米沢 長南の声なき声


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比較衡量すれば抑止よりリスクの方が
2014年06月17日

 高村副総裁は、集団的自衛権問題はその行使容認(他国への武力攻撃、他国どうしの戦争でも参戦・武力行使できること)による「戦争に巻き込まれる可能性」と「戦争を起こさない可能性」(抑止力)との比較衡量の問題で、どっちを選ぶか、その判断は選挙で選ばれた政治家がやる以外になく、抑止力の効果の方が大きいと判断してやるのだ、という意味のことを語っていた。(13日報道ステーション)
 戦争に巻き込まれるリスクと抑止力を比較衡量して考えるならば、集団的自衛権の行使(海外の紛争に介入して一方に加担)を容認すれば、抑止力になるどころか戦争に巻き込まれるリスクの方が大きいにきまっている。自衛隊が海外の紛争に出ていけば、自ずから巻き込まれる機会が多くなるからである。
 中国・北朝鮮などに対しては、現実的にこれらの国に近接して米軍基地を置く日本は、遠くに位置するアメリカに比してリスクがはるかに大きい。アメリカの抑止力に頼り守ってもらうにしても、いったん事が起れば、日本の方が、自衛隊員や在留邦人など一部の限られた国民だけでなく本土と国民全体が巻き込まれて攻撃にさらされる可能性がアメリカなどに比べてはるかに高いからだ。 
どう考えてもリスクの方が大きい。
 それに、その比較衡量を選挙で選ばれた政治家(政府・国会)に判断を委ねるのは危険であり無謀というものだろう。選挙制度(小選挙区比例代表並立制)と民度(国民の成熟度)から見て、選挙は「人気投票」的様相を帯びポピュリズム(大衆迎合)政治家が選ばれやすい現状だからである。

 安倍首相は「抑止力が高まることによって、より戦争に巻き込まれることはなくなる」と言い、高村副総裁も比較衡量論でそのことを合理化しようとしているが、そもそも集団的自衛権を行使できるようにすると、どうして抑止力が高まるのか説明してはいない。説明できないのだろう。
 既に自国に米軍基地を置いて同盟関係にある日本の自衛隊に、今さら集団的自衛権の行使が容認されるようになったからといって、中国や北朝鮮或いはイスラム過激派がビビッて、日本以外の国々(米国その他の諸国)に対する攻撃をためらい思いとどまる気持ちに果たしてなるものかである。それはかえって、反米に加えて反日敵対感情をつのらせ、その攻撃の的にされるばかりなのではないか。しかも、中国・北朝鮮から遠く離れたアメリカ本土・国民は無事でも、直ぐ近くに米軍基地を置いている日本本土・国民が無事で済む話ではあるまい(モロに攻撃にさらされることになるのだから)。
 そういったことを考えると、それ(集団的自衛権の行使容認)が抑止力を高めるという根拠はいったいどこにあるのか?それはありえないと考えるほかあるまい。
 
 尚、中国や北朝鮮の脅威に対しては、アメリカの核の傘などに頼らず、むしろ日本自身が核武装すれば、相手は攻撃しかけてこないはずだ、という「核抑止論」もあるが、日本の核武装を最も警戒している国は他でもない、アメリカなのである。アメリカは日本にそれを決して許さない。そもそも核拡散防止条約(NPT)で非核国のうち核兵器保有を恐れる最重要国は他ならぬ日本なのだからである。もし、我が国がNPTを脱退して核武装などすれば、中国・北朝鮮だけでなくアメリカを敵に回すことになるのだ。
 いずれにしても、これらの抑止論はあり得ない、それこそ「絵空事」というものだろう。


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