米沢 長南の声なき声


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軍事的抑止力と9条抑止力のどちらか
2015年06月26日

 集団的自衛権の行使容認も安保法整備も、目的は戦争するためではなく、「抑止力を高める」ためだという。しかし軍事的抑止力が機能する(効果をあげる)には、それを運用・行使する意思(戦争の覚悟)を必要とする。その意思・覚悟がともなわなければ、物理的・システム的「備え」ばかりでは「張り子の虎」に過ぎないことになるからである。その意思とは戦争になってもしかたないという覚悟であり、戦争を容認するもの。
 それに対して9条抑止力は「戦争をしない、させない」と決意して、戦争をあくまで拒否するものである。
 軍事的抑止力は軍事力(組織・兵器・同盟協力体制など)をいかに強固に整えても、その武力を行使する意思(国民には全面戦争をも厭わない覚悟)が伴わなければ(「どうせ張り子の虎」に過ぎないと見透かされて)機能しない(抑止効果は働かない)。逆に、軍事力は兵器や装備などはるかに劣っていても、国民の戦意(覚悟)が強烈ならば抑止力を発揮する(たとえばベトナム戦争ではアメリカは敗退したが、それは、アメリカ軍はベトナム軍に対して軍事力では「象と蟻」ほど圧倒的に優勢のはずなのに、戦意の点では逆にベトナム軍の方が圧倒していたからだろう。ベトナム人民には民族解放を求めてやまない強烈な気概があったのにひきかえ、アメリカ国民には厭戦・反戦気分が広がっていたのだ。北朝鮮に対してはアメリカといえども、た易く手出しはできないのだ)。
 しかし、抑止力には不戦意思(戦争反対の意思)を前面に掲げ、自国政府や軍に戦争や武力行使をさせないことを内外に宣明することによって、隣国にも、たとえ係争はあっても軍事攻撃・武力行使は控えるようにさせ、諸国にも戦争反対を訴え、呼びかけることによって戦争を阻止するという非軍事的抑止力があるわけであり、それこそが我が国の平和憲法であり、諸国にその平和原則を広めることによってそれを国際化し、国際反戦世論を形成する、それが大きな抑止力となる。
 (日本国憲法には9条の「戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認」だけでなく、前文に「諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持」「政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務」とあるが、正にこれを普遍的な原則として世界に広めるのである。)
 さて、抑止力には軍事的抑止力と非軍事的抑止力の二通りがあるが、そのどちらを選ぶか、優先するか、それは国民次第であるが、国民の意思として軍事的抑止力(中国・北朝鮮などとは全面戦争も厭わない覚悟に裏打ちされた強固な軍事力)を選ぶか、それとも日本国憲法(前文と9条)の平和原則とその国際化による不戦・反戦の国際世論の発展を選ぶか。今、我々日本国民に必要なのは国際反戦運動を盛り上げることだろう。


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