米沢 長南の声なき声


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集団的自衛権・賛成投稿に反論
2014年07月10日

 先の朝日新聞「声」欄に『米国との協力なしに国民守れぬ』という投稿と『集団的自衛権は平和守る手段』という投稿があった。
 「当たり前のことをできない障壁が憲法9条」「無条件降伏したとはいえ主権国家の自衛権を奪うなどあってはならない」「集団的自衛権の行使は、いざという時に必要」だ、それに「集団的自衛権を持っているが使うことはできないとしてきた」のは「不自然」だと。
 これらに次の諸点から反論したい。
①個別的自衛権ならば個人の正当防衛権と同様に自然権で「固有の権利」といえるが、集団的自衛権はそうではない(国連憲章原案には当初は無かったもので、アメリカが米州諸国会議で米州機構の軍事同盟を合理化する思惑から憲章51条に個別的自衛権とともに付け加えられた後付けの概念にすぎないのだ)。
 我が国で個別的自衛権は自然権として認められてはいても憲法で戦力保持を禁じられるのは、市民個々人は、正当防衛権は持っていても法律で銃刀所持を禁じられているのと同じだろう。
②「押し付けられた」憲法とは言っても、日本国民は反発どころか、大半の人はむしろ歓迎していた(当時、毎日新聞の世論調査では象徴天皇制には85%、戦争放棄には70%が賛成)。それは日本国民がどの国の国民にもまして戦争の悲惨さと空しさを知り尽くしたからにほかなるまい。戦争犠牲者、日本人310 万人、アジア全体で2,000万人、「戦争はもうやめてくれ」という痛切な叫びがそこにあるのだ。
③その憲法制定後間もなく連合国の極東委員会それにマッカーサーも改憲(「再検討の機会」を与え、「見直し」)を促したにもかかわらず、日本政府(吉田内閣)の方からそれを拒否しているのである。その時、もし改憲して陸海空軍を復活させていれば、日米同盟・集団的自衛権の名の下に、日本軍は朝鮮戦争にもベトナム戦争にも湾岸・アフガン・イラク戦争にも韓国などと共に参戦していただろう。これらの戦争に日本軍が参戦していればもっとよい結果が得られて諸国民から歓迎され、日本国民にも幸いした、などとは到底考えられず、数多の犠牲者(韓国はベトナム戦争で4千700人戦死)を出し、報復テロにも脅えなければならない深刻な結果になっていただろう。
④「米艦防護や機雷除去は武力行使に当たらない」というが、交戦中のそれらの行為は国際法上「武力行使」に当たり、敵対する相手からは攻撃されてもしかたないことになる。
⑤「日本と米国は一体」というが、そんなことを言ったら「主権は持っていても、その権利を行使しない」と言っているようなもので、アメリカにはノーと言えない国と見なされ、反米と一体にさらに反日に火がついてしまうことになる。
⑥「日本が集団的自衛権を行使するのは戦争が目的ではなく、平和を守る手段」だというが、行使―武力行使―するのは戦争そのものではないのか。
⑦「行使容認と防衛力の強化が世界に伝われば諸外国は安易に日本に手出しできないと思う」という(「抑止論」の考えだ)が、諸外国はそれでおとなしく手を引くかというとそうではなく、同じ抑止論で日米が手出しできないように防衛力を増強し、核軍拡に駆り立てられる。中国・北朝鮮はまさにそれ。
 

 ところで、常備軍は持たず、外国の基地も置かないコスタリカは小国とはいえ、文字通りの積極的平和主義外交に努めたことによって大統領がノーベル平和賞を受賞し世界から高い評価を受けている。これとは似ても似つかない安倍首相の「積極的平和主義」(それは軍事主義にほかならない)を肯定するような考えには、とても賛成しかねる。


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