米沢 長南の声なき声


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11月のつぶやき
2014年11月01日

11月のつぶやき
                                                          6791
●高倉健が亡くなって、唄った歌は(いつも唄っている歌) ♪不器用者と 笑いますか もう少し 時が たおやかであったなら 愛しき日々の はかなさは・・・・・・♪
●南三陸から帰ってきて、田んぼ道散歩で唄った歌は ♪慰め励まし かばってくれた 強い兄貴を 奪った海を じっとにらんで 墓標を抱けば 涙を 涙を ありがとう どこかで 兄貴の 声がする♪
●朝日新聞に再連載(漱石の生前にも連載)されている「三四郎」だが、今日の回の文中に次のような文句があった。「三四郎は勉強家というより、むしろ低回家なので、割合書物は読まない」と。そして注釈に「低回」とは「考えながら、あちこち立ちさまようこと」とあった。この俺は、どちらかといえば、その「低回趣味」なのかも?
●旅行券をプレゼントされて指定旅館を選んだ先は南三陸・ホテル観洋。南三陸は震災3ヵ月後に行ってきたところだったので、その後の様子を見たかった。
 ホテル観洋は街に入る途中の峠の沿道にあり、あの時は何げなく通り過ぎただけだった。しかし、その時そこは600名もの人たちの臨時避難所になっていたのだ、ということを初めて知った。道路に面している側は大した旅館には見えなかったのだが、中に入ってみると玄関ロビーは5階でその上下・海側に10階もあったのだ。仙台駅から送迎バスが出ていて、それに乗って行った。被災現場には「語り部」付きバスも出ていた(そのことを知らずに旅館に着くなりタクシーを頼んで運ちゃんから話を聞きながら周ってきて、翌朝、旅館のバスでまた行ってきたわけだ)。
 ♪海はよ~ 海は♪なんて歌えなかったな。
●久しぶりに会った元同僚から、毎日何してる?と訊かれ、「天に向かって発信してる」と答えた。
 誰も見てくれないHP・ブログだが、これで当方の存在と意見・考えを(俺という人間が居るし、居たんだ、その意見・考えはこうで、こうだったんだと)主張して残す―さもないと、何の意見・考えもなく、この世に居るのか、居たのかわからず、居ないも同然(すなわち無)だなんて、とても・・・・
●もしもこの俺が―医者から病名と余命を告げられたらどうするだろうか、と寝床に就いて考えた。去年亡くなった同級生は・・・・・、それにお袋の時のことを思い出したらジーンときた。あくる朝、女房にお前だったらどうする、と訊いたら「その時になってみないとわかんね」と。
 映画監督の大島渚は長い闘病のすえ亡くなったが、亡くなる前、鎌倉山に花見に車いすのまま乗れる車を頼んで出かけ、帰りにしゃぶしゃぶを食べ、おちょうしをつけたら、おいしそうに飲んだ。その時、小山明子(奥さん)は夫が「もしこれで終わったとしてもいい人生だったじゃない」と思ったという。またある日のこと、「もし私が死んだら、パパも一緒に逝く?って訊いたら、『逝かない』と言ったの。・・・・うれしかったです」と。
●セネカ(古代ローマの哲学者)いわく「いきることは生涯をかけて学ぶべきことである。そして・・・・・生涯をかけて学ぶべきは死ぬことである」と(サンデーモーニング「風をよむ」)。そうか・・・・
●「安楽死・尊厳死」(延命措置を停止、投薬)
                          ―治る見込みがない重病・重症、耐えがたい苦痛から解放
        日本人70%は「選びたい」(「選びたくない」ほうが少ない)のだそうだ。                               生命倫理―「不条理」・・・・「自然・『神の意思』に反する」
  選ぶのは自分(自己決定)だ・・・・当方の考える「自己満足に生きる生き方」の原理が決め手―最重視さるべきだ。
●親戚の葬式からから帰ってきて、散歩に行き、田んぼ道で唄ってきた。♪わたしの~お墓の前で泣かないでください・・・・♪
 女房のおじ・おば夫妻が2ヵ月置いて相次いで亡くなった。いずれも自宅の寝床で眠りながら逝かれた。老いて、持病もあり、立ち振る舞いがままならなくなって切ない思いはあっただろう。この俺も死ぬ時は・・・・・?
 祭壇に掲げられたおばちゃんの遺影に、女房いわく、「私の時はもっと若いのにしてな」というので、「じゃあ、今日撮ってやるか」・・・・。
 我が家の孫は昨日はバーバからもらったお菓子を「分けろ、分けない」で激しい姉弟ゲンカ、姉のほうが泣いた。今日は葬式で、おばちゃんの孫たちが勢ぞろいして祭壇の前に並んで立ち、最年長の孫が弔辞を読み上げた。そのことを我が家の孫娘に語って聞かせて、「お前も、バーバが死んだとき、そんなふうにできるか」というと「うん」とうなずいた。
 いろんなことを考えさせられた一日だった。
●「木枯らし一号が吹いた」と出ていた。「一号」とは何のこっちゃかとネットで調べてみたら、それは「春一番」(南寄りの強風)に対して冬の訪れを前にした北寄りの強風のことで、東京や大阪などの地方に限って見られる気象で、東北ではそんなのないのだそうだ。
 当方の歌のレパートリーに入っていて散歩でいつも唄っている「木枯らし紋次郎」の主題歌を今日も一人唄い歩いた。♪ど~こかで だ~れが お前を待っていてくれ~る♪
 田んぼ道から差し掛かった土手の桜の木の下に紅い葉っぱの小木が生えていたのが目についた。その何本かのうち一番ちっこい10センチ足らずものを根っこがらみ引っこ抜いて帰ってきて我が家の屋敷の隅に植え付けた。女房に「どうだ」と言って見せたら、「漆だでら、そんなもの」だって。子どもの頃、漆かぶれで辛い思いをしたのを思い出し、抜き取って捨てた。ああ・・・・10年後、20年後の屋敷の紅葉を見たかったのに。


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