米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


日米安保条約の事実上改定こそ根本問題―15年安保(加筆)
2015年08月25日

 集団的自衛権の行使容認を伴う安保法案だが、これによって日米安保条約の内実ががらりと変わるところに問題の核心があるのでは。
 この条約は、そもそも、大戦後の米ソ冷戦期に、アメリカが日本を自陣営に確保して、有事に際する前進基地・補給基地として利用するために、国連憲章で合法化した「集団的自衛権」に基づいて結成され、その後、共同防衛義務を定めはしたものの、日本は憲法で集団的自衛権の行使は認められないとの憲法解釈で、共同防衛は米軍基地を含む日本領域内だけに限定され片務的なものにならざるを得ず、中途半端だった。それを今回、憲法解釈の変更で集団的自衛権行使を(「三要件」付きではあるがその当てはめは政府の判断しだいで)容認することによって、自衛隊は米軍の支援要請に応じて、日本の領域外でも共同防衛に携わることができるようになり、双務性が強まって、日米安保条約は完全に軍事同盟化する(安倍首相の言葉で「日米同盟は完全に機能」できる)ようになる。
 日本は米軍の為に基地を提供しているのに、その上なおかつ、自衛隊は世界のどこへでも行って米軍に支援協力しなければならなくなる、ということである。
 集団的自衛権の行使を日本にも課することを期待しそれを前提として結成された日米安保条約だが、その条約が先にあって、それに合わせて憲法解釈を変更、即ち実質改憲をしてしまう。そのようなやり方が許されるのか。またこのような軍事同盟がこの日本に許されるのか。この日米安保条約の存在こそが根本問題なのではあるまいか。

 <加筆>3日朝日新聞に山口・元最高裁長官の「集団的自衛権行使は違憲」というインタビュー記事が出たが、その中で日米安保条約について触れていたので、その部分を抜き書き―「腑に落ちないのは、肝心かなめの日米安全保障条約についての議論がこの間、ほとんどされていないことだ。条約5条では、日本の領土・領海において、攻撃があった場合には日米共同の行動をとるとうたわれている。米国だけが集団的自衛権を行使して日本を防衛する義務を負う、実質的な片務条約です。日本が米国との関係で集団的自衛権を行使するためには、条約改定が必要で、それをしないで日本が米国を助けに行くことはできない。」


ホームへ戻る