米沢 長南の声なき声


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10月のつぶやき(上に加筆)
2013年10月01日

●また葬式があって行ってきた。いずれも参列者の多い盛大な葬式だったが、今度のはセレモニーが(読経・弔辞・焼香・喪主挨拶まで)一通り終わった後、スクリーンが降りて、故人の生前の写真スライドが映された。赤ん坊(本人)の白黒写真から始まり、本人が赤ん坊(息子)を抱いている写真、妻子・孫たちと並んで撮った写真に、有名な芸能人と撮った写真もおりこまれ、バックミュージックに裕次郎の歌が流れていた。
 翌日、散歩に行って♪私のお墓の前で泣かないでください♪と(「千の風」を)歌いながら思った。そうだ、俺の葬式の時には、この歌を自分が歌ってテープかCDにして流してもらうことにするか。ようし、いずれ元気なうちに、写真とともに、歌を吹き込んでその用意をしておこう。
 NHKの「あさイチ」で生前遺影の撮影が流行り出しているという話題が取り上げられていた。毎年撮り直している人もいるという。なるほど・・・・
●今日は街を「原発いらない!」「さよなら原発!」と叫びながら歩いてきた。台風27号の影響は大したことはないが曇天下、参加者は母親に連れられた子ども二人を含めてわずか30数名。それでもパトカーが先導し、お巡りさんがガードしてくれて、終着点ではご苦労さんでしたと言ってくれていた。
いつもの歌いながらの散歩に重ねて歩き叫んできたが、気勢がいまいちで、どうも気迫に欠け、当方も、いつもの散歩で歌うよりも声が出ていない。これではいけない、もっと大きな声で叫ばなきゃ。
 「汚染水、コントロールは嘘だ!ブロックも嘘だ!」「原発情報 秘密にするな!」と。
●こんなことを書き、こんな写真を載せたりして、なんの関係もない人々からは見向きもされないのに。でも、いいんだ。このブログに掲載して発信しているこの私が今ここに存在し、かつて祖父がこのような顔で存在したことがこの中に記録されているのだから、無ではないんだ。
●45年前に亡くなった祖父の写真が見つかった。
ずうっと離れて暮らしてきたために一緒に写真を撮ったことはなかったし、本人は写真など一枚も遺してはいなかったのだが、祖父がゆかりのあった庄内の家を訪ね、「もしかして、そちらに」と尋ねてみたところ、後日、その家の方々が昔撮ったご祝儀の集合写真の端に祖父らしき人が映っていた写真を見つけて下さって、送ってよこしてくれたのだ。
 これで、孫たちも先祖様の影をまのあたりにすることができるというものだな。
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●今日も一人、田んぼ道を散歩しながら唄ってきた。♪こうとしか生きようのない人生がある・・・・・(「遥かな轍」)、♪不器用者と笑いますか、もう少し時がたおやかであったなら・・・・(「愛しき日々」)、♪ああ、いつの日か誰かがこの道を・・・・(「昴」)、♪私のお墓の前で泣かないで下さい・・・・(「千の風」)、♪なにげなく見たニュースで・・・・・(「ピースとハイライト」)。
 女房―テレビのワイドショーで、石原良純が取材した医師が、唄って喉を鍛えている人は誤嚥(食物が気管に入ってしまう)を起こさないという話をしていたとのこと。そうか、よお―し
 ●15日ストーブを付けた。ダリアは咲いているが、どういうわけかアジサイの花が二輪だけ未だに残っている。大型台風(26号)接近で雨の中、女房は軒下の台の上に並べていた鉢植え下ろしをしていて、手伝おうとして出たが終っていた。
 CIMG4353.JPG
●10日あたりまでTシャツに半ズボンでも大丈夫だったが、その後は長ズボン・長袖にチョッキやカーデガンを重ね着しないではいられないうすら寒さに転じ始めている。ようやく秋も深まりつつある。
●辺りの田んぼは稲刈りもほとんど終わった。
 入院中の同級生が息を引きとった。在職中にC型肝炎におかされ、退職後、肝臓がんを発症して数回年ごとに入院・内視鏡手術を繰り返してきたが、これが最後となった。本人は今回もこれまでの入院のように病状が治まって退院できるという思いがあったのだろうが、奥さんには医者から、今回はもうダメだと宣告されていた。彼は読書家で音楽を聴くのも好きだったので、ユーキャンから買っていたCDの日本近代文学朗読全集やスクリーン音楽を持って行ったりした。しかし、苦痛に耐えるのが精一杯でCDなど楽しむ気力も失われ、食とともに受け付けなくなって、最後は激痛に多量の麻酔をうたれ昏睡状態のまま逝ってしまったのだろう。奥さんが言うのには、何も言い遺さずに逝ったが、後のことは「好きに任せる」ということなんだろうと思っている。長南さんの時は、そういうことのないようになさって、と悲しみを冗談に変えていた。・・・・そうだな、俺の時は・・・・・・・。
 我が家で孫が飼っていたコオロギの鳴き声も止まった、死んだかと思いきやまだ生きている。外に離してやった。
 葬式から帰ってきて、夕暮れ、いつもの田んぼ道を唄いながら散歩。♪こうとしか 生きようのない 人生がある・・・・・・♪
●「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きてるのが苦しかった
         いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」
 詩画作家の星野富弘の詩だ。小旅行で立ち寄った群馬県みどり市旧東村(渡良瀬川草木ダムの畔)の富弘美術館で見つけた。
 一番大切なものは何?おカネ?いや、自分の命?自分の命より大切なもの――他人の命、いや、生きとし生けるものの命か。
 横浜市で踏切事故。老人(74歳男性)を助けて自分が命を落とした婦人がいたな。
●国会は参院選後休眠状態で、安倍首相は海外出張をしまくり、テレビなどマスコミは首相と政権与党(自公両党)の独壇場、野党の出る幕なし、といったところ。いったい何ということだ!
●居間のガラス戸の軒下にはっていたアサガオにかわってダリアの出番。その向こうに、あ!アジサイが二輪、狂い咲きか。
 コオロギが籠の中でまだ生きている。一か月にもなるのに。その鳴き声はコンピュータロボットでは出せない澄んだ音色。入院中の友人にCDの小説朗読・キミマロ漫談・映画音楽を持って行ってやったりしたが、聴くならこの虫の音のほうが良かったかな、と思えるくらい。

 孫が幼稚園から帰ってきて、うるさい声をたてていたが、昼寝の部屋に婆々に伴われて引っ込んで行った。ん?♪にほんこくみんは こうきゅうの へいわを ねんがんし・・・・♪ 口ずさんでいるのは憲法の歌だ。すっかり覚えてしまったふうだ。

●10月1日アクセス数5477


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