そもそも個人の場合は「正当防衛権」―自己保存の本能を基礎に置く合理的な権利(自然権)で、急迫不正の侵害を排除するため実力行使(暴力・武器使用も)。
国家の場合の「自衛権」も、同様の理屈で、他国による急迫不正の侵害を排除するために、武力をもって必要な行為を行う国際法上の権利。
安倍首相が新たに任命した内閣法制局長官の小松氏いわく
「隣家に強盗が入って殺されそうだが、110番してもパトカーが直ぐに来ないかもしれないので隣人を守る」これも国内法では他者のための正当防衛だ。・・・・国際法の仕組みとして同様の制度があるのは、そんな変な制度ではない」と。
しかし、「正当防衛」には急迫性と相当性の要件があり、今まさに侵害を受けているか受けようとしているという場合に限られ、単に侵害があるかもしれないと予測されるからといって予め武器を用意し待機して迎え撃つというのは、それには当たらず、また過剰防衛も禁じられている。予め「正当防衛」のための武器や防衛体制を整えておくにしても過剰防衛になってはならず、使用してはならないのだ。
抑止のためといって武器・防衛体制を保持・強化すれば相手も同様に保持・強化し、互いにそれがエスカレートする。それに武器・武力を持つと、対話・交渉ぬきでそれに訴えがちとなり、武器を持ちあえば殺人事件が起こりやすく、軍備を持ち合えば戦争になりやすい。アメリカは市民に武器所持が認められていて殺人事件の最多発国になっており、最大の軍備保有国であって最多交戦国。それに対して最も厳しく銃規制しており、不戦憲法を定めている我が国は武器による犠牲者が世界で最も少ない国になっている、というのが現実なのである。国連憲章では武力による威嚇または武力の行使を一般的には禁止(違法とみなす)。
国連の集団安全保障―加盟国のいずれか1国に対する攻撃も全加盟国への攻撃
と見なして制裁措置(軍事的or非軍事―経済制裁など)
国連がこの措置をとるまでに間(例外的措置)
自ら反撃(実力で阻止・排除)―個別的自衛権
自国が直接には武力攻撃を受けていなくても、自国と深い関係にある他の国家が攻撃を受けた場合には、これに対して共同で防衛する権利―集団的自衛権
―国際法上の常識では前者(個別的自衛権)のみが主権国家に固有な権利(自然権)と見なされている。
そもそも国連は、国際紛争はすべて国連の管理と統制の下に置くこととし、加盟各国の武力行使は許さないことを原則とした。「集団的自衛の固有の権利」という言葉は、もともと1945年(ダンバートン・オークス会議)の国連憲章原案にはなかったもので、後で憲章採択(サンフランシスコ会議)の際に、当時、アメリカが中南米諸国を国連加盟に踏み切らせる都合から、アメリカが主導する米州機構の軍事同盟を合理化するために導入され、国連憲章(51条)に盛り込まれたもので、後付けした概念なのだ。(それがNATOや日米安保など軍事同盟を正当化する根拠となった。)
それに、51条で加盟各国に認めている自衛行動は、安保理事会が必要な措置をとるまでの間の一時的・限定的な緊急措置に留まる例外的措置なのであって、集団的自衛権の保有・行使など、どの国にも普通・当たり前のこととして認められているわけではないのだ、ということ。
また、それが国際法上の「権利」(「違法」ではないということ)ではあっても加盟国の「義務」ではないし、国内法(憲法)で制約も―我が国では憲法(前文で「政府の行為による戦争の惨禍が再び起こることのないようにすることを決意」、9条1項で国権の発動たる戦争と武力による威嚇および武力の行使を放棄、2項で戦力の保持と国の交戦権を否認)で禁じているのだ。当方の解釈―他国の軍勢による侵略・攻撃に対して国は国際法上は自衛権をもつが、憲法はその発動・戦力(軍隊・軍備)の保持・行使する権利(交戦権)を放棄させている。ただし、国民には正当防衛権があり、武装または非暴力による抵抗権がある、と解す。
これまでの政府答弁―内閣法制局の見解に基づいて―「国際法上は集団的自衛権を保有しているが、憲法9条の下においての許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するために必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」(自衛権の発動は「我が国に対する急迫不正の侵害がある」場合に限り、他国に対してある国によって急迫不正の侵害が加えられたからといって自衛権を発動・行使することまで許容してはいない)としてきた。
よく「日本が米軍から助けられているのに、日本はアメリカを助けなくてもいいのか」と言いたてる向きがある。「日米同盟」といっても日米安保条約は日米対等ではないのであって、アメリカは世界最大の軍事大国であり、日本は沖縄をはじめ全土に米軍基地を提供して自衛隊は従属。
日米安保条約(第5条)は集団的自衛権の行使を「日本国の施政の下にある領域」に限定し、自衛隊は日本にある米軍基地や大使館などが攻撃されたという場合ならば、米軍を助太刀できるが、それ以外にはアメリカ本土が攻撃されても、その他の米国施政権下にあるどこを攻撃されても、自衛隊を派遣して戦わせることはできない、となっている。ところが石破幹事長は「憲法には集団的自衛権を明示的に禁止する条文は書かれていない」と(憲法9条は「侵略戦争」「侵略のための武力行使」以外は何も禁止しておらず、何でもできると言わんばかり)。「国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は国際紛争を解決する手段としては」これを放棄すると書かれており、(自衛権行使は二国間あるいは多国間の国際紛争を前提とし、集団的自衛権の行使は国際紛争を武力で解決しようとするもので)その戦争と武力の行使は放棄すると書かれているのに。
国連憲章には明示的に集団的自衛権の行使を肯定する条項が書かれているが、日本国憲法には、あえてそれが書かれていない、ということはその行使を認めていないということにほかならないのだ。安倍政権は「安全保障環境が厳しさを増している今日」その憲法解釈を見直す必要があり(集団的自衛権は行使できると)変えようとしている。
政府の有識者懇談会(安保法制懇)―4類型(第一次安倍政権当時、首相自ら提起
―それぞれ集団的自衛権に当たるか否か検討
①公海上で共同行動している米国艦船が攻撃された場合に自衛艦が共に戦う。
(そもそも日米が共同行動中に米艦だけが攻撃さるなんて、あり得ないのに)
②米国本土に向かう北朝鮮の弾道ミサイルを自衛隊ミサイルが迎撃。
(そもそもミサイルが飛ぶ高度で、日本がそれを撃ち落とすのは不可能。結局は射前に攻撃しなければならなくなり、日本が攻撃すれば、北朝鮮から反撃されることになるのに。)
③PKO活動中の自衛隊部隊による外国軍隊への「駆けつけ警護」およびその際の武器使用。
(そもそも国際平和活動で、どこまで任務を引き受けるか。他国並みに武器使用ができないから他国並みの任務を果たせないという発想では「武器が任務を決める」ということになってしまうが、肝心なのは、できる任務は何か、どんな任務を引き受けるか、ということでなければならないのに)
④米軍や多国籍軍への後方支援(武器・弾薬の輸送・給油・医療など)
(そもそも相手側からみれば後方支援は武力行使と一体のものなのに)北岡氏(安保法制懇座長代理・国際大学学長)の考え―この4つの場合だけを問題にしているわけではなく、全面的に集団的自衛権の行使の禁止を解除する。
国連の集団安全保障への自衛隊の参加をも認めるようにする。
武器使用も国際基準に合わせればいい。
共にする相手を同盟国アメリカ以外にも拡大すべきだ、と。
安保法制懇では、集団的自衛権に限らず、武力行使そのもののハードルを下げ、多国籍軍やPKO(国際平和維持活動)への全面的な参加も論ず。
「武力攻撃に至らない事態」―「日本周辺で軍対軍が接近・応酬する場面」「日本の領海に他国の潜水艦が居座る」等―にも対処。(尖閣で繰り返される中国の領海侵犯などを想定、「一つ一つの行為は武力攻撃ではないが、集積することで攻撃とみなし得る」と)。それらは、これまでの憲法解釈をさらに拡大解釈して、9条を有名無実にするもの(原理的にはいつでもどこでも武力行使―戦争できるようになる)。
日本を守る米軍が日本国内で攻撃されれば、現在でも安保条約で自衛隊は反撃の行動をとれる。尖閣の場合も、そこが日本領であるかぎり、そこでの事態は「日本有事の事態」で、個別的自衛権の問題なので、今のままでも自衛隊は、そこで攻撃を受けた米艦のために反撃の行動をとれるのだ。(尚、北岡氏は「核兵器を持っている国があり、日本の領海にどんどん侵入してきている。」「日本が個別的自衛権だけで守るんだったら、核大国にならないとできない。むしろ信頼できる国と助け合う方が、より軍事力のレベルを低く抑えることができる」などと述べている―8月10日付朝日新聞―が、それは、尖閣を死守するためにはアメリカの核戦力を頼み、核戦争も辞さないということか。)
結局いま集団的自衛権でやろうとしているのは、日本国外で(イラク戦争の場合のように「非戦闘地域」にとどまらず)自衛隊が攻撃されなくても米軍その他を支援して軍事行動をできるようにするということであり、日本を海外で戦争をする国につくりかえるということにほかならない―それこそがこの問題の本質)集団的自衛権には濫用の問題がある―それを口実(同盟を結んでいる相手国からの要請に応じるとして)他国への軍事介入・侵攻。
事例―アメリカのベトナム戦争、ニカラグア侵攻、アフガン戦争
旧ソ連のハンガリーへ軍事介入、チェコ侵攻、アフガンへの軍事介入安倍政権―「好」軍事―国際社会での軍事的役割(「軍事的国際貢献・米軍戦略の補完的役割)の拡大―自衛隊の海外派兵に前のめり
ソマリア沖での「海賊対処」―ジプチに自衛隊基地
イラク戦争に「人道的介入」― 一時サマワに自衛隊基地
シリア?
軍事費の増額―自衛隊に「海兵隊」部隊、敵基地攻撃能力の強化へ(「離島防衛」を名目に水陸両用車やオスプレイ導入、F35ステルス戦闘機購入
平和憲法に逆行―「平和国家」ブランド・イメージを損ない、アメリカに追随する「好戦国家」イメージに・・・・被爆国でありながら原発輸出も
それらは国益を害すもの・・・・アルジェリアでやられたようにテロから狙われる危険につながる。と考えるが如何なものだろうか。