障になるか(完成版)
2016年11月26日

 現行の日本国憲法の前文について「(安全を他国民の信頼に頼るとあるが)ユートピア的・非現実的だ」とのこと(自民党の平沢勝栄議員)。
 しかし、この憲法制定当時、日本は、その直前まで世界中を敵に回して、諸国民から見れば、最悪の敵国であり、恐怖の的だった。(国連憲章には、その後も久しく、日本を「敵国」と見なし続ける「敵国条項」が規定されてきた。)この憲法は、そのことを念頭にして前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。」「我らは全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と記した。そのうえで、9条に戦争放棄・交戦権否認を定めたことによって、日本は世界の諸国民にとって、もはや脅威ではなくなったことが明確に示され、これによって諸国民は「日本帝国」の恐怖から解き放たれ(「日本はもう軍事国家ではなくなり、侵略国ではなくなった、この国はもう大丈夫だ」と諸国民から安心・信頼を得られる国となって)、アジア・太平洋地域に平和・安全がかつてなく保障されることになったのである。また我が国の方も、この不戦・平和憲法制定によって、侵略・交戦した全ての国と和睦し、中国・米英仏・オランダ・オーストラリア・ソ連などどの国ももはや敵国ではなくなり、諸国民と善隣・友好・信頼関係を結べる基盤が築かれることになったわけである。
 現行憲法の前文も9条も、このような、当時の現実から発想されているのであって、それをユートピア的だとか非現実的だというのは、まったく的外れというものだろう。
 安全保障の要諦は「敵になりそうな国は懐柔して敵意を和らげ、中立的な国はなるべく親日的にして敵を減らすことにある。(それを、わざわざ敵を作るのは愚の骨頂だ。)」という。(田岡俊次・軍事ジャーナリスト)
 日本が9条を順守し、堅持することによって、世界の諸国民から信頼を得、アメリカだけでなく、すべての国を味方にすることによって安全保障を得る、それをこそ目指さなければならなかったのでは。
 戦後、新憲法を制定して間もない当初は、連合国との講和条約に際しては、ソ連・中国その他を除外してアメリカ等の西側諸国とだけの単独講和と、全ての国々との全面講和という二つの選択肢があって、全面講和を結んで、非同盟・中立を目指すべきだと主張する党派も存在したのである。ところが当時の政府(吉田首相)はアメリカの求めに応じて日米安保条約とセットで単独講和(サンフランシスコ条約締結)に踏み切り、対米従属下に再軍備(自衛隊創設)、米軍駐留と基地提供を認める路線を敷いたのである。
 それ以来自民党政権は、アメリカの核軍事力に頼り、そのアメリカの同盟国・親米諸国とだけ信頼関係を結んで味方にし、ソ連・中国・北朝鮮などの国々を敵(仮想敵国)に回してしまう結果になる外交・安保政策をとり、安倍政権は、集団的自衛権の行使を容認する新たな安保法制を敷いて、その日米同盟体制をさらに強化して軍事対決を構える政策をとっているのである。
 中国・北朝鮮あるいはロシアなど対しては、互いに不信・火種を抱え続け、軍事力を維持・強化し合って対峙している。これが現実なのであるが、そのような軍事対決と日米同盟体制に恒久平和を求めることこそがユートピア的であり、非現実的だろう。
 我が国は不戦・平和憲法を制定したにもかかわらず、非同盟・中立政策は未だかつて実行も取組みも追求さえもしておらず、それらは現実とはなっていないが、それに取組み、実行に着手さえすれば、実現は可能なのであって、それをやろうともせずに、現行憲法をユートピア的だの非現実的だのと言い立てる、その方がむしろおかしいだろう。
 それとも、「安全を他国民の信頼に頼る、なんて、そんなことはせずに、他国民に信頼されようが、されまいが、こっちだって信頼して付き従える国はあっても、到底信頼できない国が厳然としてある。いずれにしても、相手にどう思われようが(疑念・不信感を持たれようが、敵視されようが、警戒されようが)、信頼できる国との軍事協力体制と軍備を盤石にし、信頼できない国から、たとえ、いつ如何なる攻撃をされても反撃・撃退できる一層強大な軍事力や軍事体制を備えることによって平和・安全保障をはかる方が現実的だ」というのだろうか。自国さえ平和・安全が保障されればよいというものではなく、かといって「国際貢献」だからといって他国の紛争地における「住民保護・治安維持・駆付け警護・宿営地共同防護」等を名目にして武装部隊を派遣して軍事介入にもなりかねないようなことをすればよいというものでもなく、全ての国民に恐怖と欠乏のない平和的生存権を保障すべく(非軍事の人道支援・難民支援・食糧支援など)を専心しなければならないのに。
 さて、現行憲法(前文及び9条)と自民党式改憲のどちらが、より現実的で確かな平和・安全の保障になるのかだ。
 中国・北朝鮮・テロが脅威だといって自民党式改憲によって自衛隊を完全軍隊化し、日米軍事同盟を強化すれば、それが逆にこれらの国々に脅威を与え、互いに脅威を及ぼし合って、諸国民の不安・恐怖はいつまでも解消されない結果となるのでは。
 それに、自国や同盟国の軍事力は「抑止力だ」と称して、どんなに強化し、どんなに圧倒的に強大であっても、かつての日本軍の「神風特攻隊」がやったような、ISやアルカイダ或は北朝鮮などのような自爆攻撃を厭わない狂信的な国や勢力には軍事的抑止は効かないのだ。軍事力によって威圧すれば、どの国、どの勢力も大人しくなって平和・安全が保障されるというのは、その方がユートピア的・非現実的だろう。
 特定の国々に対抗して、別の特定の国々と同盟し軍事協力関係を結ぶよりも、現行の不戦・平和憲法に徹して、ASEAN諸国が現に行っているように、世界のすべての国・人民と非軍事の友好協力・信頼関係を結ぶ路線を構築し、その方向に努力を傾注した方が、はるかに賢明なのでは。



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