米沢 長南の声なき声


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危機迫る―改憲(詳説・加筆版)
2013年04月01日

 改憲派の勢力が強まっている。改憲賛成―議員の59%→89%、有権者41%→50%
(1月28日の朝日・東大共同調査、09年との比較)
 最新(4月8日)のNHK世論調査では
  改憲の必要があると思うか―思う39% 思わない21% どちらともいえない33%
  96条改正(改憲発議要件の緩和)―賛成28% 反対24% どちらともいえない40%
  参院選で改憲勢力が3分の2以上占めることが望ましいと思うか
    望ましい20% どちらかといえば望ましい37%
    望ましくない12% どちらかといえば望ましくない20%
 国会の憲法審査会(改憲原案を審査、衆院50 名、参院45名)―衆院の憲法審査会では護憲派は共産党の委員だけ、幹事は自民・民主・維新・公明の4党だけで改憲派がリード。
 しかし、有権者の方には改憲理由は「「押し付けられたものだから」とか「もう何十年もたっているのだから変え時だ」といった抽象的な気分的なもので、具体的にどこが、どう支障をきたしているから変えるべきだというわけではないように思われる。
 9条については、昨年12月28日の毎日新聞では改憲反対の方が多く52%.

 問題点はどんなところにあるのか。
1、改憲理由
「押し付けられた憲法だから」というが
<制定の経緯>日本政府の委員会原案(松本私案―旧憲法を微修正しただけで天皇主権などそのまま)―マッカーサーが拒否、GHQ(連合軍総司令部)の民政局(ベアテ-シロタらスタッフ)が鈴木安蔵ら(憲法研究会など)民間の私案を参考にして草案の骨格を作成・提示―政府がそれをもとに草案作成―帝国議会(議員は戦後一回目の総選挙で選出―「日本国民の自由に表明された意思」に基づく)審議、主権在民の明記や生存権規定の追加など修正のうえ圧倒的多数の賛成で成立(賛成421、反対8―うち共産党の6人は、天皇制を残していることと吉田首相が侵略に対する自衛権までも認めないと答弁したことを理由に反対)―国民は大多数が支持(!946年5月27日の毎日新聞世論調査では「戦争放棄」に70%、象徴天皇制に80%)
 これを見ると、押しつけか、押しつけでないか、どちらとも言えそう。
 だが、「押し付け」というなら、問題なのは、むしろ、その後、朝鮮戦争~冷戦に際するアメリカへの軍事協力のための再軍備、そのための改憲(吉田首相はそれは拒否したが)と日米安保条約とそれに基づく米軍基地の押しつけだろう。
「時代にそぐわなくなったから」というが
 国民にとってはどうなのか―具体的にどこが不都合なのか?9条にも96条にも不都合があるのか?
 河野洋平元自民党総裁いわく、「今の憲法で不自由な生活を強いられている人はいません」と。
 不都合なのは自民党などの現在の為政者・権力側にとってなのだ。
 「押し付けられた」とか「時代に合わなくなった」というのは、支配層にとってであり、庶民にとっては、それは当たるまい。
2、どこを変えたいのか
<各党の改憲案>
①自民党
○改憲しやすくするために96条(改正要件―発議には衆参両院でそれぞれ総議員の3分の2以上の賛成を要する)を改変(通常の法律並みに過半数の賛成でも可能に)。(維新の会もみんなの党も同案―今国会中に国会提出を両党合意)
 憲法―最高法規―時々の権力者の都合で簡単に変えてはならないのが原則―権力の乱用を防ぐ歯止め―だからハードルが高いのが(米・独・仏などの諸国では)当たり前なのに。
○天皇を「元首」とする(みんなの党も)。
 天皇は国民の上に立ち、憲法擁護義務を負わない(国民が主権者であることをぼやけさせる)―現行憲法(99条)では天皇に(国務大臣や国会議員・裁判官その他の公務員とともに)「憲法を尊重し擁護する義務」を負わせているが、それを「天皇又は摂政を除く全て国民はこの憲法を尊重しなければならない」と変える。
○国民の義務を(現行憲法では勤労・納税・教育の3大義務だけなのに、それ以外にも)(「国を自ら守る」義務、日の丸・君が代尊重義務、家族助け合い義務、環境保全義務、緊急事態指示服従義務など)様々列挙し、国や公の機関の指示に従わなければならないとして課している。
○自由・人権―現行憲法では濫用は禁止、「公共の福祉」のために利用する責任を負うものとし(12条)、「公共の福祉」に反しない限り個人として最大の尊重を要すると(13条)―この場合「公共の福祉」とは、個人の上にある国益・公益など社会全体の利益のことではなく、「互いの人権」という意味で、「他の個人の人権」とぶつかる場合の調整原理をなすものであって、国家が国民の人権を制限するためのものではない。なのに、それを「公益及び公の秩序」という言葉に置き換え、それらに「反しないように」「反しない限り」として、個人は国家や社会全体の利益・秩序に従わなければならないというものに変質―国家や公共機関の裁量で国民の自由や人権に大幅な制限を加えることを可能にする。
○日の丸・君が代を国旗・国歌として尊重することを明記(みんなの党も)。
○9条に自衛隊を「国防軍」として明記。
 国防軍に審判所(軍事裁判所・軍法会議のようなもの)を置く―「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪または国防軍の機密を犯した場合の裁判を行なうため」と。
○緊急事態条項―武力攻撃・内乱等による社会秩序の混乱、地震等による自然災害その他に際して総理大臣が緊急事態を宣言し、事前または事後に国会の承認を得る。宣言が発せられた時、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる(それによって、国民やその施設の動員を義務付け、一時的に人権制限)―かつての緊急勅令や戒厳令のようなもの。(災害緊急事態は現行憲法でも想定されており、具体的には災害対策基本法に条項が定められているのに。)
 海外居留民保護―「国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない」と(かつてはそれを名目に出兵)。
②維新の会とみんなの党は首相公選制、一院制、道州制など統治機構の改編で改憲も。
 (維新の会は参院選で「改憲勢力3ぶんの2確保」を目標にしている。)
③公明党―現行憲法に環境権やプライバシー権などを付け加える(加憲)。
     9条と96条は改定には慎重。
<核心点は二つ>
9条改変をめぐる問題点
 自衛隊の軍隊化(自民党案では「国防軍」―集団的自衛権の行使―米軍の作戦に協力して武力行使、国連の集団安全保障・国連軍への参加を容認)
 問題点(議論の焦点)―軍隊・軍備の抑止力の是非―対中国・対北朝鮮・対テロなどに対して
  抑止論―軍隊・軍備は相手の侵略・攻撃を抑止する(無防備に乗じて侵略・攻撃を招かないように―「備えあれば憂いなし」或いは「抵抗・反撃の意志を示す」)―これにどう反論するか?
 反論―軍隊・軍備はあくまで戦争手段にほかならず、それを持つこと自体が戦争意思を持っていると国々から思われてしまい、警戒心を抱かせ脅威を与えて軍備増強を誘発し、かえって緊張を激化させ、戦争を誘発する危険をともなう。
 だから、相手側の武力行使や戦争を抑止する最善の方法は、戦争手段(軍備)を持たず、戦争意思を持たないこと(「戦争放棄」)だろう。要するに今の憲法9条を守ることにほかなるまい。
 予め軍隊・軍備を持つということは予め戦争意思をもつことを意味する。「事としだいによってはやるぞ」、「向こうが仕掛けてきたら受けて立つ」ということでいかなる場合でも戦争はしない、というのとはわけが違う。
 軍備をもたず、戦争意思を予め持つということはしない、ということは、いかなる国をも敵視せず、仮想敵国とはせず、利害対立・紛争問題があっても軍事力を背景にして交渉するのではなく、あくまで平和的・外交的解決に徹するということだ。
 それは自衛権まで放棄することとは別。相手が戦争を仕掛けてきても軍の交戦権による応戦はせず、降伏もしないということであって、侵略され占領されても、軍隊・軍備を持たず交戦権を持たないからといって、無為・無抵抗でそれに服するというわけではない。自衛権・抵抗権はあくまで保有し、「国土警備隊」など警察力を含め利用できるあらゆる手段を使って反撃・抵抗する権利まで放棄するわけではないのである。
 「無防備」は危険?―無防備といっても海上保安庁のような警察力(どこの国にもよくある「国土警備隊」とか「国境警備隊」)はある(現在の海保は強大な自衛隊があるために相対的に貧弱なものとなっているが、領海・領空警備・取締り・侵犯阻止に必要な艦艇や航空機その他必要な装備は持つ)。だから全く無防備というわけではないのであって、他国と戦争をする軍隊・軍備は置かないということとは別。 
 領地の争奪戦に明け暮れた戦国時代や植民地の争奪戦に明け暮れた帝国主義時代のように、虎視眈眈と互いに隙あらば攻め込まずにはおかないといった昔ならいざしらず、今は、軍隊・軍備を置いていない無防備な国だからといって、攻め込んだりすれば、世界中から非難され、国連をはじめ国際機関・各国機関から制裁を被り、かえって大損失を被り、自滅さえ招くことにもなる。
 国連は(未だ不備があるとはいえ)、それを中心に国際法秩序が確立されていて、一方的な軍事侵略・武力行使は禁止されており(国連憲章には「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使をいかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と定められており)、無法行為は国際社会から制裁を被るというコンセンサスがある今の時代に、それ(「無防備」とか「力の空白」をついて攻め入るなど)はあり得ない。 
 北朝鮮が日本を攻撃対象にしているのは日本が無防備だからではなく、米軍の基地を置き、その同盟軍たる自衛隊があるからにほかならない。
 いずれにしろ、仮に日本に対して侵略・攻撃が行われたとしても、国民の激しい抵抗・不服従・非協力にあう上に国際社会の制裁を招き、何も得るところがないばかりか、かえって甚大な不利益・損失を被る結果になり、失敗は避けられない。いまさら自衛隊を「自衛軍」とか「国防軍」に変えなくても、また日米同盟などに頼らなくても、である。
憲法観―はき違え
 そもそも近代(立憲主義)の憲法は、聖徳太子の「十七条憲法」のような天皇への服従や相互間の和など官民に守らせる訓戒や心得などではない。また最高法規といっても、他の法規のように国家や自治体が国民にルールを課して守らせる(国民の人権を縛る)ものではない。それらとは違って、国民の人権を守るため公的権力を縛るもの(政府・自治体や公務員に守らせるもの)である。すなわち公的権力に歯止めをかけて、政府・自治体や公務員にそれを守らせ、権力の乱用を防ぐのが憲法の役目なのである。(合衆国憲法の起草者だったジェファーソンは「憲法は権力を縛る鎖だ」と言っていたし、明治憲法の起草者だった伊藤博文も「そもそも憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」と言っていたという。)
 なのに、自民党の改憲案は国民の権利を制限し、国民に義務・責務を課する憲法に変質させものとなっている。
3、改憲戦略07年の国民投票法(強行採決)が外堀埋めだとすれば、96条 改定で内堀を埋め、そのうえで本丸9条へ2段階戦略
 来る参院選でも改憲派3分の2以上を制す。そのうえで、まずは改憲をしやすくするために国会での発議要件を(賛成3分の2以上から過半数に)緩和する96条改定を国会で発議して、それを国民投票にかけて改定を果たす。あとは国会で衆参それぞれ総議員の過半数で、「環境権」などの加憲を手始めに、天皇の元首化、国会の一院制化・首相公選制化などから9条改変に至るまで次々と発議、国民投票にかけて改憲達成に持ち込む。
4、護憲戦略―どうすれば改憲を阻止できるか(改憲派との闘いに勝てるか)―戦略が必要―護憲派が大同団結(小異にこだわらずに結束)―選挙で護憲派候補を応援して国会に送り、護憲派議員数を3分の1以上確保。国民投票でも改憲反対票を過半数獲得を果たす。                        
 日本国民が戦争で犠牲にされた数多の命を代償に獲得した憲法―それを命懸けて守る闘いなのだから。
 
 肝心なことは、(運動が自己目的ではなく)結果を出す(改憲阻止という目的を果たす)こと。
 
 以上


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