米沢 長南の声なき声


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集団的自衛権―竹内元外務次官の見解への異論
2014年07月30日

 20日、朝日新聞の集団的自衛権に関する竹内元外務次官へのインタヴュー記事。竹内氏は、集団的自衛権の定義は国連憲章には書かれておらず、他国防衛説と自国防衛説2説あり、今回の閣議決定で政府解釈は前者から後者に変わったとし、9条の理念を守り、許される範囲内の変更だとしている。
 しかし、それらはいずれにしても本来の自己保存の本能に基づく自然権としての正当防衛権たる自衛権とは言えず、そもそも集団的自衛権なるものは国連憲章51条に書き込まれた経緯から見ても、米国などの政治的思惑による後付けされた概念にすぎない。(自然権としての正当防衛権には当たらない。)
 日本側は「集団的自衛権の行使だ」といっても、それは相手方からみれば、日本(自衛隊)に攻撃してはいないのにその自衛隊が出てきて敵対国に加勢すれば、それに対する攻撃は、彼らにとっては日本による「急迫不正な侵害」に対する自衛権の発動だということになる。
 それから、「明白な危険がある場合」などという抽象的な言葉では、その判断は「主体的・客観的・総合的に」とはいえ、政府にしろ国会(多数派)にしろ恣意的に決定してしまうこととなり、また戦闘地域に派遣された自衛隊は現場で判断に迷いながら生死に係る決断に迫られることになる。インタヴューアーは次のように指摘している。
 「『明白な危険』がある場合」という限定は、政府が集団的自衛権を使うかどうかを判断する『入り口』での抑制に過ぎず、戦争を一度始めれば『出口』を探すのは難しい。」「参戦後、日本にとっての『明白な危険』が去ったからもう撤退すると言っても、敵になった相手国は日本への攻撃を続けるだろう。」戦争は狭い「入り口」で始まって拡大していくもの、それが歴史的現実。
 氏は、米国を「かけがえのない同盟国」で「特別に考える必要がある」といい、我が国と密接な関係にある国とそうでない国を選別することを肯定しているが、それは国によっては日本に対して自国を非友好国あるいは敵国と意識する猜疑心を抱かせることになり、いたずらに「敵をつくる」ことにもなり、かえって安全保障を損なうことになる。
 それに「抑止力を高める」という軍事的抑止力には矛盾と危険がともなう。①それは「抑止」といいながら、(もし軍事攻撃を仕掛けてきたりなぞしたら反撃・撃破されるか報復されるぞ、ということで)武力行使・戦争も辞さないことを前提にしている。(それは9条に込められた「いかなることがあっても戦争はしない」という戦争の永久放棄という公約―これこそが抑止力―に反している矛盾。)②その軍備と軍事的抑止論は相手をも同様な論理で軍備強化を誘発し、軍拡競争・軍事対決を招き、軍事衝突の危険―いったん始まってしまったら歯止めも限定もなくなり抑止が効かなくなる。(ウクライナ、シリア、イラク、パレスチナなど現実はまさにそれだ。)


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