米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


2015年08月24日

8月のつぶやき
                                                     7716
●朝日川柳「『申し訳程度にチラとデモ映し』―安保法案反対で最大規模でもNHKは」と。”みなさまのNHK”というが「政府広報のNHK」だってことよ
●今日は小雨の中、傘をさして集会・デモ。シュプレヒコール「・・・・はんたーい! ・・・・撤回しろー! ・・・・は国民の声を聞けー! ・・・隊員を戦争で殺すなー! 若者を戦場に送るなー!」と皆に合わせて叫んできた。喉がいまいち、声に濁りが…田んぼ道で歌ってもっと鍛えねば。集会でボーカル-バンド・グループが歌ってた「教訓1」(加川良作詞・作曲)という歌のことを主催者代表が挨拶の中で紹介していた、それが印象に残って、ネットで調べて動画を聴いてみた。「命は一つ 人生は一回 だから命を捨てないようにネ・・・・・死んで 神様と言われるよりも 生きてバカだと言われましょうよネ・・・・」 よ~し 憶えて、田んぼで歌ってみよう
●この辺りでは一番最後の盆踊り(20日)が終わったとたん、めっきり涼しくなり、残暑のないまま、♪今は もう秋 誰もいない海・・・・♪
 今日は 午後、 デモクラTVのいつもの政治トーク番組も終わり、新聞も要所を一通り読み上げたところで、雨は晴れ止んだので、田んぼ道ははずしてアスファルト農道を歩き♪花は 花は 花は咲く・・・・♪ やおら「いい声だね」と後ろから、散歩姿の叔母タリアン。一瞬トーンダウン、小さく咳払いしながら、脇によけてやり過ごした(やれやれ)。間もなく田んぼ道へそれて、もう聴こえまいという辺りから再び歌いだした。♪私は 何を 残しただろう♪
●ブログは自己満足。「だったら日記帳に書くだけでいいようなもので、それ以外に何の意味もないのでは?」と。
 このブログの存在を知らず、或いは(毎年、当方が出している年賀状に付記されているのを見ている人は)知っていても、こんな当方のブログなんかに興味関心のない人は見てはくれないわけで、結局ほとんどは自己満足で終わっている、とは言える。
 ただ、人々から多少とも呼んでもらうことを期待して発信しているメッセージではある。或いは子や孫どもには、これが遺言のようなもの。父・祖父はこんなことを考え、望んでこの世を生きたんだとか、その生き様の一端がそこに見て取れるだろうからな。
 このブログに文章と写真を載せる過程で、新聞・テレビ・ネット・月刊誌その他文献から情報をあさり、思考を巡らして文にまとめ、写真を撮ってきて取捨選択して取り込むなど、脳と指先を使う一仕事だ。キャッチしてくれる人は極くわずかでも、発信し続け、己の存在の証としてそれが残り続ける(消去しない限り)。たとえ自己満足ではあっても、空しくはないのだ(なんて自分に言い聞かせる)。
●今日はクリスタル・キングスの「大都会」に挑戦してきた。♪ああ はてしない 夢を追い続け~る ああ いつの日か 大空駆け巡る~ 裏切りの言葉に 故郷を離れ わずかな望みを 求めさすらう 俺なのさ・・・・♪ 2オクターブの音程差。美空ひばりの「川の流れのように」も同様だ。加山雄三の「君といつまでも」も唱ってきた。田んぼ道で。
低音から高音まで、けっこう声が出るようになったな
●兄弟。小1と中3。テレビの前で、寝ころがってテレビを見ている兄の頭のうしろで、婆々に寄りかかりながらボールをもてあそぶ弟に「うるさい!」。ころがったボールを取り上げた兄に「返して!」。兄の身体にのしかかって手からボールを取り返そうとするも、掴んで離さない。弟が「このやろう!」とわめき立て、兄が婆々からたしなめられてやっと手放したそのボールを、泣きわめきながら兄の頭に投げつけ、それが命中。兄が立ち上がって追いかける。逃げる。二人を婆々が追いかける。「痛い、痛い!」・・・・
われ思う。「戦争ってこうして起こるんだな」と。兄弟喧嘩はボールと素手でだけで済みはしても、力の非対称なものどうしでは、小さい方が仮にバットや何か危ないものを振りまわして血を見る、といった事態にエスカレートしかねない。目を離せないな!危ないものを置いておけないな・・・・武器・兵器・基地・武力行使を合法化する安保法制なども
●8月9日、70年前のこの日、ピカ・ドンがもう一発、長崎に。♪ 我が魂は この土に根差し 決して朽ちずに 決して 倒れずに・・・・・涼風も 爆風も 五月雨も 黒い雨も・・・・葉音で歌う 命の叫びを ♪(福山雅治作詞・作曲『クスノキ』)
●川柳 一句 「若いのに 高速逆走 安倍チルドレン」
もう一句「メリケンの傘で風切るサムライとは これ如何に」
●また8月が来た。70年目の8月だ。
●ピカ・ドン、あれから70年目の8月6日が来た。米沢市役所の敷地内に6年前植樹された「被曝アオギリ2世」(広島で被爆して生き残ったアオギリの種から育てられた苗木を広島市から譲り受けて植樹)の前に集まって、市長、市議会副議長らとともに黙祷・・・・原爆許すまじ ! No more Hirosima !
DSCN0670.JPG
DSCN0676.JPG
DSCN0675.JPG

DSCN0654.JPG
                       芙蓉
DSCN0589.JPG
                     カサブランカ                      
DSCN0585.JPG
                     ガラスに孫の落書き


ホームへ戻る