米沢 長南の声なき声


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ならぬものはならぬ・良いものは良い
2013年10月21日

 新島八重のセリフ「ならぬものはならぬ、良いものは良い、のでございます」。これを聴いて考えた。
「嫌いなものは嫌い、好きなものは好き」といえば、理屈抜きで「嫌いだから嫌い、好きだから好き」だということで、感情的・非合理的判断になるが、八重のこの言い方が「たとえ嫌いでも、或いはたとえ自分には何の得にはならなくても、良いものは良いのであるから受け入れなければならず、逆に、たとえそれが好きでも、或いはたとえ自分を利することではあっても、ならぬものはならぬのであるから受け入れてはいけない」ということだとすれば、それは理性的・道徳的判断(感情や利害損得よりも道徳的合理性を優先する立場に立った判断)のあり方を示したものだろう。
 ただ、これを単に理屈抜き、説明抜きで「ダメなものはダメ」といって押し付け思考停止になるのを肯定してはなるまい。会津の白虎隊のような未だ思考力が不十分な年少者にはしかたないとしても。(「什の掟」「一つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ。二つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。三つ、嘘を言うことはなりませぬ。四つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。五つ、弱い者をいじめてはなりませぬ。六つ、戸外で物を食べてはなりませぬ。七つ、戸外で女と言葉を交えてはなりませぬ・・・・」などにしても、本来は説明・納得を要するもの。)
 また「たとえ不合理と思われるものでも、決められた事は守れ」(『悪法でも法は法』・問答無用)というのも間違い。
 それに、安倍政権がこれから決めようとしている特定秘密保護法案など、それが決まったら、権力者や政権党が国会で多数決で決めたことだからといって、自分に都合の悪い情報を隠し、公開を求める野党や国民に対しては「ならぬことはならぬ」と突っぱねるようなことになれば、これまたとんでもないこと。
 それにつけても、昨今、人に対する評価、政治家・政党・政権に対する評価、選挙などで人々は、いったいどういう判断をして支持・投票しているのだろうか。「好き嫌い」「利害損得」でやられてはたまらん。
 「ならぬものはならぬ」のは戦争に、集団的自衛権の行使に、核兵器に、・・・・政党助成金―共産党以外には全ての党がもらっていようと「ならぬものはならぬ」。「良いものは良い」のは今の憲法―押し付けられたものだろうとなかろうと。「良いものは良い」のは原発ゼロ―それを言ってるのが共産党だろうと元首相だろうと、とういうことだな。


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