米沢 長南の声なき声


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刀をどう使うのが武士道か
2014年06月17日

 7日付本紙に、集団的自衛権問題のインタビュー記事で、政治学者の櫻井淳教授は「武士道では刀を研ぎ、訓練もするが、抜くものではないという考えがある」と言いながら集団的自衛権の行使(刀を抜くこと)を容認する論を説かれていた。
 ところで新渡戸稲造の『武士道』では、勝海舟は、刀の柄を鞘に「ひどく丈夫に結わえて、決して抜けないようにしてあった。人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だった」という海舟の言葉を引き、『負けるが勝ち』(それは「真の勝利は暴徒にむやみに抵抗することではないことを意味」しており)、また『血を見ない勝利こそ最善の勝利』とか「これらの格言は武人の究極の理想は平和であることを示している」と。
 そういえば、「峰打ち」というものもあり、刀は専ら、相手の刃を受け止めて防ぎ、打ち据えるだけで、斬らない(抑止に徹する)という使い方もあるわけである。
 さて、これらのうちどれが本当の武士道の刀の使い方なのだろうか。我が自衛隊は、どうあるべきなのだろうか。
 安倍首相が容認しようとする集団的自衛権の行使は、武力行使を目的とした他国領域への派遣はしないと言うだけで、武力行使しない(刀は決して抜かない)というわけではないのだが。


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