米沢 長南の声なき声


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「友好国に身勝手と言われないか」に異論
2014年07月30日

 27日の投稿に「他国から攻撃された時は友好国の助けを得るのに、逆の場合は憲法9条を盾に助けることを拒否するのは身勝手」とあったが、国家間の条約は個人間の義理・人情とは次元が違い、また同じことをやって借りを返すのとは事が違い、国益上のバーターで双方それぞれのメリットに基づく権利・義務を定めるもの。それに日米安保の条文には、締約国はそれぞれ自国の「憲法上の規定に従うことを条件として」と明記されており、憲法の範囲内に限られることを前提にしている。そして「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくする」場合に、「自国の憲法上の規定及び手続に従って対処するように行動する」のだと。
 (つまりアメリカは日本を無条件で自動的に守ってくれるわけではないのだ。また)日本はアメリカから一方的に守ってもらってばかりいるわけでもない。日本は基地をアメリカが軍事戦略上の前方展開に利用するために提供しており、そのうえ「思いやり予算」まで負担している。
 日本はアメリカに対して恩義のある格別な友好国として何が何でも助け、信頼を繋ぎ留めなければとの考えのようだが、特定の国だけでなくどの国とも友好・信頼関係を結び、敵をつくらないようにすることこそが平和・安全のための最善の方法。
 緊張状態で不測の事態が生じた場合に(我が国を守ってくれるのが集団的自衛権の行使)、というが、それは逆で、緊張や不測の事態を呼び込み激化させるのが集団的自衛権行使なのであって、そのような緊張・不測事態を生じさせないための非軍事・平和外交こそが必要不可欠なのだ。


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