米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


2016年04月20日

5月のつぶやき                                  8654
●ボタン→ツバキ→シャクナゲ と、次々と咲いては散って、サツキ、テッセンにシャクヤク、そして、いよいよバラが白・赤・黄色と咲き出して香をはなっている。おかずは連日山菜、田植えはもう終わりかかっている。当方は、それを眺め、戴くだけのことだが。(花植え、山菜取りは専ら女房、田植えは近在の農家)
●日本国憲法の前文と9条に節(曲)を付けた歌を英語で憶えようと試み、口ずさんでいる。♪We, the Japanese people・・・・・resolved that never again shall we be visited with the holler of war through the action of government. ・・・・. We・・・・・♪「我ら、日本国民は・・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し・・・・。我らは・・・・」そうだ、主語は“We”我ら国民なのだ。この憲法は国民のものであり、それを天皇や総理大臣その他の大臣、国会議員その他の議員・裁判官・公務員に守らせるものなのであって、彼らに従わせるものなのだ。そのことがあらためてよく解った気になる。
 それを独りで歌って自己満足。それにしても、準万国共通語の英語でなら世界中の人々が、そんな憲法の歌で、日本人のポリシーが分かろうというもんだろう、(日本国憲法を英語の歌にする)そんなこともあって然るべきなのでは、とも思うのだが、そんなの夢想・たわごと?
 いや、当方には、「核なき世界」などと言いながら、自分たちはいつまでも核「抑止力」にしがみついて放棄しようとはせずに、特定の小さな国にだけ放棄せよと言い立てて、もっともらしく、したり顔で世界のリーダー気取りに振る舞っている、彼らの言葉のほうこそ、実現不可能な「たわごと」に聞こえるよ。
 彼らにはノーベル平和賞を受ける資格はなく、日本の憲法9条に背を向けている連中は論外として、9条を守り活かそうとして一生懸命頑張っている国民・市民にこそ、それに値する資格ありというもの。
 さて、皐月の最中の田んぼ道を歩きながら歌ってくるか。♪We the Japanese people・・・・・♪ (このほうは、罪にも何にもならない自己満足)
●浪江には米沢革新懇の方々と、南相馬の元漁師で小高区の自宅から同市の他地区へ避難中の志賀勝明さんのガイドで行ってきた。
●銚子には元同僚と行って、あちこち見学してきた。
●田んぼでは耕運が始まった。トラクターの響きで、こちらの大声もかき消されて運転者には聞こえはしまいが、歌って歩くのもちょっと気が引ける。♪日本国民は・・・・♪♪飲んで 飲んで 飲まれて 飲んで・・・・♪♪花は 花は 花は咲く・・・・♪。農家にとって問題のTPPも、日本国憲法に触れる部分が多々あり、なんだろうが。
●我ながら「憲法オタク」という感じだが、日本中で日本国憲法前文の全文に節を付けて歌っているのは他にいるだろうか。(きたがわてつは前半は朗読で後半に節を付けて歌っているが。)今日も田んぼ道で歌ってきた。♪日本国民は・・・・・♪ 大声で、「歌のつぶやき」だ。中曽根元首相の「憲法改正の歌」などに負けてなるものか。
 三浦こう一の♪桜の園よ さようなら♪ 木下忠司・若山彰の「惜春鳥」「喜びも悲しみも」(♪おいら岬の 灯台守は・・・♪)も歌ってきた。
●17世紀の思想家(「人間は考える葦」で有名な)パスカルは「人が熱中する仕事も学問も遊戯もみな、『自分』という存在の空しさに向き合わないで済むよう、意識をたえず他のものへと散らしておくための『気晴らし』にすぎない」と書いているそうだ。仕事も学問も遊戯もみな「『気晴らしに』にすぎない」というのは、どうかなとは思うが、当方が常々思っている言葉に置き換えれば、そこは(仕事も学問も遊戯も)「自己満足にほかならない」となる。それが「自己実現」ともなれば「空しさ」どころか「充分満足」というものだろう。しかし「仕事」が人工知能・ロボットで間に合うようになれば、そこは自己満足も自己実現も得られない「空しさ」に変わることになる、ということか


ホームへ戻る