米沢 長南の声なき声


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誤報問題―どこの新聞をとったらいいものか(加筆版)
2014年09月24日

 誤報問題で今、朝日新聞に対する評価がガタンと下がっているように思われる。朝日の失敗は誤報とそれに対する対応(訂正・謝罪の時期を失する等の)まずさであり、それが不信・不評を買っているわけだが、加えて、日頃朝日の論調に対して反感をもっている向きとライバル各社からは、この時とばかり猛烈な批判・バッシングに晒されているのだろう。
 そこで、我々一般市民としてはそれをどのように考えたらいいものか。今回、朝日に誤報とそれに対する対応のまずさがあったからといって、即、他紙の方が「ましだ」となって購読を他紙のどれかに切り換えようとなるのかといえば、私ならそうは考えない。何故なら、誤報や思い込み曲解報道は朝日に限ったことではなく他紙にもあるし、ライバル各紙のスクープ(特ダネとり)合戦はつきものであり、勇み足も付き物だろうと思われるからである。(ジャーナリストの青木理氏は「メディアに誤報はつきもの」「時には勇み足や勘違いから誤報は生じうる。いや、誤報はメディアの宿命と言ってもいい。だから誤報に気づいたら速やかに訂正しなければならない」と―サンデー毎日9.28号)。
 そもそも、どこの新聞、どの局であれマスコミの報道を信じきってはならないのであって、「まてよ?本当かな?」と疑ってかかることが必要なのである。
 かつて戦時中は全てのメディアは誤報をしたといっても過言ではあるまい。大本営発表(虚報)をそのまま流したものだ。今は報道の自由があるとは言っても、企業ジャーナリズムには「売らんかな」の商業主義(部数・視聴率)に縛られ、その都合しだいで、(売れるぞとなれば)必要以上に誇大にニュース・話題にして取り上げるし、(売れそうにないとなれば)取り上げない、といったようなことがあるわけである(「朝日を叩くと売れる」など)。それに情報を握っている政府当局による情報操作・マスコミの選別利用(政権にとって有利な情報を流し、政権に批判的な社には隠して政権寄りの社に情報を流す、といったようなこと)もある。
 いずれにしても、誰にとっても納得がいく真実を報道しているとか信用のおけるメディアなどというものはあり得ないのだ。
 そこで、選ぶとすれば比較的「よりましな」新聞・情報源はどれかということになるだろう。
 その指標(決め手)は、その社、そのジャーナリストの報道姿勢(理念・立ち位置)が庶民本位か政財界の支配層・エリート本位か、人権平等・社会保障重視・「自国に厳しく他国に優しい」博愛・平和主義の立場か、それとも富国強兵主義・自由競争主義・権威主義・「人命・人権よりも国益・企業益」重視・自国の名誉にこだわり「自国に甘く、他国に厳しい」対アジア強硬・対米追従の立場かなど、いったいどの立場に立って報じているかであり、アベノミクス・消費税問題・改憲問題・原発問題・集団的自衛権問題・沖縄基地問題・秘密法問題などをどの立場に立って報じているか、そのスタンス(立ち位置)だろう。私の場合はその境遇・生活信条から前者(庶民本位、人権・博愛・善隣友好平和主義)の方の立場に立っている新聞・情報源を選ぶことになるわけでる。要するに自分の生き方・価値観に照らして、社会生活や個人生活に必要で役に立つ情報源をより多く提供してくれる新聞(メディア)かどうかで選ぶ。
 それにつけても、誤報や偏りの全くない誰にとっても全面的に信頼がおけるメディアなどあり得ないが、比較的まし、という新聞メディアはあるだろう。それには虚報はしないとか誤報が少ないということは不可欠の要素だが、もう一つ、その立ち位置・理念(価値観)が、自分のそれにより近いということが信頼性の点で決め手となる。それで選ぶということだ。 


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