米沢 長南の声なき声


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戦争のための秘密保護法案(加筆修正版)
2013年11月15日

(1)軍事情報と公安情報の秘密保護を必要としている政権
 一般には秘密(非公開・口外を禁じる)を必要とするのはプライバシー(個人情報)と組織の内部情報(職務上知り得た秘密をみだりに漏らしてはならない―公務員などの「守秘義務」)とがある。(後者の場合、「守秘義務」の範囲が広すぎるという問題があるが。)それに犯罪捜査情報と公安情報とがある。後者は反体制の「思想犯」「政治犯」等を対象としている公安警察の情報で、民主主義体制を暴力で覆そうとする過激派やテロリストなどの動静に関わる情報の秘匿は必要だろうが、民主主義擁護の立場にたち選挙で一定数の国民の支持を得て国会等に議席も有している政党や労組・市民団体などにまで調査対象を拡大して調査・監視しているのが問題。
 そして軍事機密というものがある。しかし、スパイ・通信傍受・盗聴などの情報収集とともに機密保全(秘匿)を必要とするのは敵対し警戒を要する国(戦争が想定される国)に対してであり、信義・信頼に基づく平和友好には、それは不要であるばかりか、あってはならないもの(第1次大戦の講和会議を前に、アメリカのウイルソン大統領が提唱した14ヵ条平和原則の第一番目は「秘密協定・秘密外交の禁止―公開外交」だった)。隠し事があっては腹を割った対話・交渉などできないからである。
 第二次大戦後、我が国は憲法で、諸国民との信義・信頼関係を基に平和友好関係を結び、非戦・非軍事による安全保障を基本方針とすることを定めた。
 安全保障というと「国家と国民の安全を守る」即「防衛」(軍事)と結びつけがちだが、軍事が国民の命を守る」というのは詭弁である。なぜなら軍事は戦争。戦争というものは殺し殺される命のやりとりにほかならず、国家(政府)を守るために国民の命を犠牲にする。(それが先の大戦で国民が味わった苦い経験。)
 安全保障の要諦は戦争をしないことであり、軍事を控え、敵をつくらないことである。(戦後、国民はそのことを悟って憲法に「諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意した」のだ。)軍事(兵器や装備・作戦・暗号など)には機密が付き物であるが、軍事を控え秘密(隠し事)を控えて他国との信義・信頼に基づく平和友好をはかることこそが安全保障の要諦なのである。

 ところが、その後、米ソ対立・冷戦下で互いに敵視政策をとり、我が国は米国側に組し、米軍基地と自衛隊の存在を容認し、それに伴う「特別防衛秘密」等(核密約や沖縄返還に伴う密約も)容認してきた。
 安倍政権は、それを、さらに中国・北朝鮮などに対して敵視政策をとり、日米同盟強化(集団的自衛権の行使容認など)とともに米国などとの軍事機密の共有・管理の強化を図ろうとしているのである。(安倍首相の言う「積極的平和主義」とは、その言葉とは裏腹な軍事的対決主義にほかならない。)
 安倍政権が今「秘密保護法」を必要としているのは、中国・北朝鮮などに対して敵対・警戒路線をとってのことであり、これらの国や国民との平和友好路線を投げてかかっているからなのだろう。

 秘密保護法案、なんで今なの?といえば、安倍政権は中国・北朝鮮と軍事対決し、戦争になるかもしれないという事態が迫っていると考えているからなのだ。そのような事態はなんとしても避けなければならないということよりも、戦争になってもしかたない、或いは戦争も辞さないとの腹づもりで戦争を想定した体制を早急に整えておかなければならないと考えている。だから集団的自衛権の行使容認の解釈改憲、NSC(国家安全保障会議)の設置とともに軍事機密の防衛・管理強化を急務としているのだろう。

 尚、「安全保障」即「防衛」と短絡的に考える向きには、軍事は(自衛隊も日米安保条約も米軍基地も)必要だという考えで、それに伴う「防衛機密」(軍事秘密)そのものはあって然るべきで、「我が国の安全保障に著しく支障を与える秘密漏えい防止のために「特定秘密保護法」そのものの必要性は認める。野党でも民主党・維新・みんなの党はその立場。

 大手メディアでは読売・産経が賛成、朝日・毎日は反対、日経も異議。
維新・みんな両党との修正協議については、
 朝日―「『翼賛野党』の情けなさ」「『補完勢力』どころか『翼賛野党』と言われても仕方あるまい」「いずれの修正も実質的な意味は乏しく、問題の根幹はまったくかわらない」
 毎日―「まるですりより競争だ」
 日経―「この修正は評価に値しない」「この修正がなされても、国の秘密が恣意的に指定され『知る権利』が侵害されかねない法案の構造的な問題はなくなるわけではない」「すり寄ったと勘繰られてもしかたあるまい」
 これらに対して
 読売―「仮に捜査当局の判断で報道機関ひ捜査が及ぶような事態になれば取材・報道の自由に重大な影響が出ることは避けられない。ここは譲れない線だ」として、後は賛成。
 産経―「機密の漏えいを防ぐ法整備は必要」「法案の成立見通しを評価」「修正協議は妥当だ」と。
 NHKは委員会審議を中継。ニュースではそこからピックアップして、野党質問とそれに対する首相や関係閣僚の答弁のワンフレーズ、それに維新・みんな等との修正協議の場面と党首のコメントをワンフレーズだけピックアップして流し、それぞれの言い分を伝えているだけで、共産党などの反対論は取り上げず、賛否どちらに理があるのか論評がない。(NHK会長いわく「政府の公式見解を踏まえてニュース・番組を制作している」―要するに政府見解に即して報道しているということだ)


(2)本末転倒の秘密保護法案
 法案は安全保障の名の下に政府・行政当局が特定秘密を指定し、その漏えいを防止するために秘密事項に関わる公務員や民間企業従事者その他の身辺を調査・監視し、彼らと彼らに近づいて秘密情報をつかもうと取材・報道するジャーナリストその他(いずれも国民)に対して、漏えい(内部告発とその公表も)とその教唆・扇動(秘密を暴こうとして「どうなんだ」と訊いたり、それに関したことを人々に訴える行為)があれば重罰を科して取り締まろうとするものである。
 主権者たる国民には政府・行政機関の行為に過ちなきように監視(調査・チェック)し、違憲行為を告発する権利がある。そのために必要不可欠なのが国民の「知る権利」なのである。そしてその権利(知る権利)を補強(国民が政府・行政機関の行為・実態を的確に知ることができるように知識・情報を提供)する役割を担うのが研究・教育者やジャーナリストたちなのであって、彼らがその役割を果たすうえで必要不可欠なのが、(政府・行政機関の行為・実態を自由に調べ人々に伝えることが出来る)研究・教育の自由なのであり、取材・報道の自由なのである。
 現行憲法は国民主権の原則とともにこれら国民の権利を定めている。それに憲法は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」を定め、諸国民との信義・信頼に基づく平和友好によって安全保障をはかるという平和主義の原則を定めているが、国民が政府の行為に過ちなきように監視・チェックするという場合、とりわけ重要なのは安全保障に関わるこの点での政府の行為である。政府が、「安全保障」のためと称して、国民も諸国民も知らないうちに、秘かに戦争につながる行為を行うなどの過ちを犯すことのないように、国民が政府を監視・チェック・調査しなければならないのである。また憲法は基本的人権を定め、政府・行政機関は国民の「知る権利」とともに、プライバシー権(個人情報の秘匿・保護)、言論・表現の自由等の人権を侵害してはならず、この点でも国民は政府・行政機関を監視・チェックしなければならず、違憲行為は追求・告発しなければならないのである。
 ところが、この法案は、このような憲法原則とは全く逆に政府の方が自らの秘密行為(軍事・外交機密)を隠し通すために国民を調査・監視し、秘密を暴こうとする国民に罪をきせて裁くというものである。これはまさに本末転倒だ。


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