米沢 長南の声なき声


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軍事力による平和・安全はむしろ非現実的
2016年09月27日

 9月25日朝日の声に掲載された「抑止力保持が現実的、改憲必要」という投稿について。投稿者は以前スーダン大使などを務めた実体験からだろうが、世界には「自国の利害から外交の意義を認めない国もあり」、「『武力を背景に相手国を屈服させるのが国益』と考え」、「武力行使も辞さない」という国や勢力が存在するが故、(外交努力と相まって)軍事力と同盟国の抑止力によって自国と国民の安全を確保する、それが現実だと論じておられる。
 しかし、歴史的現実にはそのような実態が見られるとしても、それを固定化して「そういうものだ」と決めつけて、「だから、今まで通り、そうする以外にないとか、そうするのが最善の方法だ」と、現状(自衛隊とその装備・予算規模、日米同盟、新安保法制、それらを合法化する改憲)を合理化し、それにばかりこだわって(固執し)、そこで思考停止するのは如何なものか。「そうあってはならないのだ」と、現状を打破して理想(「核なき世界」はもとより「あらゆる兵器のない、戦争のない世界」)に向かって突き進もうと突破口(現行憲法9条こそがその突破口)を切り開く思考の発展とその実現努力があって然るべきなのでは。
 それに、今では、中東やアフリカにおける武力抗争や各地でのテロ、北朝鮮の核・ミサイル開発等々、列強諸国がどんなに強大な軍事力を保持し、それを活用あるいは背景にして制裁圧力を加えても、平定・抑止できていないことも、厳然たる事実である。このような現実を見れば、強固な軍事力と同盟国を保持すれば、それによって平和・安全が実現し保たれるという、その方がむしろ幻想なのではないか、と思われる。
 改憲して自衛隊を戦力として交戦権も認め、参戦や海外派兵が公然と認められるようにすれば、抑止力が強まって、北朝鮮も中国も武力による威嚇や攻撃はできなくなるなどという、そんな保障はあり得ず、それはかえって軍備増強を促す可能性のほうが強い。これらの国に対応するには、現行憲法9条原則を守って不戦態度に徹し、(国境警備・監視活動以外の)軍事対応は控えるようにしてこそ、北朝鮮など相手を外交協議に引き込めるというもの。それが現実なのでは。


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