安倍首相の安保関連法案に賛成という人たちは、中国や北朝鮮などに対して、不信感と脅威イメージが先行して「いつか攻撃をしかけてくるかもしれないから、守りを固めなければならない」、だから、そういうものは『抑止力』としてあった方がいいんだという考えなのだろう。
しかし、そもそもこれらの国が日本に軍事攻撃をしかけてくる(可能性―攻撃能力は持ったとしても、メリットと意志の有無からいって)蓋然性(必然性)は、はたしてあるのだろうか。
相手のことを考えれば、おそらく向こうも(同様に)、日米同盟強化と日本の軍事大国化に対して脅威・警戒感もち、自らの軍事的抑止力の強化にこだわり、遅れをとるまいとやっきになっているのだと考えられる。軍事的抑止力には、それに頼るあまり、「やるならやってみろ、受けて立つ」とばかりに強気になって対決姿勢になり、話し合い、交渉、歩み寄りには応じなくなるという難点もある。
お互いにそれでは、さらなる軍備強化、軍事対決に傾き、偶発的な軍事衝突から戦争に発展する危険性が高まるばかりだろう。
「お互い軍事でいがみ合うようなことはやめにして、問題はあくまで話し合いで解決するようにしよう」と呼びかける。そしてそれをこちらから率先垂範。それこそが憲法に不戦・平和主義を掲げる我々日本国民の立場なのではないだろうか。