米沢 長南の声なき声


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鬼は退治しても
2015年02月03日

 鬼は退治してもいなくならず、鬼を生まないような世の中にすることが肝心。

テロ対策には次の3つがある
軍事的方法―強硬策で(「毅然として立ち向かう」とか、「断固として屈しない」「交渉(人質の解放取引)には応じない」)米軍などの有志連合への参加、自衛隊の活用、邦人保護・救出作戦を可能とする法整備、軍事的抑止力の強化―そのやり方では根絶不可能、逆効果も―憎悪をかりたて、かえって激化―「憎悪・報復の連鎖」―9.11同時多発テロ事件→対テロ戦争―アフガン戦争―イラク戦争(アメリカのイラク攻撃→フセイン政権打倒)→それに対してフセイン政権のイラク軍・バース党残党(将官・官僚)が「イスラム国」ISILを主導、報復戦争へ
 「一人のテロリストを殺せば、新たに5人のテロリストが生まれる」とも言われる。

非軍事のテロ対策―情報収集、資金源の遮断、水際対策(空港や港湾での)、在外邦人の安全確保、人道支援、国際社会との連携・協力などは必要だとしても

過激行動・テロを生む土壌・温床の除去
 このような過激行動・残虐テロ、狂気・狂信・無差別殺人など社会的病理現象(日本では地下鉄サリン事件、秋葉原事件など)を生み出す土壌・温床―不平等・格差・貧困・失業・不安定雇用・無知・差別・抑圧・排外主義・行き場・やり場のない疎外感・閉塞状況、ストレス社会、戦乱による人身の荒廃ete。これらを無くさないかぎり過激行動・テロ犯罪は根絶はできない。ただ単に「極悪・非道」と難じ、懲罰する(そうすることは正当なことではあるが、それ)だけではダメで、それら不条理を生み出す土壌・温床―社会の病理(社会矛盾)にメスを入れなければならないのだ。(ピケテイ氏の『21世紀の資本』はそのあたりのことを示唆しているのではあるまいか。)
 (イランの映画監督マフマルバフ氏、いわく「タリバンは遠くから見れば危険なイスラム原理主義だが、近くで個々を見れば飢えた孤児である」と。)

 安倍首相が気がいく(傾注する)のは、これら3のうち一番は①であり(軍事に前のめり)、③に気はいかない。

 今回の日本人人質殺害事件の経緯
 以前は、中東イスラム世界の人々には、欧米人(キリスト教徒・帝国主義の侵略者イメージ)と異なり、日本人に対しては対立要素なく、アメリカから原爆を被った平和国民として親近感。しかし
 2003年イラク戦争―自衛隊派遣
2004 年4月報道写真家やボランティアの3人を武装勢力が捕え、自衛隊撤退要求は日本政府から拒否されるも、イラク・イスラム聖職者協会の仲介で解放
      10月「イラクの聖戦アルカイダ」組織により日本人青年旅行者を人質に自衛隊撤退要求、日本政府に拒否され殺害
 2014年6月イスラム国、樹立宣言
   8月8日、米軍の空爆開始 
     中旬、湯川さん拘束
   9月、米英仏など10ヵ国「有志連合」→60ヵ国参加、日本も参加へ
     空爆以前はフランス人・スペイン人など人質は解放されていたが、空爆開始後は米国人・英国人・フランス人の人質は相次いで殺害。
   11月後藤さん拘束、家族に身代金要求メール、12月3日外務省で確認
   1月17日安倍首相、カイロ演説
     19日  〃  イスラエル訪問      
     20日ISIL、二人の殺害警告・身代金要求の動画公開
     24日湯川さん殺害写真、公表
   2 月1日後藤さん殺害動画、公表
 この間の我が国政府の対応に問題がなかったか検証が必要。
 この間、「憲法9条を順守する平和国家日本、という、戦後日本が築いてきたイメージは、中東でも世界でも完全に崩れ去りつつあります」と、中東研究者の栗田禎子教授(千葉大)は指摘している。

 安倍首相は「テロには屈しない」―「テロリストの思いを忖度するようなことはしない」「いたずらに刺激するようなことは控えるとしても、過度な気配りは全く必要ない」と。
 しかし、「いたずらに刺激する」とは挑発するということであり、そんなことを控えるのは当然で言うまでもないことであり、たとえわずかでも刺激することのないように(凶器を持ち人質をとって立てこもる犯人に立ち向かう警官隊のように)細心の注意・過度なほどの気配りも必要なのであって、そこまで気配りする必要は全くないというのは軽率・楽観すぎる。湯川さんと後藤さん二人が中東(シリアかイラク)で拘束され人質となっていることを知りながら、その近く(エジプト・イスラエル)にわざわざ行って「ISILがもたらす脅威をくい止める」「ISILと闘う周辺各国に総額2億ドル程度、支援」と演説し、対イスラム強硬派のイスラエル首相と「テロ対策で連携する」と言って握手してくる必要が、はたしてあったのかだ。「人命第一」といいながら「テロには屈しない」と強硬姿勢を貫き、結果二人の命は犠牲にされた。ひたすら「戦争と貧困から子どもたちの命を救いたい」という一心で危険をおかしながらも必死で取材・報道に取り組んできた方の命であっても、政府の警告(退避勧告・注意喚起など)を振り切ってそこへ行った本人たちの自己責任で、犠牲はやむをえない、ということになるのか。
 「人命第一」と言うからには、「テロに屈しない」からと言って人質を見殺しにしていいはずはなく、自らの言動に細心の注意、極度なほどの「気配り」があって然るべきだったろう。そうすることはテロに屈することにはならない、それは別のことだ。

 それに次のような問題も浮上している。
 安倍首相は「邦人救出」を口実に自衛隊派兵をも策していること―安保法整備へ
   しかし、自衛隊による救出作戦は相手のテロリスト・戦闘員を制圧する軍事作戦(武器を使う)となり、人質の生命・安全も保証されなくなる(無事救出するどころか、かえって犠牲にしてしまう結果になりやすい)。それに戦争にもつながりやすい(かつての朝鮮半島や中国への侵略は「居留民保護」を理由にして始められた)。
 小倉英敬神奈川大学教授(元外交官でペルー日本大使公邸占拠人質事件の被害者の一人)は「『イスラム国』は日本がイスラムを攻撃する『十字軍』に参加したと言って日本を敵視しており、日本が軍を派遣する姿勢を見せれば緊張を高めるだけだ。」「軍隊の投入になれば無事に救出される可能性は低くなる」、「そもそも在外邦人を人質にとられない、犠牲者にならないような外交政策の国際的信頼性を高めることが政府の第一の責務で、危険になったら軍隊を派遣するというのは本末転倒だ」と述べている。

 
 



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