米沢 長南の声なき声


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安倍自民党の支持基盤―ヤンキー?(最後の方に加筆・修正版)
2013年01月01日

 国民はABCDの4層に分類されるという。小泉内閣が「郵政選挙」前、「メディアを使って選挙戦をどう戦うべきか」という分析を頼んだスリードという広告会社が考えたもの。
 A層は政治家・有識者・大手メディアの人間など社会的地位が高く、IQも高く、小泉構造改革への関心が高い層。
 B層は主婦層・若者層・高齢者層など大衆で、比較的IQが低く、マスコミ報道に流されやすい層。具体的な政策よりも人気によって政治家を支持する傾向にある。
 C層は、IQは高いが、小泉改革に慎重な層。
 D層はIQも小泉改革への関心も低い。

 経済アナリストの森永卓郎氏によれば、B層は「郵政選挙」における小泉政権の支持母体、「政権交代選挙」における民主党の支持母体にもなった、という。

 しかし、ここでIQの高い低いを基準にしているのには違和感がある。それを言うなら「見識」の高い低いと言い換えた方がよいのでは。
 そのように考えた場合でも、安倍自民党の支持基盤はやはりB層

 それから、12月27日付の朝日新聞のオピニオン欄に「ふたたび安倍政権」と題して精神科医の斎藤環氏と漫画家の小林よしのり氏の見解が載っていた。
 斉藤氏によると、安倍自民党の支持基盤はヤンキーで、いわば自民党はヤンキー政党だという。
ヤンキーの特徴は反知性主義・気合主義・決断主義・行動主義(それに当方が付け加えるならば「ケンカ好き」)。
 「理屈をこねる暇があったら行動しろ」「気合をいれて自立するんだ」「決断と実行だ」
というわけで行動力は旺盛だが、長期的スパンで物事を考えたり歴史的思考が苦手なので短絡的な判断をしがちだという。
 地元に残り、祭りの担い手で地域の顔役になり地方議会の議員になって自民党とつながることになる。
 若者の特徴として正義感に燃えるところから、彼らなりの(不十分な認識の範囲内で)「○○許せない」、「○○○許せない」と敵対行動に向かいがち。そして反中・反北朝鮮・反サヨクにかりたてられる。
 

 秋葉原で安倍総裁の街頭演説に日の丸を手に集まって「ぶっつぶせー!ぶっつぶせー朝日」「国賊」「売国奴」「中国と北朝鮮の手先」と叫ぶ。そこで安倍総裁は「国民の本当の声はここにある」と呼応する。これらの若者が安倍自民党の一つの支持母体となっているのだ、というわけ。

 小林氏は、かねがねアンチ朝日で反サヨク・反「自虐史観」論者のはずなのに、朝日からインタビューを受けて意見を寄せている。彼によれば「ネット右翼」は、「小泉構造改革の影響で激増した仕事につけず人間関係で孤立した若者、そんな人々の一部が『誰からも必要とされない無価値な自分』に履かせるゲタとして愛国心を使い、『自分はそうでない人々より価値があるのだ』と他人をたたいて憂さを晴らしている」。それがネット右翼で、安倍氏は、そのようなネット右翼ともたれあっている、というのだ。

 「ABCD4層」論でいうと、自民党や維新の会の支持母体になっているB層に、このヤンキーとネット右翼が入っている、というわけか。

 彼らは親権力(権力寄り)
 しからば、彼らの勢いに対して,反権力であるサヨク(リベラル)は何故弱いのだろうか?なぜ「ネット右翼」だけで「ネット左翼」は無いのだろうか?
 C層(知性派)は何故ニヒリスティックに選挙を棄権するのか?
 なぜ?

 よくわからないが、それにはマスコミのせいもあることは確かだろう。
 マスコミが視聴率や購読部数を稼ぐ対象はマジョリティー(多数派)であり、彼らによって選ばれた政府寄りか、野党第一党(準政権党)寄りになるのである。
 今回の選挙期間中もその前も後も、マスコミは徹底して自公民(2大政党+1)、それに「第3極」なるものの話題性から「維新の会」、途中から出てきた「未来の党」などだけを取り上げ、他は取り上げないか、わずかしか取り上げない。他の小政党はどうせ政権には関わらないからというわけである。
 そして記事やニュース解説は、大半が政権の枠組み(自民・民主のどちらが中心か、どの組み合わせになるか)、野田・安倍のどちらが首相にふさわしいかなどの政局報道がほとんど。
 それに「競馬の予想屋のような」選挙予測や世論調査を(「自民党大勝の見込み」などと)繰り返し、「勝ち馬」意識を煽る。これはメディアが望む政権に導く世論誘導でもある。

 このようにマスコミに問題があることは確かである。
 しかし、マスコミからあまり取り上げてもらえず出演の機会が少ない政党やその支持者は、それを口説いているだけで、自分の非力さを他のせいにしてばかりいてもしようがないわけであり、自らの発信力・アピール力とその方法をなんとかして研究・工夫し鍛え広げるしかないわけである。(機関紙だけでなく、インターネットTVの放送局を開設するとか。)そのためにはそれこそ何倍・何十倍もの努力を傾けるしかないのだろう。

  サヨクは何故弱いか?といえば、その原因の一つには、ヤンキーのような元気・行動力の点の弱さがあるのだろう。生真面目で大人しい沈思黙考タイプ。(かつて見られた過激派は今は見られない。しかし、そんなのはかえって人々の反感を招くばかりだから、暴走族と同様、歓迎はできない。)
 ただ金曜官邸デモなど、根性のある行動派サヨク(反権力)の若者も台頭しつつあるようで、それは救いというものだろう。

<加筆>
 「31歳フリーター、希望は戦争」といえば赤木智弘氏。彼がそう書いた07年、前の安倍政権当時。同じ弱者でも高齢者は経済成長世代。それにひきかえポストバブル世代で正規職にはありつけず、いつまでも結婚もできず、親元で暮らす若者たち。
 赤木氏によれば平和とは「穏やかで変わりないこと」で流動性のない閉塞状態。このような平和が続けば上のような世代間格差・不平等が一生続く。しかし、戦争が起こればたくさんの人が死ぬが、日本は流動化する。戦争は国民全員が「生きるか死ぬか」のどちらかに平等に賭けるギャンブル。(既得権を)持てる者にとってはそれを失うのが悲惨だが、持たない者にとってはチャンス。だから「希望は戦争」・日本の軍国化ということになり、彼ら若者は右傾化にむかうことになる。左翼は労働者の権利(既得権)を擁護するだけで、フリーターやニートなどの境遇に置かれている若者には手を差し伸べない。
 団塊世代の正社員層の所得水準を引き下げ、その分を回してほしい。さもなければ戦争に向かうしかない、というのが赤木氏の考え。
  
 しかし、財界・大企業経営者層などにとっては、たえず企業経営と収益の安定確保を求め、安あがりな人件費、そのための労働市場の流動化(非正規雇用・派遣労働者の雇用の自由化)を希望する。小泉政権の構造改革とそれを受け継いだ安倍政権はそれに呼応。その結果の格差・貧困の深刻化。政府や支配層にとっては、その国内矛盾・国民の不満を外にそらすうえで外敵(脅威)の存在、戦争の危機(トラブル)はむしろ好都合(北朝鮮や中国が危ないことやってくれると、内心それを喜ぶのは彼ら)。そういう意味では戦争(それが起こるかもしれない危機的状況・脅威があること)を「希望」(歓迎)しているのはむしろ安倍自民党政府と支配層その他の準支配政党。彼らの思惑に乗せられてはならない。

 それに、日本が軍国化し戦争になれば、社会は流動化して平等になるのだろうか。国民全員が平等に苦しみ続ければいいのか。二等兵のインテリを学歴のない一等兵がひっぱたければ、それでいいのか。
 旧日本軍の実態、イラク戦争やアフガン戦争に従事してきたアメリカ兵の実態を解っているのだろうか。戦争の現実は、生死のギャンブル機会の平等なんかではない。死は(学歴も地位も財産も)持たざる若者に圧倒的に偏り、持てる者はぬくぬく、高齢者は免れても死ぬのは若者なのだから。。
 それに今、戦争ではなくても東日本は大震災・原発事故で避難・流動化しているが、非正規・不安定雇用の境遇に置かれていた若者たちはそのお蔭でいい思いをしているのだろうか。

 左翼が定職を持たないか不安定雇用にある若者に手を差し伸べない、と全て決めつけて言っているが、果たしてそうか。連合系労組などやそれを支持基盤にしている政党や政治家などには、そうとられても仕方ないようなものもあるのは確かだが、そうではない左翼政党や労組もあり、これらは、他のどこもそれを取り上げ取り組んでいないことに一生懸命取り組んでいる。
 それに労働者の権利を「利権」などと、企業経営者・業界団体・各省庁・特殊法人などの既得権益と混同している。彼らの権利は様々な人権とともに世界各国の労働者や民衆が連帯し懸命に闘ったあげくに獲得し、憲法で保証・擁護されている権利なのであって、左翼がそれを擁護するのは当たり前のこと。
 そのような左翼を誤解して敵対し、右に走って軍国化・戦争などをめざすのではなく、左翼も含め正規・非正規も含めた労働者の仲間と連帯し、現状打破ひいては社会変革のために、その闘いにこそ賭けるべきだろう。穏やかに現状に甘んじているだけの「平和」が嫌だというなら。

 赤木氏は、最近では反原発運動を批判し、音楽家の坂本龍一氏が昨年7月の「さよなら原発大集会」でスピーチした「たかが電気のために命を危険に晒して」という言葉をとらえて、電気もお金もあればこそ命を保ち生きていられるのに、とんでもないことを言ってると。
 しかし、この場合、電気やお金と命の価値を比べ、「どちらかを犠牲にしなければならないとしたらどちらを守るか」を考えれば、電気やお金のために命を犠牲にしてもしかたがないなどと言う人はいないだろう。命は、各人にとっては、それがあってこそ「生きる意欲」(なんらかの日常的な小さな目標・課題あるいは大きな夢・志・使命を抱き、それを果たそうとする意欲)がそこから生じて生きられ、常に「生きる目的」と一体をなしている。それに対して食糧・資源・エネルギー・産業・お金・生活環境・地球環境もすべては(生きる目的に対する)手段にすぎない。例えば坂本氏などにとっては、人々の心をうつすばらしい音楽をつくりたいという目的のために生きる自分の命―それは取り替えがきかない唯一つの命。それに対して、命とその機能を維持するためには、食べ物もピアノも電気の明かりも必要不可欠な手段ではあるが、これらは「この食べ物が嫌なら別の食べ物」「原発の電気が嫌だから太陽光」「お金がないからこれで我慢」とか「これをやって稼ぐ」といったふうに取り換えがきく単なる手段の一つにすぎない。そういう意味では電気などは「たかが電気」なのである。(電気は命を保ち、生活や仕事のために、現代では必要不可欠な手段ではあるが、代替エネルギーがあれば原発などは不要なのである。)
 原発(事故)で漏出した放射能を浴びれば、高齢者は大丈夫でも、子供や若者たちは将来にわたって大丈夫かといえば、そうはいかない。高齢者は残り少ない余生をぬくぬく電気で暖まって生きていられればいいが、子供や若者たちはそうはいくまい。

 赤木氏(今はフリーライターだが国民保険の保険料を納めるお金の余裕はないとのこと)。彼の真意は、とにもかくにも格差・貧困問題にあり、それを何とかしてくれ、さもないとヤンキーに限らず若者たちは戦争に向かい、軍国化を支持して皆ウヨクに向かうぞと警告しているのだと思われる。
 ところが、財界や支配政党(自公)の政府・準支配政党(民主・維新・「みんな」など)は、いずれも格差貧困を拡大する構造改革(規制緩和・民営化・自己責任・市場競争主義)路線と日米同盟を続け、戦争・軍事政策に前のめり、改憲して「戦争をしない国」から「戦争する国」をめざしている。そして若者をその路線に乗せようとしているのだ。ヤンキーやフリターやニートたちが「希望は戦争」などと言ってそれに迎合したら、それこそ支配層の思う壺だ。
 穏やかな現状に甘んじているだけの「平和」に我慢がならないというのであれば、隣国や左翼を敵視・敵対するよりも、「流動化」(格差・貧困の現状打破)は、自国の支配勢力に抗い、被支配勢力の仲間たちと連帯して自らの手で勝ち得るしかあるまい
。向かうとしたら、そっちの方に向かうべきなのでは。

 そう思うのだが、如何なものだろうか。


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