米沢 長南の声なき声


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2013年06月04日

●福島被災地巡検に行ってきた。飯館村~南相馬は3回通っているが、小高地区~浪江町は初めて。途中、車中で測ってくれた放射線量は、原発から30キロ圏の飯館村が一ばん高く1.8μSvまで上がった(米沢は0.06、旧伊達町は0.4、南相馬は0.28)。
 小高~浪江は20キロ圏内で「警戒区域」とされ、立ち入りが禁止されていたところだが、2か月前に解除(帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域の3区域に再編)。しかし、いずれも未だ上下水道や汚染ゴミ処理が困難で、地震で傾いたり屋根や壁の崩れた人家はそのままで、商店はほとんど営業しておらず、人々が帰還して暮らせる状態にはなっていないようで、信号機がつき、自動車は通りはしても、人影は見られなかった。
 浪江町海岸部の請戸小学校近くまで行った。そこから南方向、かなたの林の向こうに数本の鉄塔に白っぽい屋根も見える。原発、その排気塔と原子炉建屋だ。荒涼たる風景。ところどころに建物や漁船・自動車などの残骸が放置され或いは集め置かれている。この区域で百数十人の命が失われたのだ。
 ところが請戸小学校の児童は全員無事だった。当日は卒業式だったが、教師たちの的確な判断と誘導のおかげで6キロも先にある山に一人残らず避難できたのだという。しかし小学校の校舎は廃屋となって漁船や自動車のスクラップとともにポツンとたたずんでいた。
 ここでは、津波で多くの人が犠牲になったが、直後は未だ生きていて、自衛隊の一隊が集結し、救出しようと思えば救出できたかもしれない命も、原発事故の放射能被曝の危険があるため、捜索活動が打ち切られ、放置される結果になったのだ、という。
 現場に来て辺りの光景を目の当たりにしながら話を聞くと、事態はどんな有様だったのか想像できるのだ。

                       飯館村公民館  今、ここに人はいない

     飯館村立臼石小学校 ここにも生徒はいない  田んぼはどこも草ぼうぼう


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