米沢 長南の声なき声


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「改憲賛成」の国民投票に持ち込もうとする戦略
2013年07月12日

(1)世論誘導
 世論調査―「今の憲法を改正する必要があると思うか」―
   NHK4月19~21日
          「改正する必要があると思う」42%
            (理由「時代が変わって対応できない問題が出てきたから」75%
               「国際社会で役割を果たすために必要だから」15%
               「アメリカに押し付けられた憲法だから」9%      )
          「改正する必要があるとは思わない」16%
          「どちらとも言えない」39%
 毎日新聞 4月20・21日「改正すべきだと思う」60%、「思わない」32%

 いずれも賛成のほうが多いが、こんな問い方をされれば(具体的にどの点がどうだからということを度外視、「時代が変わったから」とか「国際社会で役割を果たすため」とか「押しつけられた憲法だから」などといっても、そんな抽象的な理由だけで、具体的にどういう問題や不都合が生じているからということを抜きにして問われれば)、そりゃ改正した方が、改正しないよりはいいというにきまっているわけで、誘導質問になっているのだ。
 諸外国では改正を何回も重ねてきた国が多い中で、ただの一回も改正していないと言われれば、諸外国の事情や実態を知らされていない分には、日本だけ一回も改正していないなんておかしいとなる(そういう印象をもつ)にきまっている。
 制定時にはなかった問題が時代の進展にともなって新たに生じ「環境権」とか「プライバシー権」とか「知る権利」など「新しい人権」が考えられるようになったので、憲法にそれを付け加えるように(加憲)すべきだなどという主張もある。しかし、そもそも憲法に人権規定(25条-生存権、 13条-幸福追求権など)があるからこそ、それを損なう公害問題・環境問題・プライバシー侵害問題などが問題になって、それぞれ、それに関する権利が主張されるようになったのであって、25 条や13条が根本規程として定められているのだから、わざわざそれらを憲法に付け加えなくても、法律で定めれば事足りるはず(環境基本法など既に定められている)。(憲法の条文として書き加えないと環境権は守られないとか、プライバシー権は守られないというわけでもあるまい。)
 単に改憲賛成といっても、ただ何となくだとか漠然とそう思うといったことではなく、己の生命・生存権や何らかの人権が今の憲法のままでは守ってもらえそうになく、危うい事態に直面している(今にも、中国が攻めてくるとか、北朝鮮が攻めてくるので恐ろしくて夜も寝られないなど)等、憲法のここを是非こう変えてほしいという切実な思いをもって賛成と答えている人は果たしてどれだけいるか全くわからない。
 「是非とも」と思っているのは、むしろ安倍首相や石原・橋下維新の会代表など為政者・政治家の側で、彼らの都合、その政治的思惑(自衛隊の国軍化とか統治機構の改編とか)や執念から是非とも改憲しなければならないと思っているだけのことなのであって、国民がその手に憲法を「取り戻す」などというのは欺瞞以外の何ものでもあるまい。

(2)改憲派を有利にする96条改定―改憲賛成の国民投票に近づける
 「憲法を国民の手に取り戻すのだ」「『押しつけ憲法』から日本国民の自主憲法へ」―そのために「過半数の国民が改憲を望んでも、96条で国会議員のうちの3分の1の反対だけで、それができなくなってしまうなんておかしい」「国民のために96条の国会発議要件(3分の2以上の賛成)を過半数の賛成に下げ、国会で改憲案を通しやすくして、それを受けて国民が国民投票で決める(決着をつける)というふうに改憲プロセスのハードルを下げて国民の手に改憲案を届きやすくして国民に改憲決定の国民投票参加の機会を得やすくすべきだ」と。
 しかし、そうはいっても、憲法のどの条項をどのように変えるのか、その内容を考えて決める発議権(提案権)は国会議員の権限なのであって、国民投票はそれに賛成か反対か○か×を書いて投票するだけで、国民が改憲を思い立って、憲法のここをこう変えると望んでも国民が改正案をつくって発議できるというわけではなく、結局、国会議員にそれを託し(委任して)、国民は国民投票で○か×かの意思表示をするだけ。
 その結果は、最高裁の裁判官の国民審査の実態を見れば分かるように、反対票(×と書いて否認票を投じる人)は少なく、ほとんど自動的に賛成票(信認票)になる、といったぐあいになりがちとなって、改憲発議すればそれが通って、国民投票にかかってもその通りに決まってしまう。改憲推進側の思惑通りに。
 それに、国民投票の投票率がどんなに低くてもが有効投票の過半数ということになれば、
有権者のうちのわずかな賛成票だけで改憲が決まってしまうということになってしまう。
(投票率が60%ならば、その過半数30%だけの賛成で決まってしまう、というわけ。)
 国民投票に持ち込めば、改憲案が通る公算の方が大きい。なぜなら、「有効投票数の過半数賛成で決まる」ということならば、投票所にわざわざ足を運んで投票する人は、改憲を望んで「是非」投票しなければと思って行く人の方が多く、そんなに改憲には乗り気でないか、どっちでもいいという消極派は忙しかったり天気が悪かったりすれば棄権するだろうからである。
 96条のハードルを下げて、国会での改憲発議案を通しやすくして、国民がその発議を受けて国民投票の機会にありつきやすいようにするのは「国民の意志を尊重するがゆえなのだ」ときれいごとを言うが、実質は国民全体の意思ではなく、改憲賛成者の意思だけを尊重するという改憲派政党の党利党略に基づく以外のなにものでもあるまい。

 改憲には改憲派の政治家とマスコミの様々な策動・策略があり、世論誘導があるということなのだ。


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