米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


海外で殺し殺される事態になったら、どうなるのか?―新安保法制
2016年01月20日

 PKOは派遣先(ガバナンスが効いていない紛争地)で、従来は停戦がなされた後に中立性を確保したうえで道路・橋などインフラ整備、学校建設など人道復興支援に限定。それが今度は(安保法で)治安維持・住民保護のため巡回・監視・検問・警護なども新たに任務―危害・妨害に対して応戦・制圧する戦闘を伴い、他国部隊への加勢(「駆付け警護」)も。
 武器使用は、従来は「正当防衛・緊急避難」など自己保存・武器等防護に限定も、今度はそれらを超えて「任務遂行」(応戦・制圧・妨害排除)のためにも使用へ。
部隊行動基準(ROE)―その都度(その場その場の事態の展開によって)変わることに。(「やられる前にやりかえす」―例えば無人機ドローンを用いた攻撃に対しては、それをスマートフォンで誘導・操作していると、スマホなどを所持して人物をテロリストだと見なして彼らを先制攻撃として、いきなり攻撃する等。)
 普通の軍隊ならば、化学兵器・細菌兵器など使ってはいけない、住民を殺してはいけない、レイプをしてはいけない等ネガティブリスト(やってはいけないこと)だけを指定して、それ以外は全てやっていい(現場の部隊長の判断で)ということ。
 空爆なども、初めから病院や学校などを(国際人道法違反になるので)攻撃対象にしてはならないが、戦闘行動中の誤爆は「しかたなかった」で済まされる。流れ弾が民間人に当たってしまったという場合も「しかたなかった」として済まされ、罪には問われない。
 しかし、自衛隊は(9条で交戦権が否認されていて)警察部隊と同様に非軍隊なので(我が国に対する急迫不正の侵害に際してそれを排除するに足る必要最小限の実力行使しかできないというポジティブリストで運用)、海外では国際人道法(ジュネーブ条約・ハーグ条約など)の適用外で、単なる武装集団と同列に殺人罪で裁かれることにもなるし、帰国した日本でも刑法の国外犯規定に業務上過失致死傷の適用はなく、司法判断しだい。日本国憲法下では軍事法廷(軍事裁判所など)は存在せず、そのようなところで特別扱いして裁くようなこともない。
 海外の戦闘地域や紛争地など派遣先で撃たれて死んだら?―戦死(「2階級特進」)・公務死(殉職・「1階級特進」)どっちとも決められてはいない。
 防衛省職員団体保険に加入しているが、戦闘行動で死んだら?―保険はおりない。
(国外で防衛出動の命令を受けた自衛隊員は、これらの不合理・不都合で、危険を被り、そのうえ不利益を被る自衛隊員が、その出動命令や職務上の命令に応じなかったりした場合を考えて、今回、自衛隊法改正で「国外犯処罰規定」が新設されている。)

 こうしてみると、自衛隊員は海外に派遣されて殺し殺される事態になると様々不都合・不合理が生じる。要するに現行憲法には(自衛隊はあっても軍隊ではないので)自衛隊員が海外で殺し殺される事態など想定されてはいないのである。
 ならばいっそのこと自衛隊は改憲(9条2項を削除し、「国防軍」や「自衛軍」などと明記)して正式に軍隊としたらいい、と考える向きもあろう。
 しかしそれは、我が国に対する急迫不正の侵害に際してそれを排除するに足る必要最小限の実力を行使するために設けられている自衛隊を国外にまで差し向けて他国民を殺し自国民が殺される事態に至ることを、先の大戦で国の内外に未曾有の悲惨をもたらした戦争の惨禍を二度と繰り返すまい(あんなこと再び繰り返すなんて御免だ)と決意して現行憲法の前文に誓った歴史的民族的誓いを今になって忘れ去り、肯定してしまうことにほかなるまい。

 新安保法ひいては9条改憲によって自衛隊員が海外で殺し殺される事態に至るようなことは、あくまで避けなければなるまい。

 <参考>①「マスコミ市民」’16年1月号―特集『安倍政治を問う』―井筒高雄・元陸上自衛隊レンジャー隊員へのインタビュー記事―それによれば、自衛隊には定年まで勤める隊員(いわば「正規隊員」で「職業軍人」)と任期(陸自は1任期2年、海自・空自は1任期3年)まで勤める隊員(いわば「非正規隊員」)とがある。陸自隊員14万人のうち、戦闘行動に耐えられる(訓練によって、反射的に銃を向けて良心の呵責なく躊躇なく撃てる)隊員は約5,100人くらいなものだと。レンジャー教育では、戦闘訓練だけでなく、斥候・爆破・襲撃・暗殺・情報収集・スパイ活動・不審人物の口を割らせる(拷問)方法・捕虜になった時に口を割らないこと等、すべて行われる(それらに伴う死亡事故は折込み済み)、とのこと。
 ②「世界」同1月号―杉田敦・法政大法学部教授「憲法九条の削除・改定は必要か」―杉田教授は、憲法の9条は、13条(幸福追求権)・21条(表現の自由)・5条(生存権)などと同様で、文字通り(文理解釈して)実施さるべき準則ではなく、理念を実現していく方向性を示す原理として定められているもので、安全保障政策を方向づける方向性―諸外国にあるような軍隊は持たず、軍事的な権力は行使しないという方向性―を定めたものだとしている。したがって解釈に幅があるも、その範囲には限りがあるのは当然である。その範囲を越えているか否かの判断するは法律の専門家(裁判官や内閣法制局も含めた法曹・学者)であり、大多数の法律家は、集団的自衛権の行使容認は(限定的とはいえ)その範囲を越えている、としている。


ホームへ戻る