米沢 長南の声なき声


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脅威の現実直視とは
2016年04月19日

 先般、「安保法反対派は現実を直視して」という投稿があった。「日本は、中国や北朝鮮などの現実にさらされているのが現実」、「テロの標的になる危険も」、「野心を持った国や勢力」「悪しき心を持った暴力性のある国や勢力に日本が狙われたとき」などと、脅威は専ら彼の国や勢力にしかなく、日本や同盟国アメリカ側は被脅威国で、「悪しき心」や「暴力性」とは無縁の国であるかのように論じているが、彼の国の方では日米をどう見ているのか、その方は度外視している。
 現実直視は一方的・一面的であってはならず、自らをも省み、日米同盟や核大国なども含めた世界の軍事的・経済的脅威の現実を互いの相関関係で見なければなるまい。
 現実の脅威は、むしろ互いに相手を脅威視して「抑止力」と称して軍備を構え、増強しては軍事的に対峙し、いつ衝突・暴発するか分からないという状況にこそあるのではないか。そしてその現実に対応するに、解釈改憲から明文改憲をも伴う軍事的な安保法制の拡充・整備を以てするというのでは、その脅威はかえって増すばかりであり、むしろ平和憲法を堅持して脅威を解消する方向に現実を変えるところにこそ焦眉の課題があるのではあるまいか。


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