8月17日新聞各紙に出た政府広報。それは、放射線による健康影響について二人の専門家(中川恵一=東大医学部付属病院放射線科准教授とレティ・キース・チェム=IAEA保健部長)が福島県からの避難者を集めて開催した「勉強会」で行った講演の要旨を掲載したもの。(その講演は「政府インターネットテレビ」でも放映されている。)
「広島・長崎で2,000mSvの放射線をあびても遺伝的影響はなかった。だから将来生まれてくる子どもへの影響など心配する必要はない」と。それは、その通りだろう。
ただし、2,000mSvでは本人が出血・脱毛、5%の人が死亡。(4,000mSvの局所被曝で永久不妊。)「鼻血など出ない(上咽頭がんの放射線治療で鼻の粘膜に7万mSv被曝しても鼻血は出ない)」と。
しかし、北海道がんセンターの西尾正道名誉院長は事故後の鼻血の頻発と事故との因果関係を政府や福島県が否定していることに対して「高線量被ばくによる急性障害に論理をすり替えて、鼻血との因果関係を否定している」と批判し、「放射性物質が付着した微粒子が鼻腔内に入って低線量でも鼻血だ出る現象はあり、医学的に根拠がある」と指摘している(5月24日付朝日)。「福島で心臓病にかかっても、東京でかかった人と同様で、それが放射線によるものだとは限らない」と。
「100mSv以下の被曝量ではガン(甲状腺ガンも)増加は確認されていない。ただ『増加しない』と証明することは、福島にパンダがいないことを証明するのと同様に困難なだけだ(福島は99.97%の人が外部被ばく量で10mSv以下。『甲状腺ガン患者80名』というのは大規模検査で発見が増えたせいだ)」と。
福島にパンダがいないことを証明し切るのは不可能ではないだろう。しかし、ガンが増加しないことを証明することは困難なことは困難に違いない、ということは増加しないとは言い切れず、福島ではガンは増加するのかもしれないということだ。
長崎大学副学長兼福島県立医大副学長の山下教授も「100mSv以下なら心配ない」「微量でも被ばくすれば危ないというのは間違い」と繰り返し言っているが、彼は震災前、学会では「主として20歳未満の人たちで、過剰な放射線を被ばくすると、10~100mSvの間で発がんが起りうるというリスクを否定できません」と述べていたという。(朝日新聞のシリーズ「プロメテウスの罠」927)この発言のくい違いを山下教授は「学会で専門家に不要な放射線利用を避けるよう警告した発言と、一般向けの発言では、その『対象と説明の視座が異なる』」とし、「一般向けの場合は不安を招かぬよう配慮が必要となるのだ、というのである。いずれにしても「100mSv以下なら心配ない」とは必ずしも言い切れないということだろう。「人々は常に自然放射線(世界平均で年間2.4mSv、日本は平均以下)にさらされて生きているし、ⅹ線やガン治療など医療や産業で活用されている放射線は大きなメリットでさえある。」「かなり高い線量でない限り、健康への影響は出ないということ。ただし、自然放射線の被ばくによって健康に影響があるかどうかについて確実なことはまだわかってはおらず、低い線量の放射線による健康への影響を正確に評価するのは、難しい問題だ」と。
そして「年間線量限度は放射線業務従事者で20mSv、一般市民で1mSv、原発事故発生地域での基準値は20mSv、それ以下では健康影響は全くない」と。
しかし、その線量限度・基準値は「がまん量」なのであって安全量ではないのだということを、勘違いしてはなるまい。
この「がまん量」も安全量もその限度は様々な自然放射線を浴びた量と人工放射線(医療や原発などであびた放射線)量とをトータルした線量なのだということ、そのことも勘違いしてはなるまい。病院でX線を受けて一瞬あびる放射線だけなら大したことはないし、病気を治すためならいいばっかりだとは言っても、それだけでなく常々自然にあびるありとあらゆる放射線を全部トータルすれば年間何ミリシーベルトになるのか「足し算」しての数量なのだということで考慮しなければならないのだ。「メディアの報道の仕方に問題はなかったのでしょうか。」「不確かな情報にながされず、国際機関の科学的な基準を参考にすることが大切」と書いているが、確かに、まだまだわからないことが多く、絶対安全・安心という保証はない。国際機関の基準だからといって、それをうのみにしてもなるまい。なぜならIAEAなどは原子力「平和利用」促進機関で軍事転用を防ぐ査察機関ではあるが、あくまでも原子力利用促進の立場に立っている原発推進機関にほかならないからである。
国際機関といえども未解明・不確定部分が多々あるわけであるが、その「わからない」ことと「影響がない」こととは全く別の事柄。「未だはっきりしたことはわかっていない」、だから「大丈夫、影響はない」とはならないのであって、事が事だけに(時間的・空間的に広範な人々死活的な影響が及ぶだけに)「疑わしきは罰せず」ならぬ、「疑わしきは禁ず」とすべきなのである。
「大丈夫なのか」「危ないのか」どっちなのか「不確か」ならば、「大丈夫だ」と政府や国際機関が推奨する学者や専門家の楽観論よりも、むしろ最悪の事態を想定して「危ない」と指摘し「それは避けた方がいい」と言ってくれる学者・専門家の悲観論を重視したほうが賢明であり、少しでもリスクの可能性のあることは避けること―この「予防原則」で判断すべきなのだ。事は単なる私益・「国益」(政府の都合)などそれぞれの都合で判断されるようなものではなく、個々の生命(その維持・存続)、人類の生存がかかっているからである。「放射線について慎重になりすぎることで、生活習慣を悪化させ(外に出ないため運動不足、野菜不足などによる肥満・高血圧・糖尿病等で)発がんリスクを高めている」と。
リスクは避難生活など生活環境の激変によってもたらされた極度のストレスから来るうつ病・自殺などもともにトータルしてリスク計算さるべきものであり、それらは全て原発事故に起因する。個人によってストレスに耐える力の強い人と弱い人とがいて、自殺するのはそれが弱い人だからといって、自殺を個人のせいに帰するのは間違いであり、どっちにしてもストレスそのものはせんじ詰めれば原発事故に起因しており、「原発のせい」でることは間違いないのだ(福島地裁の判決)。
フクシマでは射線被ばくが直接の原因で「死んだ人は一人もいない」と強弁する向きがあるが、震災関連死は1753人(うち自殺56人)もいるのだ。とにかく原発には事故災害―放射線被ばくによる健康被害だけでなく生活環境の激変による命と健康の被害リスクが伴うのだということ。人々に必要以上に過度な不安を与えまいとか、「風評被害」を避けたいばかりに「大丈夫だ」「たいしたことはないんだ」と決めつけ、ことの重大さを過小評価し、事なかれ主義に堕して、必要な健康・安全対策(児童・妊婦などの長期間健康モニタリングと診断体制の構築など含めて)を怠り、リスク回避(不要な放射線利用は避けること等)を怠るようなことがあって断じてなるまい。
福島から避難されている方々も我々も、政府広報にこのように「大丈夫だ」と書いてあるからと言って「ああ、そうなんだ」と思い込んで、原発・放射能に対して「楽観的な誤解」に陥いり無警戒・無頓着になってはなるまい。
尚、放射線被ばくの健康影響のことについては本H・Pの評論の「過去の分」の中に2011,9,1の「『大丈夫だ』『危ない』、どっちなのか?」というのがある。