Ⅰ.戦後・民主教育
戦前・戦中―強力な中央集権的教育体制の下で、教育勅語と国定教科書によって、天皇のためにすすんで命を投げ出す臣民をつくる(子どもを「軍国少年・少女」に育てる)教育―それを反省。
憲法(26条)①すべての国民は、その能力に応じて等しく教育を受ける権利を有する。
(教育の機会均等。学習権・基礎学力の保障)
②すべての国民は、子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は無償。
(25条)生きる権利(生存権)と(13条)幸福追求権―現在と未来における幸福の礎を築くための教育
子ども・若者一人ひとりの状況とニーズに応じた学習を保障し、成長・発達を保障
教育基本法(この憲法制定に合わせて制定され、第一次安倍政権によって改変される前までは)教育の目的は、一人ひとりの子どもの人間的な成長・発達、「人格の完成」にあり、また、どの子も「国家・社会の形成者」(すなわち国家の主権者であり、社会の主体的な担い手)として育て上げることにある、ということ。
そして教師たちによる「教育は(権力による)不当な支配に服することなく、(国家に対してではなく)国民全体に直接に責任を負って行なわれるべきもの」で、文科省や教育委員会による「教育行政は、教育に必要な諸条件の整備確立を目標として行なわれなければならない」などのことを定めていた。
6・3・3・4制
公立小・中・高は教育委員会が管理(小・中学校は市町村教委、高校は都道府県教委)
教育委員会制度―戦前教育の国家統制・権力支配の弊害を反省して、戦後、教育の民主化としてアメリカからの制度導入時は)公選制で住民が委員を直接選挙、会議はすべて公開だった。
その地域の教育行政を市民の代表である数人の教育委員が合議・決定―住民による学校自治で多元的な民意を行政に反映―特定の個人の判断や恣意を防ぐ。
政治的中立・権力から独立―首長から独立した教育行政委員会―直接国民(住民)にのみ責任負う―文部省や自治体首長・議会が所属する党派の利害に左右されない。
Ⅱ.[現状]―直面する教育問題
●教育委員会―1956年の改定(地方教育行政法―参院には警官500人を導入して強行採決)―委員は自治体首長が任命(議会の同意を得て)、非公開に。
非常勤、合議制(非公開―閉鎖的)・・・・東京都中野区の教委はしばらく準公選制を維持するも潰された。
教育長(委員会が委員のうちから任命、常勤)―事務局を統括し委員会の議事に助言
問題点―名誉職化(形骸化)
いじめ・体罰問題などへの対応―動きの鈍さ、責任の所在があいまい
文科省から各学校へ上意下達(統制)
組織防衛・・・・いじめ事件など隠ぺい
●上からの管理統制―教育委員会と教員に対して―しだいに強める―教員は物を言えなく、過労・燃え尽きが増える―生徒にも教師にも「ゆとり」がなくなる
教育委員の任命権もつ自治体首長の影響力(石原都知事や大阪市長など)―「日の丸・君が代」を押し付けたり、ジェンダー教育や性教育を排撃したり(個人的な価値観や偏った信条を教育に持ち込もうとする)。愛知県犬山市教育委員会は全国学力テストに唯一不参加の方針を取ったが、市長が委員を入れ替えて参加へ。
画一的競争教育―現場の自主性・創造性・多様性が大事にされない
学習指導要領(文部省が定める)―当初は「手引き」・試案的なものだったが、法的拘束力をもつようになるも「大綱的基準」とみなされてきた。
教科書―日本では教育行政(教育委員会)が選んでいる(そういう国は他には中国だけで、ほとんどの国はは教師や学校が選んでいる)―指導要領を基準に文部大臣が検定。
●受験・競争教育(国連の「子どもの権利」委員会から「過度な競争教育」と指摘されてきた)
入試制度―日中台韓などに特有←・・・科挙(隋唐以来の官僚選抜試験)の影響
→教育が受験競争に縛られ歪められる弊害
競争→格差(勝ち組・エリート、負け組・「落ちこぼれ」)―全体として学力向上にはつながらない。
●いじめ・体罰問題
いじめ―全国の学校で20万件(12年度)
●不登校・ひきこもり―不登校児童生徒数(12年度)―小中学校(約11万2700人)、高校 5万7700人)
●教員の勤務状況の悪化―時間外勤務(平均月69時間 32分。3人に1人が厚生労働省の示す『過労死ライン』の月80時間を超え、5人に1人が月100時間以上。家に仕事を持ち帰ってやる時間が平均月21時間41分)―教師たちは学力テストの点数を上げるため、ドリルを準備し、繰り返し子どもにやらせる。それに子どもの様子・成績を細かく数字で記録させられ、報告書や書類の作成に膨大な時間を奪われる―精神疾患・休職の増加。
●教育予算(公費負担)は先進国では最低水準、高学費(私費負担)―世界一
教育機関に対する公財政支出の対GDP比は(2010年で)OECD平均5.4% に対して、日本は3.6%(データのある国28か国では最低)。
国連の国際人権規約(13条)―高等教育(高校・大学)の段階的無償化条項―日本も批准したものの、ずうっと留保し続け、昨年、国連から勧告受けてようやく実施に踏み切ったが、さらに「迅速」な実行勧告を受けている。
OECD(先進国34ヵ国加盟)の国々では、授業料無償化は、高校はほとんど、大学も17ヵ国で実現。
我が国では、高校は民主党政権下で10年度から授業料無償化が実現した。
大学―初年度納付金(入学金と授業料を合わせて)国立81万円、私立131万円平均(アメリカ州立で61万円、フランス2.4万円、フィンランド0円)
(ドイツ・フランス・オーストリア・ポーランド・チェコ・スロバキア・ハンガリー・ギリシャ・アイルランド・北欧諸国などは大学授業料無償化)
国際人権規約13条には、また「奨学金の給付」をも締約国に義務付けている。OECD加盟国で大学の給付制奨学金がない国は日本とアイスランド(授業料は無償)の2ヵ国だけ。
(アメリカ・カナダ・イギリス・イタリア・スペイン・ポルトガル・オランダ・ベルギー・スイス・トルコ・オーストラリア・ニュージーランド・メキシコ・チリ・イスラエル・韓国は給付制奨学金―返済不要)
日本の奨学金はすべて貸与制(利子付き返済必要)―それでも半数以上の学生が借りている。
国際人権規約13条には「教職員の物質的条件を不断に改善すること」をも締約国に義務付けている。我が国では1980年度に「40人学級」が実現したが、それ以降は学校規模改善計画は凍結され、教職員数は大幅に減少し、その多忙・過労・健康破壊は深刻。
●子どもの貧困―貧困家庭(非正規雇用・ひとり親)「親から子へ」連鎖
就学援助(給食費・教材費・学用品・制服・ランドセル・林間学校・修学旅行費・卒業アルバム代など)を受けている子どもの割合16%(6人に1人)
● 社会環境の激変―家庭・核家族化 生活スタイルの激変
家庭―核家族化で教育力が弱まった分、学校が「しつけ教育」肩代わり)
情報通信技術(ICT)の発達―スマートフォンの普及(高校1年生で所有率84%)→読書量の減少などの弊害も。 予備校や出版社がスマホアプリを通じた教材提供
インターネットを通じたオンライン予備校なども サイトに授業の動画→学校で利用、生徒にタブレット端末を貸与、自宅での予習にも(教室の教員はついていけない子を教え、習熟度に合った課題を出し、教え合いを促す)。
グローバル化→グローバル教育―高校で世界史を必修、小学校から英語教育など
Ⅲ.[安倍政権]―国家主義的・新自由主義教育路線
第一次安倍政権時、教育基本法を改変(改憲とともに「戦後レジームからの脱却」の一環)
―「国民個々人のための教育」から「国家のための教育」(国家主義的教育)へ転換
第二次安倍政権―「教育再生推進法」制定を準備―教育の中央集権化―地方教育行政への
国の関与(指導)強める。
(自民党の新憲法草案は、国権に対しては「戦力不保持・交戦権否認」などの縛りをはずし、国民に対しては、国を支える責務を課し、公益・公の秩序に反してはならないことなど国民に縛りをかけるものに憲法を変質させようとし、教育基本法は改変を強行して、国が教員や被教育者に「国を愛する態度を養う」「道徳心を培う」などの目標を課し、旧法10条では「教育は不当な支配に服することなく」の語句の後に「国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきもの」となっていたのをカットして、「この法律及び他の法律の定めるところにより行なわれるべきもの」というふうに変えてしまった。ということは、教師は、生徒を一番だいじに思い、ひたすら生徒のことを気にすればよかった、それが、政府や国会や文科省などが決めた法律のほうを気にし、法令に基づいて権限を行使する文科省や自治体首長・教育委員会・校長の方を気にして、生徒の方は二の次ということになってしまう。例えば、それをそこで歌わせるのは、あくまで教育上生徒のためだと思って歌わせるのではなく、教育委員会や校長から国家の都合上「歌わせよ、さもないと処分するぞ」と云われるから歌わせる、といったように。)この教基法改定に伴って学習指導要領など教育内容を全面的に改変
「教育再生」―新自由主義的「経済再生」と合わせて―市場原理主義(弱肉強食の競争経済)にそくした人づくり―競争教育
「強い日本を取り戻す」(富国強兵)
「世界のトップレベルの学力」、「グローバル人材」の育成
「規範意識を身につけさせる」
「ゆとり教育」(遊びの中での学び)の廃止
教育の自由への介入(教員統制)を強める
イデオロギー(「安倍カラー」)―戦前的な国家主義思想に偏重(右寄り)
―「日の丸・君が代」強制
「国と郷土を愛する態度を養う」愛国心教育(国家安全保障戦略NSSに「高等教育機関における安全保障教育の拡充」などとともに盛り込む)
反「自虐史観」史観
「平成の学制大改革」―エリートには早くから詰め込み教育をし、飛び級を認め、大企業に役立つ人材を手っ取り早く養成。
グローバル人材―国際競争力強化に貢献できる人材―激しい格差競争によって少数のエリート育成
Ⅳ.二つの路線 以下各項とも①政権側路線②批判側路線
1、教育委員会制度
①政権側 「権限と責任の明確化」を理由に制度改変へ(地方教育行政法改正案)
自治体首長の介入をさらに強める―首長が委員も新教育長(教育委員長と教育長を兼務)も任命だけでなく罷免もできるようにする。(新教育長は子どもや教職員よりも、首長の方を気に)
首長は教育委員との協議会である「総合教育施策会議」を主宰し、教育行政の方向性を協議し、「大綱的な方針」として策定、学校の設置や廃止、教職員の給与水準、教職員の人事、服務監督、懲戒の方針など決定する―首長主導型教育行政へ。
文科大臣が教育委員会に「是正要求・指示」(国家統制強化)
教育委員会は首長の諮問機関か下請け機関化
国と自治体首長による教育支配・介入を強める(学校現場に対して「あれ教えろ」「これ教えるな」と)。
民主党と維新の会は教育委員会そのものの廃止(完全に、首長に権限を一元化)を主張
②批判側―教育行政に対する首長の権限が強まれば、「選挙目当ての教育政策を打ち出し、競争で学校を追い立て、思い付きで現場をふりまわすことになりかねない」と。首長の主導に懸念―「首長が暴走したら止められない」
元々の公選制(住民が委員を直接選挙、会議はすべて公開)に戻せばいい。
教育委員会を形骸化させたのは歴代自民党政権(文部省)がに国の方針を教育委員会に押し付けて自主性を奪ってきたからだ。教育委員会の機能と役割を強める方向での改革こそ求められる―住民の代表として自主性・政治的中立性・―首長らの政治から独立―を維持、教育の専門性の確保。
2、教育予算と学費
①政権側 少ない予算と高学費
民主党政権で高校無償化→安倍政権は所得制限へ(後退)
「適正な学校統廃合の推進」→教育予算を減額
②批判側 授業料無償の所得制限で教室内分断(「おまえの家は金持ち、俺の家は貧乏」と)
3、学級定員と教員数
①政権側 2014年度予算でも教職員定数は後退させている。
4、教科書
①政権側 検定基準・検定審査要領を改定
「国民としての誇りと自覚の回復」「伝統文化の尊重」や「愛国心」に沿った教科書に。
近現代史を扱う際に政府見解を書き込ませる(尖閣諸島は「我が国固有の領土であり、我が国が有効に支配し、領有権問題は存在しない」、竹島は我が国固有の領土」「韓国が不法に占拠」などと、政府の考え方をはっきり書かせる)。
近隣諸国条項(「国際理解と国際協調の見地から必要な配慮」―中国や韓国への「配慮」)はそのままにしつつ骨抜きへ
改定教基法(「教育の目標」―「国を愛する態度」などを定める)や学習指導要領の趣旨に照らして「重大な欠陥」があれば不合格に(「愛国心教育に反する」と判断すれば不合格に)
教科書会社が不合格をおそれて「侵略」「南京大虐殺」「従軍慰安婦」などの語句や記述など自粛・敬遠 (いわば「さわらぬ神にたたりなし」)
沖縄県八重山地区(石垣・与那国・竹富3市町)の教科書採択地区協議会が、中学公民教科書の選定に際して、石垣市教育長らが恣意的に規約改正・選定方法を改定して、現場教員側からは最低評価であった「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版を選んで、その採択を答申したが、竹富町教委はそれを拒否して東京書籍版を独自採択した(育鵬社版を採択しない理由―「沖縄戦や米軍基地に関する記述が非常に少なく、軍事抑止力を強調し、改憲へ誘導するような記述があり、また、男女差別的な記述、原子力発電容認の記述もあります。戦争で大きな被害を受けた沖縄だからこそ、戦争の恐ろしさや過去の過ちを十分踏まえた教科書で学んでほしい。育鵬社版はそれにふさわしいとはいえません」と)。それに対して文科省は地区内で一本化すべきだとして育鵬社版を採択するよう直接要求。採択制度の改変―文科省が自治体に是正措置を求められるように法改正へ。
②批判側
「教科書は政府広報じゃない」「教科書づくりの現場は確実に委縮する」
尚、「固有の領土」という言い方については、オーストラリア大学名誉教授のガバン・マコーマック博士(「転換期の日本へ」NHK出版新書)は「国際法上、そのような概念はない」「領土の論議にはなじまない異質な言葉である」としている。
5、歴史教育
①政権側
歴史認識 日本の戦争を肯定・美化―侵略戦争と認めるのは「自虐史観」だと
下村文科相「中国や韓国の学生たちと日本の学生たちが議論しても、議論ににもならない。日本の学生たちはしらないから」と。
日本史を高校で必修化―「日本人としてのアイデンティティー、日本の歴史と文化に対する教養を備え、グローバルに活躍できる人材を育成」「近隣との口論に勝つ人材づくり」をグローバル化教育の目標。②批判側
「相手が自国の主張ばかり教えているから、我々もと、政府の意地の張り合いを持ち込むよう」なものだが、「近隣との口論に勝つ人材づくりがグローバル化教育の目標ではあるまい。」(1月30日朝日社説)
世界史(現在は高校では世界史のみが必修で、日本史は中学の社会科でやる)はどうなるのか―「世界史と日本史を融合させ、近現代史を中心に世界の中の日本を学ばせるべき」(同上)6、道徳教育
①政権側 国の為に尽くし、上の言うことを(逆らわずに)聞く子ども(国家に都合の良い『品行方正な国民』)に育てる―愛国心と規範意識を教え込む
道徳を小中学校で「特別の教科」に(15年度から教科化)―市民道徳よりも、国が定める徳目を教えこむ(個人よりも「志ある国民」「品格ある国家」を重視、国家優先)
とりあえずは、この4月から新教材「私たちの道徳」(孔子・二宮金次郎・吉田松陰・坂本竜馬・石川啄木・加納治五郎・松下幸之助・日野原重明・山中伸弥・松井秀喜・澤穂希・内村航平・リンカーン・マザーテレサ・曽野綾子など偉人の生き方や言葉を集めたもの)を文科省が配布して主教材に(教育現場サイドの研究者からは「偉人伝など読むだけでは『自分は無理』と読み捨てることになりかねない」「子どもが自分の体験と結びつけて考えられるよう、教師が一層工夫する必要がある」との指摘あり。)規範意識を植え付けに力を入れる―いじめ対策・・・・厳罰主義(「別室指導」・「自宅待機」など。
内容や評価、教科書のあり方について、今秋をめどにまとめるように中教審に諮問。
貧困・失業による家族の崩壊、格差と選別の競争教育などから発生するいじめや退廃の問題には、上からの道徳教育で抑え込もうとする。
評価はどうするのか―ペーパーテストで評価するのか?記述式とは?②批判側
「国の考えを子どもに注入することで、自分の頭で考えない人間になったり、秩序に適合できない子が見捨てられたりする懸念がある」
「特定の価値観を押し付け」、国家に奉仕する人間育成めざす「戦前の『修身科』(忠君報国道徳)の復活だ」と。
道徳は戦前の軍国主義教育の反省から、特定の教科ではなく教育活動全体を通して行うこととされてきた。(その後文科省によって「道徳の時間」が設けられたが、教科としてではなく、また文科省作成の「心のノート」が教科書としてではなく配布され、数値などによる評価も行われないことになっていた。)
国の規範・道徳・秩序に従順な人材だけでは、自分の頭で考え、自分の意見をみち、自分から進んで人や社会に尽くそうとする人材が育たなければ社会の発展は得られない。
いじめ・体罰問題←学力競争から来るイライラ・ムカツキが不安感を他者に向ける。
人間不信、子ども同士、先生・父母の間で信頼感が薄れ、「一人ひとり尊重」意識も薄れる
日本社会に特有な集団の閉鎖性(内にこもる)―同調プレッシャーから来るもの―歪んだ規範意識―集団のルール(掟―「チクルな」)と社会のルールとのギャップ。
不登校・ひきこもり―学校に居場所がない→自分を追いつめる―解放が必要(「自分で生きたいように生きる、それだけでいいんだ」と)
居場所を作って「学びの場」を選べるようにする―多様な学び方
学校には行かなくても、フリースクール・フリースペース・ホームスクール等で
愛国心はわざわざ教えなくて自然と育つもの。教えなければならないのはむしろ「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」ということで、自国民を愛するように世界の諸国民を愛し平和を愛しましょう、ということだろう。
「国家安全保障戦略」に「我が国と郷土を愛する心を養う」などと明記し、わざわざ愛国心教育を行おうとするのは、ただひたすら自国のために命を投げ打って他国・隣国を敵として戦う気概を身につけさせようとするものにほかなるまい。つまり隣人・隣国を愛するどころか、(「ヘイトスピーチ」のような)憎しみと戦争を煽るようなものだろう(―筆者の私見)。
市民道徳は必要であり、シチズンシップ(市民性)教育―社会の自立した一員として自ら社会をつくる意識や国家や社会に批判的な見方ができる素養の育成―の方が重要。
7、テスト教育・受験教育
①政権側
全国学力調査(毎年4月、小6・中3対象)
―07年に始まり(抽出・希望参加)、13年から全員参加復活
14年度から「学校別成績」公表を容認
②批判側
全国学力調査・公表は「学校序列化」、「得点学力への偏重あおる」―地域・学校間に点数競争が激化、『平均点を上げろ』と追い立てられ、授業がそれに引きずられることになる、と。8、大学入試改革
①政権側
大学入試センター試験を見直し「達成度テスト」(複数回実施、成績をABCなど何段階かのランクを定め、それぞれの大学でどれかのランク以上から面接・論文・部活・ボランティアなどの活動内容をみて、やる気や将来性が感じられる者を選ぶ)に切り替え(「教育再生実行会議」案)
②批判側
全国高校607校からアンケート―53%が否定的回答。
全国高校の校長・大学の学科長への調査(ベネッセ教育総合研究所)では
「センター試験を廃止して大学入試を改革しても、高校生が積極的に勉強するようにはならない」という否定的回答の方が多く、「大学での進級や卒業の認定基準をもっと厳しくしたほうがよい」という回答が高校側・大学側とも大多数で、「高大7年間を通じた学びの向上が課題なのに」、入試制度のやり方を変えてもダメだというわけ。
9、大学・学術研究
①政権側 グローバル競争と産業界に貢献する大学に再編へ
大企 における先端研究を効率的に強化するために、一部のエリート大学にカネを集中するなど、大学の格差化・淘汰をいっそう進める。
教授会を弱体化し、学長に権限を集中する方針(学校教育法「改正」企図)。
②批判側 競争は学者・研究者にじっくり腰を据えた取り組みを妨げ、焦りや無理を冒して失敗・過ちを犯しがちとなる。これら①の安倍政権の教育改革―どれも問題を解決するどころか、教育のゆがみに拍車
ゆがんだ愛国心・競争心・歴史観を押し付ける
Ⅴ.望ましい教育 「学ぶことが、楽しく、喜びとなる」ような教育(教育学者・汐見稔幸)
教育の目的
①子どもに「生きる力」を育てること
読み書き、計算、話し聞く(対話力・コミュニケーション能力)
身体知識・自然・社会の基礎知識
自主性、工夫する力(知恵)、社会性(対人関係能力)、臨機応変能力・危機管理能力など(親や大人が「教え込む」のではなく、子ども同士が地域社会で遊びの中で試行錯誤しながら自然に身に付ける)
自分で目標を決めて(自分が一番したいことを見つけて)頑張る―マイペースで
②子どもを将来幸福にすること
③自ら社会をつくる意識や批判的な見方ができる素養の育成(シチズンシップ教育)いじめ等の子どもの異変対応―教師が1人で問題を抱え込まず、連携、学校全体で取り組む(情報や悩みを共有できる組織づくり)