改憲に最も積極的なのは自民党で、その改憲草案は前文から全条項ほぼ全般にわたって書き換えるもの。それには「天皇は、日本国の元首」と明記、9条の2項は削除して、自衛権を明記、「国防軍」の保持を定め、緊急事態条項や「家族」条項を新設、「すべての国民は個人として尊重」を「人として尊重」と換え、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」などと書き加えられている。公明党は、基本的には護憲だが環境権条項など「加憲」の立場。維新の党は憲法に教育の無償化、首相公選制の導入・国会の一院制・道州制を含む新たな統治機構、憲法裁判所の新設などを盛り込むことを主張。「日本のこころ」の党は、具体的にどの条文をどう変えるかの案はないが、「日本人の手で、ゼロから新しい憲法を作り上げよう」という立場。民進党は党内に護憲派もいれば改憲派もいて立場が曖昧で、自民党草案をベースとすることには反対だが、「現行憲法の足らざる点を話し合う」議論には応じるとしており、護憲(改憲に反対)の立場がはっきりしているのは共産・社民だけ。
安倍首相いわく、「憲法はどうあるべきか。日本がこれから、どういう国を目指すのか、それを決めるのは政府ではありません。国民です。そして、その案を国民に提示するのは、私たち国会議員の責任であります。与野党の立場を超え、憲法審査会での議論を深めていこうではありませんか。」(所信表明演説)、「国民の負託を受けた我々政治家は、そのために知恵を絞り、合意に至る努力を真摯に積み重ねなければなりません。」「まずは憲法審査会という静かな環境で議論を」と。
そもそも憲法審査会は、その改憲を企図する自民党が主導して改憲案づくりのため衆参各院に設置を強行したもの(2007年8月)。
その以前(2000年~)国会には「憲法調査会」が憲法を専門的に議論する機関として設けられていたが、そこでは憲法改正原案の審議はせず、あくまで憲法の「調査」に限られていた。それが、第一次安倍内閣の07年、憲法改正の手続きを定めた国民投票法が成立したのを受けて、この憲法審査会に切り換えられ、憲法や関連法制を調査するだけに止まらず、憲法改正原案を審査する国会の常設機関となった。しかし、(15日付け朝日『いちからわかる!憲法審査会』によれば)最初の約4年間は、国民投票法案の採決を巡る与野党の対立が尾を引いて休眠状態。ようやく議論が始まったのは、民主党に政権が変わった11年秋からで、「天皇制」や「戦争放棄」など憲法の章ごとに議員が自由討議したり、学識者から意見を聞いたりしてきた。それは憲法改正に向けた具体的な議論というよりも、それぞれの議員が自分の憲法観を語る側面が強かった。昨年6月4日の参考人質疑で、3人の憲法学者から安保法案が「違憲」だと指摘され、そこから法案反対の機運が広がったことが政府与党内で問題視され、それ以降実質的な審議はほとんど行われていない。その審議会を安倍首相が再始動させようと促しているわけだ。それに対して民進党の蓮舫代表は「憲法審査会が開かれればしっかりと参加する」と語り、議論には応じる構えだが、どこまで進むのか「先行きは見えていない」という。
審査会委員は衆参それぞれ議席数に応じて配分。改正原案は衆参各院の審査会が過半数で可決し、本会議で3分の2以上が賛成すれば改憲案は発議される。
委員構成は、現在、
<衆院>自民31、民進10、公明4、共産2、維新2、社民1、計50名
<参院>自民23、民進9、公明5、共産3、維新2、希望の会(社民・生活の党の統一会派)1、 日本のこころ1、無所属クラブ1、計45名
憲法審査会での議論―まずは、①現行憲法の前文から11章全般にわたって変えるか、②部分的にある条文だけを変えるか、新条項を追加する(加憲)か―その場合、どこを、どう変えるのか、或はどんな条項を加えるのか、③変える必要も、加える必要もないか、だが、自民党或は「日本のこころ」の党のように前文と103ヵ条全般にわたって書き変えるか、維新の党や公明党のように何か所かに限定して書き変えるか、書き加えるか、それとも現行憲法を全くそのままに留めるか、それらの内どれに落ち着くかといえば、確率的には、一か所も変えず、書き加えずに終わるということはあり得まい。つまり③はあり得ず、何らかの改憲が行われることで決着するものと思われる。
改憲項目の絞り込み―例えば<緊急事態条項を新設して、大規模自然災害や武力攻撃が起きた場合には、首相が「緊急事態」を宣言し、法律と同じ効力をもつ政令を制定でき、それに基づく公の機関の指示に地方自治体も国民も従わなければならないようにする>とか、或は<24条の「家族生活における個人の尊厳や両性の平等」に「家族は、互いに助け合わなければならない」と付け加える>等、反対しにくかったり、異論も少なく合意が得られそうなものから入って、最終的には9条に自衛隊の明記へと進める、といった方向に行く可能性が強い。
議論の末、①か②で、何らかの改憲・加憲事項が「一定の合意に達した」ところで、その改正文案が作成され、それが衆参各審査会でそれぞれ半数以上の出席委員の過半数の賛成で可決すれば、それを(衆院では100人以上、参院では50人以上の議員の賛成を得た上で)憲法改正原案として国会に提出。
それが国会本会議にかけられて衆参各院とも総議員の3分の2以上の賛成があれば憲法改正の成案として「発議」(国民に対して提案)されたことになり、それが国民投票(特別の国民投票または選挙の際に行われる投票)にかけられて有効投票総数の過半数の賛成があれば(最低投票率規定がないため、どんなに投票率が低くても―たとえば投票率40%だったとすると、その過半数55%は、有権者全体から見れば22%。つまり、たった2割台の少数でも)成立することになる。安倍首相は「わが党は独自に衆参で3分の2を持っているわけではありませんから、わが党の案がそのまま通るとは考えておりません。そこで、いかに、その中において我が党の案をベースにしながら3分の2を構築していくか。それがまさに政治の技術といってもいいと思います。」「自民党が草案として示しているように、各党がそれぞれの考えを示したうえで議論し、国民的議論につなげていく」と言って、各党に改憲案の提出を促している。その各党案を憲法審査会に持ち寄って、一つ一つ検討し合い(逐条的に審議)、駆け引き・譲歩・修正し合って合意(半数以上の委員の賛成で可決)にこぎつけ、それを改正原案(発議案)とする(各院の本会議にかけ、3分の2以上の賛成で可決して発議、国民投票において、有効投票総数の過半数賛成で、改憲は実現となるわけだ)。
憲法審査会の各党委員構成と国会両院の議員構成(自民党・改憲肯定派の圧倒的な数)からみれば、自民党主導の下に(その巧妙な「政治の技術」によって)改憲発議案が通る可能性は強く、それを阻止するのは容易ではあるまい。
つまり、改憲には、憲法審査会(過半数可決)から国会(3分の2可決)、国民投票(過半数賛成)へと3段階を経なければならないとはいっても、自民党・改憲派が圧倒的に優勢な現状では、彼らにとっては、いずれもクリアするのに難しいハードルではないということだ。
しかし、このやり方で改憲されるとしたら、自民党・政権党本位の党利党略による改憲ということになり、民定憲法たる国民による憲法改正とはなり得まい。その改憲は、政権を握る自民党などの政権党やその補完政党が、自らのイデオロギーとそれに基づく国政運営・政策推進をスムースに行う上で支障となる憲法の縛りを解くために改憲を必要とし、憲法を自分の都合のいいように変えたいからであって、それは特定の政党本位の改憲ではあっても、国民が真に必要とする国民本位の憲法改正と言えまい。国民にとって憲法が大事なのは平和的生存権などを含む人権保障であり、それが権力による侵害から守られることであって、そのために権力に縛りをかけるというところにあるはず。現行憲法が、その点で(国民の立場から)何か不備があるとか、支障を来たすようになったとか、どうしても変えて欲しいという国民の切実な要求や声があがって、それに答えて、安倍首相や自民党が改憲に一生懸命になっているというわけではないのである。その改憲は、ひとえに安倍首相の執念(自民党総裁の任期を延長してまで、その在任中に何が何でも実現を果たしたいという思い)からにほかなるまい。
「下(国民の立場)からの改憲か、上(政権党の立場)からの改憲か」どちらかといえば、「上からの改憲」であり、それによって国民投票が行われるとすれば、(ヒトラー流の)「上からの(政権党主導による)国民投票」ということになる。
「憲法はどうあるべきか」といえば、それは「憲法は国民の人権を保障し守るために権力を縛るためのもの」であるべきはず(立憲主義の考えで、現行憲法99条には「天皇又は摂政及び国務大臣・国会議員・裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」として、権力に関わる者たちに、憲法に違背することなく、きちんと守り従うべしと定めている)。ところが、それに対して「日本国民はかくあるべきだと(責務を)定め、国民をも縛る(人権に制約を加える)ものであるべきだ」(憲法尊重擁護義務を負う者の中から「天皇又は摂政」を外したうえ、「全ての国民はこの憲法を尊重しなければならない」と付け加えている)というのが自民党の憲法観であり、同党の改憲草案はその立場で「日本国民は国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」とか、「国民は国旗及び国歌を尊重しなければならない」、「自由及び権利には責任と義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」、「家族は、互いに助け合わなければならない」などと書かれている。自民党はそのような草案を憲法審査会における改憲案づくりのベース(たたき台)とすべく提示しているのだが、そのような立憲主義に反する改憲案は、そもそも無効であり、取り上げられるべき筋合いのものではあるまい。(尚、その後、自民党の保岡憲法改正推進本部長は、同党の改憲草案は、民進党などが求める撤回はしないものの、「草案やその一部を切り取ってそのまま審査会に提案することは考えていない」と表明している。)
国民は日本を「日本がこれから、どういう国を目指す」べきだと切望しているのか。国民は、現行憲法が目指してきた「不戦平和国家」、「自由・平等の民主主義国家」、「人権尊重国家」を変更・転換して、「戦争できる国」「人権を制限できる国」「国民を統治し易い国」になるように改憲を切望しているとでも思っているのか。
「その案(改憲案)を国民に提示するのは国会議員の責任」だが、「決めるのは国民」だという。それは、手続き上はその通りで、憲法のどこをどう変えるか改憲の内容を決定して提案する権限(発議権)は、国会にだけあり、一般国民が直接発議することはできない(たとえどんなに一生懸命考えてまともで素晴らしい改憲案を思いついたとしても、一般国民はそれを直接発議することはできずない)。国民はただ国民投票で国会が発議した改憲案にイエスかノーか投票するだけなのだ。
しかし、「国民の負託を受けた我々政治家」とはいえ、改憲を主たる争点とはせずアベノミックスや景気対策などのような他の諸々の争点で行われた国政選挙で当選し多数を制したからといって、国民が切実に求めてもいない改憲を自らの都合で「政治の技術」(手練手管)を弄して、それを強行しようとする彼ら政治家の、そのような術策に国民は乗せられてはなるまい。現行憲法は、敗戦に伴う戦勝国による占領下で、日本の民間憲法草案と合衆国憲法ほか世界各国の憲法を参考にして作られたGHQ草案から発し、日本を民主化し軍国主義が復活することのないように、(悪く言えば)「戦勝国の都合のいいように」作成された憲法とはいえ、国会(当時の帝国議会)で審議し、日本人の発案による修正・追加が加えられて成立したものであり、それを国民が受け入れて70年にわたってすっかり定着してきたもの。改憲を望んできたのはアメリカ(朝鮮戦争に伴い、日本に9条の改定と再軍備を求めてきた)と、自民党などの右寄り政治家や歴史修正主義論者(それに同調する「草の根」団体と称する「日本会議」)、それに読売・産経など一部のメディア。それら以外には、国民の間に改憲を切実・積極的に求める向きはほとんど見られないのだ。
メディアは世論調査で、憲法を「改正する方がよいか否か」とか「変える必要があるか否か」、9条を「改正する方がよいか否か」「変える必要があるか否か」と問い、問われた市民がそれに対して「改正する方がよい」「変える必要がある」か「改正しない方がよい」「変える必要はない」か「どちらともいえない」と回答するだけ。(国民は、世論調査で、このように訊かれて答えるだけで)国民のほうから積極的に「かくかくしかじかの理由で、ここをこういうふうに、是非とも変えるべきだ」と声があがり、大きく盛り上がっているわけではないのだ。但し、安倍首相や国粋主義系・歴史修正主義系の論者に同調する「日本会議」などの存在(最近活発な動きを見せ、クローズアップされるようになったが、その議員連盟があり安倍首相はその特別顧問)はあるが。尚、上記のメディアの改憲についての世論調査では、
NHK(5月2日)改正、必要あると思う27%、ないと思う31%
読売(3月16日)改正する方がよい49%、しない方がよい50%
朝日(5月2日)改正必要37%、不要55%
毎日(5月3日)改正すべきだと思う42%、思わない42%
産経・FNN(6月20日)改正に賛成43.3%、反対45.5
日経(5月3日)改正すべきだ40%、現状のままでよい50%結論―現下における焦眉の問題は、憲法をどう変えるかではなく、反立憲主義(憲法のねじ曲げ、或は破壊)の動向を阻止し、改憲を阻止すること。それに改憲ありきの憲法審査会も進行(改憲原案づくり~採決)は阻止して然るべきなのでは(そこで可決してしまったら、国会本会議でも「なんなく」可決して発議、あとは国民投票で承認へと、とんとん拍子に行ってしまうのだから)。