米沢 長南の声なき声


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ウクライナ問題論評での見落とし
2014年03月27日

 朝日の「声」投稿に「一方的ロシア非難でいいのか」というのがあった。当方も、別にロシアを擁護するわけではないが、同様な疑問をもっていた。
 ロシアが「武力による脅しと威嚇」と非難されるような強硬策をとるのは、いったい何故なのだろうか。
 投稿は「ヤヌコビッチ大統領と野党代表の間で・・・・政治危機回避でいったん合意。にもかかわらず、野党勢力は武力衝突の末に政権を倒し、矢継ぎ早に新政権を発足させた。・・・・日米欧でウクライナ暫定政権の正統性がほとんど問われずにきたのは不思議だ」と。
 市民デモは何故過激化し治安部隊との間で双方に多数の死傷者を出すという騒乱・政変にまで発展したのか。それを主導したのは一体どのような連中なのか。「報道ステーション」で、ウクライナ国営テレビ局に極右政党スヴォボダの議員らが押し入って乱暴をはたらき、プーチン演説を放送したことをなじって局責任者に辞表を書かせる様子が放映されていたが、彼らについてはそれ以上詳しい掘り下げはなかった。
 これらのことを詳しく取り上げた論評はほとんど見られないが、それはどうしてなのか。
そこを抜きにしたままでは、ただ短絡的にロシア側が悪者で米欧側とウクライナ暫定政府の方が善玉であるかのように決めつけることはできまいし、朝日(上の声・投稿ともに26日)の社説も自由と民主主義という「普遍の価値観を説け」などと書いているが、どこか空々しい気がしてならない。


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