米沢 長南の声なき声


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2014年03月01日

3月のつぶやき(上に加筆)
  6006
●辺りの田んぼは雪で覆われているが、農道はようやく雪が消え、久々に忘れかけた歌詞を思い出しながら徘徊。♪何のために生まれて 何をして生きるのか・・・・あ・あ アンパンマン ・・・・♪
●人間の3つの尊厳性
①かけがいのない自分の命をもち、自分を生きる。
②自分の自由意志をもち、自分の意志で自分の行為を選択―但し、自殺は他殺と同じく命を奪うことであり、倫理上禁じられる。
③自己満足の感情をもち、満足なら喜び楽しく、不満足なら哀しみ怒る。

②(自由意思)と③(自己満足感情)が無くなれば生きていても植物人間となってしまうことが明らかな場合は人工呼吸器など延命措置を拒否して死(「尊厳死」)を選択することはできる、
ということか?
●ALSに侵された若者の「僕のいた時間」というドラマ最終回。それを見て思った。人が生きる究極の目標は「生きること」それ自体にある、ということ。それを日々(「今日も生き通したぞ」と)達成するところにその幸せがあるのでは。幸福・「生きがい」とは、それぞれその人が何か(目標)を追い求め、それを達成して実感する自己満足にほかならないというのが持論だが、「生きること」それ自体を目標として日々それに挑み達成して自己満足が得られる、それでいいわけだ。
 傍から見れば「いったい何のために生きているんだ」「生きてる意味がない」なんて思われるかもしれないが、そんなことは余計なお世話だろう。幸福とか生きがいとかは、自分自身が実感するもの。たとえ客観的条件には恵まれていても、その人にとってはちっとも幸福を感じないという場合もあるし、逆に、条件は恵まれなくとも、自分自身ではそれなりに幸福感を得られているといった場合もあるのだ。
 認知症にかかった人でもそうだろう。さっき食ったばかりなのにそのことを忘れたり、自分の子さえ忘れてしまったり、何もかも忘れてしまうとしても、自分が生きていることを実感し自己満足することはできるだろう。だからこそ、それが満たされなければ腹減ったといって飯を要求し、食べた後間もなく忘れはしても食べれば満足し、無意識に生きがいも実感するわけだ、と思うのだがどういうものだろう。「吾思う、故に吾あり」(なんて考える思考力などなくなるか。それにしても)―「自分は今、果たして生きているんだろうか?」と思った、そのところで「生きている」ことが自覚できる?・・・・「空腹を感じる」、「ということは生きている証拠ではないか」と・・・・そんな思考も働かないか・・・・だとしても食べれば空腹はおさまって満足感は得られる(間もなくそれも忘れ、また・・・・ということになりはしも)。

 ドラマ(以前、朝ドラ「若葉」だったか?)で「生きるだけで丸もうけ」というセリフがあったが、人間「生きること」こそが最高価値なのでは。ALSであれ認知症であれ健常者であれ、皆んなそうだ。

 自己満足といっても、自分だけの自己満足に留まらず、(ドラマではALSの彼と結婚した健常者の彼女が互いに「私の隣にいてくれて有難う」と心を交わし合い、或いはひたむきに生きるその生き様が人を励まし共感を得られるならば、さらに深い生きがいと幸福感を感じることができる、というものではあるまいか。
 人間一人ひとり尊厳性をもつ―それは、それぞれ自分のなかに他に置き換えられないもの(自分の命・自分の自由意志・自分の自己満足感情)をもち、それ自身で価値をもつがゆえであって、世のため人のために役立つ立派な肉体的・精神的能力をもつがゆえではない。肉体的・精神的能力(記憶力・思考力・理解力・判断力)など衰え、失ったとしても、そんなのは・・・・。
 この俺も、認知症だからといって、プライドを傷つけるようなことをしてもらっては困るよ。
●3年前の「3月のつぶやき」を見返すと、11日以降は専ら震災の死者・行方不明が日毎に増えていく人数の記録日誌のようなものだった。今日11日あらためて確認すると、
     結局死者1万5,884人 行方不明2,633人
     震災関連死 福島1,660人、宮城874人、岩手434人
     避難者数26万7,419人、仮設住宅入居戸数10万4,051戸
     米沢・置賜地域への避難者2,200人
 復興はまだまだ。原発の事故収束もまだまだ。
 地震・津波は自然が引き起こしたもので、誰の責任というわけにはいかないが、それがいつ起きるかもわからないその(地震・津波の)多発国にわざわざ国策として、反対を押し切って原発を建てさせ使い続けさせた歴代政府・政権党(主として自民党)の責任は問える。細川・小泉らの元首相はその非を悔いて(その責任をいささかなりとも感じてのことと思われるのだが)安倍首相に即時脱原発に踏み切るべしと提言した。にもかかわらず安倍首相らはそれに耳を貸さずに、再稼働・外国輸出を思い止まろうとはしない。福島県のいまだに14万人もの避難生活を強いられている人たちの苦難、1,660人もの原発関連死、その責任を現政権のだれも負おうとしない。それを許している選挙民、責任を問おうとしない選挙民・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●一日おいて今日も吹雪、♪突然 偶然 それとも必然・・・・雨のち晴レルヤ♪♪おいら岬の 灯台守は・・・・喜び悲しみ 目に浮かぶ 目に浮かぶ♪♪北の町ではもお・・・・襟裳の春は 何もない春です~♪
 帰路、人家のない道路の片側だけの歩道を向こうから吹雪の中を人影が一つ、中学生か高校生の女の子、歌をやめて近づくと、立ち止まってこちらに背を向けうつむいて何かを。どうかしたかと思いきや、スマホン。誰かと連絡でもとっているのか。
 人家が並ぶあたりまで来ると向こうから小学生の一団。雪玉を投げ合いながら声をあげて走ってくる。「元気だな!お帰り!」と声をかけてやった。
●三日続いた吹雪の中の散歩。昨日は歩道もそれ用の除雪車が除雪していったようで、そこを歩いていて一か所だけ埋もれていた側溝に足を取られて危ないところだったが、今日は学校は休み。学童たちを心配することもなく、思い切り歌を唄いながら歩いたら、吹雪は何の苦にもならなかった。歌は「雨のち晴レルヤ」「喜びも悲しみも幾年月」「襟裳岬」「千の風」「銀色の道」、ああ、いい自己満足だったな。
●朝ドラ「ごちそうさま」、長男息子の泰介に赤紙が来た。最後の夜、母につぶやいて曰く、「僕はこの時代を絶対に許さない」「この国を変えてみたい」「生きていたら這ってでも帰ってくるから」と。(ジーンときたな)
 安倍首相やNHK役員らのような感覚なら、「その時代はしかたなかったのだ」とか「敗れはしたが、軍民ともによく戦い、よく頑張った」などと肯定・美化し、或いは「この国を変えたい」と言ってこともあろうにその時代に戻そうとする魂胆。それこそ「絶対許してなるものか」だ!
●散歩に出たら吹雪。いつものコースだが、小学校から片側だけの歩道はずうっと雪で埋まって漕いで歩かなければならない状態で、街外れから彼方の集落まで人家のない道路の片側歩道を、雪原から吹き付ける地吹雪の中、この後しばらくすると下校する小学生たちが歩いてくる彼らのためにと思って道付けをしながら同じ道を行って戻ってきた。歌はやっと憶えたばかりの「雨ノチ晴レルヤ」(朝ドラ「ごちそうさま」のテーマソング)。
●そのうち病気やなんかで体が動けなくなったらと思う。教え子で、公務員定年前にALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹って7~8年にもなるという卒業生がいる。見舞いに行って話しかけても、耳は聴こえ、目は薄目ながらに見えているのかだが、口は動かず話は返ってこない。一年以上も行っていないが今どうしてるだろう。
 テレビ(さくらんぼ)で、このところ毎水曜日10時から「僕のいた時間」というドラマをやっている。難病のALSに罹った若者が主人公。
 インターネットで「ALS患者の生きがい」と検索してみると、「ALSブログ」のサイトに「ALSを発症、その割には幸せ!ALSをしなやかに生きる」「しあわせ生活のみつけかた―難病ALSの私」「ALSそして僕の生きる道」等いろいろあった。こんな難病にあっても懸命に生き、そこにどうにかしてそれなりの幸せ・生きがいを見出している人もいるんだな。
●今朝のニュース山形版―「スマホ利用について山形県内公立高校1年生からアンケート、持っている人97%、うち依存症に陥っている人7割(「高い」「中ぐらい」合わせて74%)」 
 爺々はこのパソコン以外は何も使っていないが、孫どもが心配だ。
●このブログで自己主張はしているが、自慢・いいふり(自画自賛)するのは好きじゃない。自分が人様よりまともだとはさらさら思ってはいないし、むしろバカ(愚か者)だと思っていて、そのバカさ加減を人にさらして隠そうともしないバカなのだ。
 自分にも、自分の家族・生まれ育った故郷・自分の国にも人並みに愛着は持っているが、自分のほうが他よりも尊く、ましだとか、まともだなどと思ったり、よそ者、よその国を見くだし嫌悪する気持ちは子供の頃からなかった。あちこち転住・転校を繰り返して、自分のほうがよそ者だったせいもあるかな。
 身びいきしたり、よそ者・よその国を疎んじる気にはなれないたちなんだな。
 自分(自国)を人(他国)よりも上に置き、人(他国)を見くだしけなす人間、自分の非を認めず(或いは他もやってることだなどと言いわけし)、(「それよりも」と言って)相手の非を責めたてるような人間は(そういうタイプの政治家その他、よくいるが)好きになれないんだな。
●「風化」―忘れ去ること。
 時が経てば記憶が薄れ、或いは体験して記憶する生存者はだんだん減っていなくなる、それは自然のなりゆき。だから、そうならないように意図的に(記念行事など企画して)記憶を呼び戻し合う機会と場を設ける必要があるわけ。
 ところが、意図的にその記憶を消し去ろうとし、忘れさせようとする者もいるわけだ。
  原発事故・侵略戦争・植民地支配・強制連行・南京大虐殺・ホロコースト(ユダヤ人虐殺) 
  従軍慰安婦―軍の関与―証拠書類はほとんど降伏時に焼却されて現存していないのをいいことに「証拠がないではないか」と強弁                       
   「はだしのゲン」図書館から撤去、今度は「アンネの日記」を何者かが破く
 こうして「・・・・を知らない子供たち」をつくって、ただひたすら「日の丸・君が代」だけは愛する臣民をつくろう、という魂胆なんだな、どうやら。


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