米沢 長南の声なき声


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安全保障―二つの路線(再々加筆版)
2014年02月19日

現状理解―安倍政権は「東アジアの安全保障環境が厳しさを増し」(だから、日米同盟体制・軍事戦略を強化しなければ)というが
 かつての冷戦時代と違って、安全保障・環境・エネルギー問題が共通のものだという認識が広がり、イデオロギーの違いも小さくなりつつある。
 かつての「パクス・ルッソ・アメリカーナ」(米ソ覇権下の平和)→「パクス・アメリカーナ」(「アメリカ覇権下の平和」)→今や多極化
 あらゆることが変化している。なのに依然として冷戦期につくられ、今や壊れかけている安全保障の基本構造にしがみつく時代錯誤的な傾向も.
(1)中国
 経済成長→経済大国化(日本を追い越し、世界第2の経済大国に)おのずから軍事費(兵士の給料・装備費など)も増大(日本も経済高成長にはそれに比例して防衛費も急増)。
  (日本は高度成長期60~80年20年間で防衛費は31倍に。中国は94~14年20年間で14.7倍。
  中国のGDP前年比7.5%増は物価上昇を差し引いた実質増なのに対して軍事費の前年比12.2%は額面の名目増だから単純比較はできない。中国の軍事費の対GDP比は1.3%。日本の防衛費は1%と大差なく、アメリカ4%台よりは格段に少ない。不透明で計上されていない部分があるといわれるが、それはどこの国も同じで他の項目に入いっていてそこには入れていないものがあると考えた方がむしろ)

  アメリカと密接な経済相互依存関係(日本を抜いて最大の米国債権保有国)―互いに戦略的パートナーとして戦争はできない(衝突は避ける)関係に
  日本とも(日本にとって中国は最大の輸出入相手国)
   しかし、中国国内には深刻な貧富格差、多民族地域間に格差・軋轢、環境破壊・悪化など抱え、大量の諸資源を軍事に割く余裕はない。
 尖閣と沖縄をめぐる日中関係史(参考―ジョン・W・ダワー、ガバン・マコーマック共著「転換期の日本へ」NHK出版新書)
   江戸時代、沖縄は琉球王国と称し、日本(薩摩藩)と中国(清)の両方に服属 
  1871明治政府、琉球王国を琉球藩に(第一次琉球処分)
   1879       沖縄県に(第二次琉球処分)
                     これに清国政府が抗議(グラント米国大統領が調停しようとする)
   1880明治政府、清側に対して中国内地通商権(西洋人と通商上同等な扱い)を認めてもらうことと引き換えに、沖縄本島から南の先島諸党(尖閣はその一部)を分離して割譲する条約案(「分島改約」)提示するも(清側は琉球を3分し、奄美諸島は日本領とし沖縄本島は独立王国とし先島諸島は清に割譲する対案)ともに不成立
   1885古賀氏、尖閣諸島の開拓許可を求められた沖縄県が国標設置を明治政府に要請するも不許可(清側を刺激しないように)。
   1895(日清戦争中)国標設置を決定(無主地として日本領に編入)
   清国、日本に敗れ下関条約で台湾を日本に割譲、沖縄も尖閣諸島をひっくるめて日本領に。(しかし、清側代表の李鴻章は「琉球は中国領ではなく日本領でもない。琉球は独立国だ」と)
   1896明治政府は尖閣の島々を古賀氏に貸与(以後1940年頃まで島に留まる)
   日中戦争中、蒋介石、沖縄を中国領とするか信託統治領とすることを企図
   太平洋戦争末期、沖縄は米軍が占領
   1951サンフランシスコ条約で日本が主権回復(沖縄は除外)
1968国連(ECAFE)尖閣諸島の海底に石油・ガスが埋蔵されている可能性ありと。
   1972米国政府、沖縄の施政権を日本に返還―それにともない尖閣諸島も沖縄県の一部として日本側に―これに対して中国・台湾政府も抗議
   (この間、沖縄=琉球そのものの帰属問題は法理的には決着がついてはいないと見られる。尖閣はその中での問題)
      尖閣5島のうち2島は米軍が射爆場として管理
   同年、日中首相(田中角栄首相・周恩来首相)会談―尖閣の帰属問題は「棚上げにしよう」ということに。
   1974古賀氏、尖閣(3島)を栗原氏へ譲渡
   1978鄧小平、日中平和友好条約の批准書交換のため来日、尖閣「棚上げ」を再確認。
   2008福田康夫首相と胡錦濤主席「東シナ海を『平和・協力、友好の海』にする」と。  2009鳩山首相、胡錦濤に東シナ海を「友愛の海」にと。
   2010尖閣沖で中国漁船、海保巡視船と衝突事件
2012.4月石原都知事、尖閣3島を都が買い取ると表明
     7月野田首相、日本政府が買い取ることとし、国有化、これに中国が反発。

  中国の海洋進出
    日本側から見れば中国の海洋覇権の野望に見えるが、ガバン・マコーマック氏(前掲書)によれば「日本は、中国海軍が近海、特に大隅海峡と宮古海峡を通過することを快く思わない。中国の目には日本が支配する長く延びる列島は、まるで万里長城の海洋版に見える。また、今まで何もなかった南西諸島に軍を配備する動きは、中国として気にならないはずはない。」「中国は、自由にアクセスできる太平洋への通路が(宗谷海峡・津軽海峡・大隅海峡・宮古海峡・バシー海峡に)限られているため、非常に不利な立場にいる」と。

  1982年国連海洋法条約―公海の多くを各国の(領土に接する)排他的経済水域(200海里=370kmまで)に分割―長い海岸線や島々を領有する国々に海洋資源の所有権などの特権を認める(同水域には領海基準から最大650kmにまでおよぶ大陸棚の権利も与えられる)―米(同国の排他的経済水域面積は1135.1万k㎡で世界一位)・英・仏それに日本(447.9万k㎡で世界6位の面積)などに有利、中国(87.7万k㎡で32位)は不利。
  そこで、中国は東シナ海・南シナ海の大陸棚の権利と島の領有権を主張
  以前は人の住まない小島とともに顧みられることのなかった水域が油田・ガス田その他
海底資源が価値をおびるようになり、その確保をめざすようになった。
  南シナ海は中国・フィリピン・ベトナム・マレーシア・インドネシアなど各国の領海が錯綜して重なり、島の領有権も不明確で、それぞれに権利を主張し合っている→「縄張り争い」
  尚、南沙諸島は、かつて日清戦争で台湾が日本領となり太平洋戦争開戦時、日本が台湾に付随する島として領有宣言したが、戦後台湾放棄にともなって中国(国民党政権)に返還したという経緯がある。
(2)北朝鮮
 異常な国家体制その歴史的背景
  ①日本の植民地支配―未だに清算されておらず
  ②南北分断→米韓軍と中朝軍が朝鮮戦争(惨害―第2次大戦中、日本の都市に投下されたよりもずっと多くの爆弾が北朝鮮に―死者200万人以上、原爆投下の恐れもあった。
停戦協定は結ばれたものの戦争終結はしておらず(未だに戦争状態に)。
  ③ソ連・中国も韓国と国交―北朝鮮は反発、独自の核・ミサイルにすがるようになる。

 米・韓・日本(圧倒的に強力な敵)に対して体中にピンと針(ミサイル)を立てて身を守ろうとする「ハリネズミ国家
  米・韓・日本側の強硬措置→核・ミサイル開発に駆り立てられるも侵略攻撃能力はなく威嚇用
 朝鮮戦争(停戦状態)の正式終結(平和協定)のうえ、国交正常化を望む
 しかし、米・韓・日本側は北朝鮮の核・ミサイル放棄、拉致被害者の解放が先決だと。
「正常化」交渉(米朝・6ヵ国協議)挫折→「北」はミサイル・核実験を強行→制裁措置・米韓合同軍事演習→「北」ミサイル・核実験へ(繰り返し―悪循環)
(3)対中国・対北朝鮮―緊迫―外交関係も国民感情も(反日・反中・嫌中・反朝)悪化―国民の不安―武力攻撃事態になったらどうする
  対中―尖閣問題、靖国参拝・歴史認識問題
  対北朝鮮―核ミサイル問題、拉致問題

(4)二つの路線
軍事的安全保障路線
 「国防」防衛力・軍事的抑止力の強化(「防衛」とか「抑止力」とかレトリックのオブラート表現)―自衛隊・日米同盟の強化
  米軍基地・核の傘を維持
 「強い日本」(富国強兵)→「毅然たる」外交
 (強硬外交―「対話と圧力」、かけ引き)
 「積極的平和主義」(平和主義と矛盾する詭弁的用語)―海外派兵・「集団的自衛権」行使(自国が攻撃されてもいないのに、同盟国あるいは「密接な国」だから加勢しなければならないと、これまでアメリカが行ったベトナム戦争・アフガン戦争・イラク戦争などに際して自衛隊ができなかった参戦・戦闘行為ができるように)容認(「戦争放棄」・「専守防衛」だったのから海外でも「参戦・武力行使できる国」へ)解釈改憲へ。
   {尚、安倍首相が集団的自衛権の行使を容認しようとする、そこには「集団的自衛権の行使が実現できれば、日本も米国を守ることができるようになって、日米安保体制も『片務性』から『双務性』へと、『真の独立国家』として相応しい対等な日米同盟に近づけたい」という思惑があるとみられる。また安倍政権の安保政策に関わる有識者会議のメンバーの中には「日本が集団的自衛権を認め、米国が関わる戦争で自衛隊が米軍と一緒に戦う覚悟を示せば、米国を『尖閣有事』にも巻き込み、「あんな岩礁のために戦いたくない」という米軍兵士でも戦わせられる」などと考える向きも(3月3日朝日『集団的自衛権 読み解く』)。 
 しかし、たとえ「相互防衛義務」はあっても、それだけでアメリカは「あんな」離島の争奪戦のために日本に加勢して簡単に参戦するような国ではなく、あくまで国益で判断して(議会が承認して)決する国なのであって、そのアメリカ議会を動かすだけの説得力には乏し過ぎるだろう。
 「双務性」とか「対等な同盟」と言っても、自衛隊が在日米軍並みの基地と駐留部隊をアメリカに置いてアメリカを守ってやるようにして双方同じやり方で守り合うなどということはアメリカにとっては考えもしないことであり、日本がアメリカに対してそこまでしなくても、ただ日本国内に基地を置かせてもらい、自衛隊がそれを守ってくれて、その基地経費まで負担してもらえれば、それで十分なのである。日米関係を対等な関係に改め、我が国を「真の独立国家」としたいのであれば、むしろ日本から米軍基地を撤去してもらったほうが得策なのである。
 米国に向かうミサイルを日本で迎撃してアメリカを守ってやるなどといっても、そんなのは(高高度を高速で飛ぶのを撃ち落とすなど)技術的に不可能であるだけでなく、そもそも「実際にアメリカを攻める国などあるのか、机上の論理はともかく、アメリカを攻めたらどの国も逆にやられるのだから、そんな国があるわけない(荒唐無稽な話だ)」と批判している向きが自民党の有力議員の中にさえある、という。}     
  武器輸出三原則の転換(武器輸出禁止原則の撤廃)も 

   問題点―軍事対立から衝突―戦争へエスカレートする危険
      戦争になったら勝てるのか、勝っても軽微な犠牲では済まず破滅的な悲惨な結果を招くことにならないか。
       軍備(兵員・兵器・基地・軍事演習など)を「抑止力」というが、相手側からみれば、それはかえって脅威・威嚇・挑発とも受けとられ、攻撃を誘発する結果となる―南西諸島など島に配備すれば、そこが攻撃目標にされる。
平和的安全保障路線
 戦争の原因(火種)を取り除いて武力攻撃事態を招かないように、どの国とも平和友好・親密外交  (徹底した対話・協力、それによって信頼醸成―互いに欺かず信義・信頼を以って交わる)―憲法の平和主義路線
  軍備縮小・撤廃、核兵器の禁止・全廃
  従属的な日米同盟(安保条約)を解消して(その気になれば、10条規定により、日本政府が米国政府に通告すればその後1年で廃棄でき、沖縄はじめ日本全土から基地撤去できる)、対等・平等な日米平和条約を結び直す
 東南アジア友好協力条約(TAC)―ASEAN諸国と日・中・韓・印・豪・米・ロ・ニュージーランドなどの諸国が加入―不戦条約―紛争の平和的解決(紛争を戦争にしない)・武力不行使・内政不干渉を約束―軍事的手段、軍事的抑止力に依存した安保から脱却へ、対立・差別的な関係ではなく、それぞれの違いを認めつつ対等・平等な共同体的関係をめざす―2015年ASEAN共同体―経済統合へ
 このような不戦条約・地域平和共同体を北東アジアにも(05年9月日米韓中ロ6ヵ国協議は「共同声明で朝鮮半島の非核化、核・ミサイル問題・拉致問題・「過去の清算」など諸懸案の包括的解決はかることにしていたが、それを実行して)。
      尖閣諸島を含む東シナ海を「平和・協力の海」―武器禁止水域、共同で資源開発へ

 安倍政権は前者①(軍事対応路線)一辺倒に近い―対中国・対北朝鮮対決路線
   対中冷戦思考と軍事最優先の思考方法に囚われている。
   尖閣―領有権問題はずうっと棚上げにしてきたのが、2010年日本政府が民間所有者から購入して国有化し日本領と断じ、中国との間で「領土問題は存在しない。したがって交渉の余地なし」(いわば問答無用)と(そう言いながら「対話の扉はいつも開いています」と)―これに中国は反発、尖閣海域に海警局の監視船を度々出動させる(日本側は領海侵犯の挑発行為として非難)

      安倍首相「尖閣海域で求められているのは、交渉ではなく・・・・物理的な力です」(これに対して中国人民解放軍の羅援少将「尖閣海域に軍を配備し、必要とあらば主だった三艦隊を結集して鉄拳とし、日本の刀を受けて立つ」と。)
   靖国参拝を強行―「国のために命を落とした英霊に尊崇の念を表すのは当たりまえ。わが閣僚はどんな脅しにも屈しない」と対決姿勢。
   歴史認識(「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」として、中国への侵略戦争を否定ともとれる発言)に中国は反発(アメリカからも批判―米国議会の調査報告で、安倍首相の歴史認識は侵略の歴史を否定する修正主義的傾向)と)
   中国・北朝鮮に対して盛んに脅威論(脅威を煽る)→敵対的対立、「封じ込め」を強めて軍事体制増強を正当化

①と②のどちらが現実的効果的か、どちらが危険か、
    国民(生命・財産)にとって、どちらがより安全が保障されるか、である。

 参考―ジョン・W/ダワー、ガバン・マコーマック共著「転換期の日本へ」NHK出版新書


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