米沢 長南の声なき声


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マスコミ各社の安倍政権との遠近(再々加筆版)
2014年01月03日

 各政党の秘密法に対する態度で、安倍政権に対する遠近の度合いが分かった(自公は政権与党だから分かりきっているが、「修正協議」談合に応じた維新・みんなの党とも「すり寄り政党」「翼賛政党」と見なされる)が、マスコミ各社も秘密法に対する見方(論調)と報道の仕方でそれぞれの報道姿勢・スタンス―政権と国民間のどの立場に立っているか―がわかる。
 NHK・読売・産経は政権寄り。朝日・毎日は批判的で、日経もやや批判的。東京新聞をはじめ地方紙の大部分も批判的(社説で反対論)。
 NHKは、首相や政府与党、野党でも修正協議に応じている維新・みんな各党の要人のコメントをそのまま流すか、その見解をなぞるだけで、他の野党の反対意見はちょっとだけ出して、あとは自公・みんな・維新各党間の修正協議のなりゆきを追い、政局の動向を伝えるだけで、独自に法案の中身・問題点を掘り下げ、本質に触れた論評はほとんど見られない。

 読売―「与野党の修正案は評価できる」(11月23日社説)、「与野党の枠を超えた多くの支持によって衆院を通過したことは評価できる」(11月27日社説)、「秘密保護法成立 国家安保戦略の深化につなげよ」(12月7日社説)
 産経―「成立に向け大きな前進だ」(11月27日社説)、「秘密保護法成立 適正運用で国の安全保て 知る権利との両立忘れるな」(12月7日社説)
 朝日―「民意おそれぬ力の採決」(11月27日社説)、「秘密保護法成立 憲法を骨抜きにする愚挙」(12月7日社説)
 毎日―「民主主義の土台壊すな」(11月27日社説)、「特定秘密保護法成立 民主主義を後退させぬ」(12月7日社説)
 日経―「『知る権利』揺るがす秘密保護法成立を憂う」(12月7日社説)
 東京新聞―「秘密保護法が成立 民主主義を取り戻せ」(12月7日社説) 

 読売とNHKは、メディア総合研究所から「最大の発行部数を誇る読売新聞、公共放送であるNHKでは十分な報道が行われているとはいいがたい」と批判されている(同研究所が11月18日に報道各社に出した要望書で)。

 安倍首相のメディア戦略―アメとムチでメディアをコントロール
 主要新聞・放送キー局首脳(会長・社長)や政治部長・論説・編集・解説委員らと相次いで会食―欧米では「ジャーナリストの政治家との会食は堕落の象徴だ」とされている。
 テレビには、ニュースや情報番組・バラエティー番組にさえ積極的に生出演―アベノミクスや重要政策をアピール、政策から趣味にいたるまで気さくに話し、外遊の模様など「獅子奮迅ですね」と女性キャスター(某紙の記事)。マスコミをまさに自らの宣伝機関としてフル活用。
 圧力―参院選の時期、TBSに対して取材拒否(出演者の発言を理由に)
  NHK(予算は国会の承認を受けなければならず)に対する政治介入―01年(官房副長官当時)従軍慰安婦関連番組でNHK幹部に持論を展開したうえ「公正中立の立場で報道を」と。この問題で07年東京高裁、判決で番組改変に安倍氏の関与を指摘。
 直接、介入・干渉は受けなくても、現場は圧力を感じて委縮、NHK幹部は予め政権与党の意向を忖度して、その意に沿った報道や番組編集を指示(「自主規制」)
 現政権与党は、それでも原発やオスプレイなどの関する報道内容には「偏っている」と批判。

 NHK経営委員会に首相寄りの委員を送り込む―
  百田氏―自民党総裁選で「安倍総理大臣を求める民間有志の会」発起人。首相の靖国参拝を「安倍さんは参拝するという思いをずっと持っており・・・・。国のために亡くなった英霊に手を合わせ、感謝の念を捧げるのは国民の代表として当然だ。中国や韓国が批判するのは内政干渉にあたる」と。また、改憲に反対する人たちを「妄想平和主義」と呼び、ブログに「もし他国が日本に攻めてきたら『9条教』の信者を前線に送り出す。そして他国の軍隊の前に立ち『こっちには9条があるぞ!立ち去れ!』と叫んでもらう」などと。
 そして「NHKが日本の『国営放送局』として国民のためになる番組や報道を提供できる放送局になれば素晴らしいことだと思う」と(NHKは国民の受信料で成り立っている公共放送局なのに)。
 長谷川氏―「日本会議」(靖国派団体)代表委員で、百田氏とともに「安倍総理を求める会」の発起人。明治憲法を称揚し現行憲法を攻撃。
 本田氏―安倍首相の小学生時の家庭教師で「四季の会」(首相を囲む経済人の会)のメンバー。
 中島氏も「四季の会」の主要メンバー。
 この度、経営委員会でNHK会長に選出された籾井氏(三井物産出身)は「憲法改正や特定秘密保護法について首相が言っていることは当たりまえ」と。

(尚、これらのことはインターネットで調べられる。)

 報道には「客観報道」(主観を入れずに客観的事実を伝える)原則があり、公共放送には「公正・中立」「不偏不党」「自立性」等の原則がある。NHK自身の世論調査では、放送の「公平・中立」が「実現している」と評価している向きがかなり多い(77%)が、はたしてどうなのか?
 マスコミの「不偏不党」「公正中立」といっても、量的に公平・均等配分とか左右どちらにも偏らずに距離的に中間ということではなく、各マスコミとも政権から距離を置き、権力や政党からフリーで自立している、その自立こそが中立なのだ。
 「NHK問題を考える会」や「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」などの市民団体あたりからは「政府の広報放送」「安倍政権の報道官のようだ」などといった批判が相次いでいる。 
 朝日川柳(12月28日)には次のような一句があった。
  「NHK 安倍一族に乗っ取られ」
 某紙には(「みなさまの公共放送」ならぬ)「あべさまのNHK」とあった。

 安倍首相が利用しているメディアにもう一つツイッターやフェイスブック(それは誰のものでも、基本的にファンしか集まってこない)がある。これによって「いいね!いいね!」という支持・賛同の「声なき声」が大量に寄せられ、勢いづけられるのである。(首相の靖国参拝は「ヤフー」によるネット調査では約8割の人が「妥当」だと支持を寄せ、フェイスブックの「いいね!」ボタンは4万回押されたそうな。)
 コラムのリストの小田嶋隆氏はその訳けを次のように解釈している(12月29日・朝日オピニオン欄)。「(彼らは)参拝の是非より、首相が信念をもってやったことを支持する。事のよしあしはどうあれ、きっぱりした決断力・実行力に国民が反応するということが如実にある。多くの人は、おそらく、首相の靖国参拝自体、何それ、という感じかも・・・・。それより、中国や韓国にいろいろ言われるのは不愉快だという気分の方が大きい。事情も聴かずに『そこ、もめないで』と学校の先生みたいなことを言っている米国も面白くない。だから、諸外国の顔色をうかがったりせず、毅然として参拝したことに たくましさを感じる国民も一定数いるのでしょう。
考えてみれば、リーダーに決めてもらいたいというのは、自分で考えずに丸投げすることになる。(それは)民主主義国家として健康とは言えない。民主的に決めようと思ったら、複雑だし、迷いもあってぶれるし、時間がかかる。決断は煮え切らないもの。
 今回の出来事は、安倍さんが自信をつけて、戦後民主主義の全否定へと露骨にかじを切った、分水嶺だった、と後に振り返ることになるかもしれない」と。

 
 ニュースは客観的事実を伝え、キャスターや記者の私見(主観・意見)を入れてはいけない、という。記事・報道はあくまで事実に基いて報じなければならず、憶測や推測に基づいて報じてはならないというのは、その通りである。
 しかし、「事実をありのままに」といっても、それが真実とはかぎらない。安倍首相の発言をそのまま流せばいい、とは言っても、彼の言い分(例えば、「福島の状況はコントロールされています」とか「汚染水は湾内で完全にブロックされています」とか)が、はたして正しいことを言っているのか、真実なのかはわからないし、そのまま流したのでは広報・宣伝にしかならないのであって、検証が必要であり、他の反対意見や異なる見解も聞き、裏付け取材も必要である。国民にとって必要なのは(国民が知りたいのは)真実・真相である。
 ところが真実か否かの判断には、その人の思い―主観―がともなう。だからこそ、「真実を伝える」などというのはしょせん原理的に成立しないのであって、それがはたして真実か否かなど判断を入れずに事実だけをありのまま伝えるしかないのだ、ということになりがちなのである―「客観報道主義」。
 しかし、報道する側は、伝えるべき事実を取捨選択して(カメラやマイクを向けたり、取材する対象―映像・発言者・情報取材源・データなどを選び取って)伝える、そこには、やはり編集委員・ディレクター・キャスター・記者などの意図・主観が入る。つまり、彼らそれぞれの思い・考え・都合(政権与党やスポンサーなどの圧力とそれへの忖度)によって、どれをどれだけ取り上げるか、取り上げないか、選り分けられるのである。少数派の発言・集会・デモなど、どんなに頑張っても取り上げてくれない場合が多い。「公正・中立」「不偏不党」などと言いながら、けっして公平ではなく、偏ることが多いのである。
 要は、伝えようとする送り手(局や社)の幹部・記者とりわけ幹部・編集委員しだいなのである。彼らがどの立場に立っているか―国民・庶民・弱者か強者・財界(企業経営者)・政権与党寄りか。我々庶民にとって大事なのは国民・庶民の立場に立って真実を(単に表面的な事実だけでなく、問題点と本質・核心をなす事実・真相)を指摘し伝えてくれることである。
 「(福島の)状況はコントロールされている」というのは本当なのか嘘なのか「真実」判断には判断するその人の思い(主観)が入るかもしれない。首相は、その「思い」からそれが真実だと思ってそう言っているが、それは福島の人々の思いからはかけ離れている。また、安倍首相はアベノミクスで「経済の好循環」に向かいつつあるというが、それは大企業・財界・証券業界・大企業労働者・大規模農業者など富裕層か、それとも中小零細企業とその従業員・小規模農家など庶民か、誰にとっての「好循環」なのか。
 1月7日にはNHKニュースウオッチ9も報道ステーションも経団連など経済3団体の新年祝賀パーテー(首相も出席)のニュースで、何人もの企業トップへのインタビュー。いずれも景気の好い話ばかりで、まさに財界・大企業の立場に徹した報道ぶり。
 一方、インターネットでしか見られないテレビ放送で「デモクラTV」というのがあり、そこに立教大経済学の山口義行教授が出演して次のように語っていた。
 「今は、復興需要や「国土強靭化」の公共事業と消費税引き上げを前にした駆け込み需要で活況を呈し、「金融緩和」操作による円安で株価が上がって儲かっている一部の人はいるが、自動車など輸出が増えて儲かっているとは言っても、それは金額上だけで、台数は増えておらず、部品下請け中小企業には恩恵が及んではいない。円安が続けば輸入産物の価格・コストが上がり、そのうえ消費税が上がれば、価格に転嫁できない中小零細業者や給料の上がらない労働者ら庶民のアベノミクスに対する淡い期待は失せ、一機に失望・不満へ転じるだろう。そうなったとき安倍政権の支持率は急落するだろう」と。
 メジャーなマスメディアとマイナーな一インターネットTVのどちらが、国民・庶民の立場に立って正鵠を射ているだろうか。

  マスコミは、首相や財界・大企業トップの言うことをそのまま流して済ませるのではなく、福島の住民の立場に立ち、或いはまた庶民の立場に立って真実を判断・確認して、国民に真実を伝えなければならないのだ。

 いずれにしても、ジャーナリズムの原則は国民の立場に立って「権力の監視役」に徹することなのであって、権力に迎合・追従し、政府の応援団役とか広報・宣伝機関役に堕するようなことがあってはならない。とりわけ今、安倍政権の暴走に対して、この原則に徹して然るべき役割を果たせるかが問われており、マスコミ(日本のジャーナリズム)を我々国民が監視(自分<国民>の立場に立ってやってくれているか、権力の監視役を果たしているかを監視)しなければならないのだ。

 学校教育・授業も同じ。当方は在職中、社会科(世界史・日本史・政経・倫理)を担当していたが、それぞれの事項について、自分の考え方はあっても、生徒には、こういう事実・実態があるとか、あったとか、それについてはこういう見方・考え方があり、違う見方・考え方もある、という教え方をし、自分の考えを押し付けないように心掛けた。(教科書は選んで生徒にあてがったがだが、あまりとらわれず、色んな教材・史料集や資料を使い、ビデオをNHKなどのドキュメンタリー番組をダヴィングして、よく見せたりした。)
 教育とは、生徒に将来にわたって、無知・無関心に乗じて、虚言・巧言・デマ・トリック・マジック・迷信・「エセ科学」・世論誘導などに引っかかって騙されないように、知識を身につけ、真実を見極め、嘘を見抜き、本当か嘘かを見分ける力と方法を身につけさせることである。政治権力者やそれに同調するメディア、それに教師からも騙されないように。(首相や文科大臣がその価値観・イデオロギーで「日の丸・君が代」だの「愛国心」だの「非自虐史観」だの特定の教育内容を押し付けてくる、それに同調、或いはおとなしく従って教え込もうとする教師から騙されてはならないのだ。かつての軍国少年のように。)

 プロパガンダ(宣伝・広報―教化―世論誘導―自らの意図に沿うように人々を仕向ける)と報道・教育(情報提供・伝達し、理解を助ける)の違い―政治家や広報・宣伝機関がやるのはプロパガンダであり、ジャーナリストや教師がやるのは報道・教育。
 安倍首相や政権与党はマスコミや学校教育(教科書)を、自分の政策・理念を基準(尺度)にして「偏っている」とか「いない」とか評価(検定)して、自分の意に沿うようにして利用しようとするが、マスコミは政府・権力者と癒着・迎合してその広報・宣伝機関に堕するようなことがあってはならず、あくまで国民(その良心的部分)の立場に立ち、権力に対する監視役に徹して独自の判断に基づいて報道を行うべきなのである。
 自民党の石破幹事長は、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更について「世論調査で、(国民の)半分以上の方々が『そうだね』と言っていただけるところまでもっていかないといけない」とある民放テレビ番組で述べたそうであるが、彼らはそのように世論誘導すべく、マスメディアを巧く利用しようとしている。そして、メディアのなかには、それに応じるものがあるのだ。週刊文春の読者アンケートは、なんと「参拝支持75%」、こんなことになったりしているわけだ。
 政治権力だけでなく、そのようなマスメディアをも、我々は監視しなければならないわけで、当方などは(あまりにも無力ではあるが)そんなつもりもあってやっており、それがライフワークみたいなもんだとさえ思っている。


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