米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


2014年10月01日

10月のつぶやき
●山形大学工学部の学園祭。小島よしおが来るというので孫と親が見に行ったと聞きつけて当方も行ってみた。小雨まじりの曇り空、野外ステージの前に大勢集まっていた。パンテー一枚になってスター登場♪そんなの関係ね~そんなの関係ね~♪  みんな唱和 みんな自己満足
●カブトムシがとうとう死んだ。外来種。孫が買ってきて3ヵ月。ダリアの根本に埋めた、その土の上に色鮮やかな一輪があげられていた。
●稲が全部刈り終って、あたりには誰もいなくなって、田んぼ道を思いっきり歌いながら歩けた。♪私の~ お墓の前で 泣かないでください~ ♪
●Walking song―心もち声がよくなったような気がする。♪知らず 知らず 歩いてきた 細く長いこの道・・・・・・・あ~あ~川の流れのように~♪ 一番高いところはヒ~ヒ~することもあるが、歌いこんできただけのことがあるのだろう。喉のポリーブの心配は今のところないか・・・・
 ♪こうとしか 生きようのない 人生がある せめて消えない 轍を残そうか♪
● 投稿はニュース(政治や社会の動き・出来事、要人や論者の発言)や他人の投稿を見聞きして自分の意見(批判・反対意見)や思いを世間に向かって言わずにはいられない気持ちにかられて出すことが多い。
 朝日新聞は我が家でとっている新聞なので、それを見て、そこへ投稿している。これまで(10年以上の間)200回近く投稿してきたが、新聞に載ったのは10本だけ。載らなかった投稿は自分のホームページ(「米沢長南の声なき声」)に載せている。
 どの新聞・週刊紙、どの放送局であれ、ネット情報であれ権力者・有力者のやり方・考え方に同調的だったり、批判的だったり、大げさに取り上げたり、まったく取り上げなかったり、ねじ曲げて報じたり、偏りがあり、誤報もどこかの新聞に限ったことではない。だから一つの情報源だけをうのみにすることは禁もつ。自分の判断、自分の意見をもつことが大事。
 教え子のS君の投稿は山新にしょっちゅう載っていて、読者にはもうおなじみといった感じ。山新は本県では一番読まれている新聞(49.7%で、読売15.9%、朝日14.5%をはるかに上回る)。
 「高校球児の対応に感激」(彼の投稿)が載った時は、その高校の校長から彼に電話がかかってきて感激されたとのこと。
 それにひきかえ、当方の投稿には反響も何もない
●テレビの国会中継を見ていたら、参院予算委員会。岸宏一君が委員長になって出ていた。金山小学校の同級生だった。 
 前回の任期中だが、電話で彼は「癌を患ってよ、今回かぎりで引退すっかどんてえだどごよ」と語っていたものだが、再出馬・再選されて、元気で未だ頑張っているではないか。
 よし!俺も頑張らなぎゃ・・・・頑張りようない?いや、頑張る!無力ななりに  
 それにつけても、宏ちゃんよ、年下の総理大臣らの時代逆行・暴走を諌めてほしいもんだな。
●稲刈りのシーズン。庭のダリアは未だ咲き乱れている。孫がケースの中に飼っているカブトムシは・・・ん?動いている。まだ生きている。
●英語の単語・用語のノート(2冊+α)のワードへの打ち込み―女房から「何をやってんだが」と口説かれながら―やっとひときりついた。「それがどうしたというんだ」って?別に?それでええなだ
●朝日新聞の連載(再版)、漱石の「こころ」が終わって、今日から「三四郎」が始まる。これも読み続けることにしよう。朝日新聞にはもう二つの現代作家の連載がある。そのうちの「精鋭」という小説は既に221回目になっているが、当方は最近になって途中から読み始めた。特殊部隊SATの若き隊員たちの物語のようだが、警察隊・自衛隊・軍隊の違いを改めて知った。武器を持ち決死(殺すか殺されるか)の仕事・訓練に従事しているが、彼ら(警察官)は、同じ特殊部隊・狙撃手でもやたら打ちまくり、打ち殺すのではなく相手を殺さずに制圧する(柔道のように「抑え込む」だけ)。そこが軍隊と違うのだ。なーるほど
●朝日は慰安婦問題で他紙から批判にさらされているようだ、とわかるのは、当の朝日が広告に他紙(週刊紙)のその広告を載せてるからだ(自分の悪口を書きたてているライバル紙の広告を何故?―それが当方にはよくわからない)。新聞は読売・産経、週刊紙は文春・新潮が攻撃的だが、それらの中にあってサンデー毎日、それにここへきて週刊現代なども朝日「叩き」に批判的な記事を出し始めている。(週刊朝日とAERAはだんまりを決め込んでいる?が)。マスコミがみんな政府の応援団になっては困る。毎日・現代もがんばれ!


ホームへ戻る