米沢 長南の声なき声


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真の勇気とは
2016年06月13日

 「勇気」といえば、モハメッド・アリの勇気こそ真の勇気なのでは。彼の勇気は二通りある。一つは「闘う勇気」、それはリングで競技者として闘う、その勇気に加え、アメリカ社会で人種差別などと(前の名前カシアス・クレイはかつての奴隷主の付けた名前だとして、宗教もイスラムに改宗してモハメッド・アリと改名してまで)闘う勇気、引退後はパーキンソン病という難病と闘う、その勇気。もう一つは「戦わない勇気」、それはベトナム戦争に際して徴兵拒否し、投獄され、世界タイトルを剥奪され、バッシングをあびながらも、屈しなかった。いわく「俺はあいつらベトコンたちに何の恨みもない。あいつらは俺をニガー(黒人)とは呼ばない。彼らと戦う理由などどこにある?」「金持ちの息子は大学に行き、貧乏人の息子は戦争に行く。そんなシステムを政府は作っているんだ」と。
 湾岸戦争では、病をおしてバグダードに赴き、サダム・フセイン大統領と面会・交渉して、捕虜にされていた米国人15人の解放にこぎつけ、連れて帰った。
 オバマ大統領に彼のような勇気「戦わない(戦争しない)勇気」「自分が生きているうちに、核兵器のない世界を(ロシアやイラン・北朝鮮に削減・放棄せよと言う前に自ら率先垂範して)実現する勇気」があったなら・・・・・。但し、それにはリンカーンのような憂き目にあう悲壮な覚悟・「決死の覚悟」をともなうだろう。なにしろ、この国は市民にさえ銃規制ができない国なのだから。
 しかし、その勇気はアメリカの大統領にだけ求められるものではなく、当の我々日本国民にこそ求められるのだ。それは「戦争をしない勇気」!
 サムライ・日本人の勇気とは、刀を振りまわし、或いは特攻(体当たり自爆攻撃)にうったえ、武力や同盟国の力に頼って相手に立ち向かうような、そんな勇ましさではあるまい。それらはむしろ向こう見ずか臆病者のやること。幕末の旗本で西郷隆盛らと談判して江戸城を無血開城させた山岡鉄舟(無刀流で知られる)や勝海舟(新渡戸稲造の『武士道』に、彼は「刀をひどく丈夫に結わえて決して抜けないようにして、人から斬られてもこちらは斬らぬという覚悟であった」と書かれている)のように、度胸・気力(胆力)で相手に立ち向かえる日本人こそが真のサムライなのではあるまいか。


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