米沢 長南の声なき声


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我が国は「普通の国」でよいのか
2013年11月25日

 NHKの日曜討論で自民党の高村副総裁は秘密保護法について、この種の法律は「普通の国はどこも持っている」などと論じていたが、我が国は「普通の国」などではないはず。
 なぜなら、内外諸国民に未曾有の犠牲を強いたその反省の上に、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」かくも徹底した不戦平和憲法を制定している国は極めてまれなのだから。この憲法で「諸国民の公正と信義に信頼して」安全と生存を保持することを決意して戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認したはずの国に軍事機密などは本来あり得ず、秘密保護法もあり得ないのである。
 ところが、政府は日米同盟の下に米軍基地を置きつつ「自衛隊」の名の下に再軍備、それが常態化してきた。今ここにきて両国の軍事一体化をさらに強めるため共有する軍事機密の厳重管理を必要とし、秘密保護法制定にやっきとなっているのである。これを「普通の国」がやることだと称しているのだが、「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」と憲法で唱っていながら、自らそれに背いて名誉を貶め、隣国の不信と疑心暗鬼を招く結果になっているのである。
 戦争の惨禍と不戦平和努力の誓いをすっかり忘れ去っている、それこそが「平和ボケ」。
 我々国民として今必要なのは、「戦争は秘密裏に行われ、国民がその秘密に触れると厳罰に処せられ、やめてくれと言おうにもやめさせることが出来なかった」というあまりに苦い歴史を噛みしめることであろう。


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