米沢 長南の声なき声


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若者に届ける言葉は「非暴力」
2014年05月13日

 先に掲載された新聞投稿「『戦う』という若者に届く言葉は」について。「生き残りに必要な軍事力を持てないのは理不尽」というが、それは各人が生存権を守るために銃を持てないのは不当だと言っているようなもので、その方が理不尽なのではないか。各人に必要なのは単なる生存権ではなく平和的生存権(平和・安全に生きられる権利)であり、それを国は保障し、国民の命が危険にさらされる恐怖の除去に努めなければならないのだ。攻撃を誘発することなく攻撃を受けなくする最善の方法はむしろ軍備を持たずに反撃意志を持たないことを示すことだろう。
 「戦うという若者に暴力にかわる方法をうまく説明できない」というが、暴力に対して暴力で対抗するというのは戦国時代の論理であり、今はアフガニスタンやシリアでやっているようなもので、暴力・武力行使こそ悲惨な結果を招く最悪の方法なのだということを若者に知らしめなければならないのだ。若者に届ける言葉は「非暴力」以外になく、利害対立・紛争は交渉・話し合い・譲り合いによって解決するしかないのだということ。
 韓国船の沈没事故に際する「危機管理の無さは具体策無しに戦争に反対するリベラル層に重なる」という。船の沈没事故なら、それが起きたらどう対処し、被害を最小限に抑えるには予めどういう措置を講じておけばよいのか危機管理策は必要でありで可能でもある。しかし、戦争の場合は、それらとは全く異なる。なぜなら、沈没事故なら被害は乗船者らに限られるが、戦争は、「戦う若者」や現場の限られた人たちだけでは済まない、子供も老人も数多の人々に被害・惨害が及ぶことになるからである。だから、それは絶対起こしてはならず、招来するようなことがあってはならないものなのであって、危機管理より危機回避のほうが問題なのである。軍事衝突・武力攻撃事態など招かないように自衛隊の出動や実力行使など軍事組織・軍事力を用いることのないようにしなければならないのであって、軍備は、強化・活用するのではなく、用いないように管理することであり、むしろ持たないほうがよいのである。
 そこのところを考えての9条なのであり、それこそが現実的な最善の方法なのであって、改憲して若者を存分に戦えるようにすれば国も守れて国際貢献もできるなどと考える方がきれいごとだろう。


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