米沢 長南の声なき声


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体罰より千回でも口で
2013年01月12日

 「天声人語」には「『いい体罰』も『悪い体罰』もない」、「あくまで恐怖と身体的な苦痛なしで子らを育て導く『覚悟と決意』が必要だ」と。
 それにしても、体罰を教育論上「愛の鞭」とか「やむを得ざる必要悪」などとして容認する向きは少なくない。
 それに、大声で怒鳴るとか、苦痛を伴わない程度に叩き(はたき)つけて「喝を入れる」ということはよくあること。
 短気な私は、高校教師だった在職中は生徒を怒って「はたき付ける」ことも、たまにはあったし、我が子を「折檻」することもあった。近年には孫を泣かせたこともある。
 妻も、我が子が小さかった頃は「叩かれないとわからないのか」と叱っていたこともよくあったものだが、その妻が、最近、親になった子が孫にイライラしながら乱暴な対応をする時があるのを口説いて、「三四回ばかり聞かなかったぐらいで切れたりしてはいけない。千回でも繰り返し口で言って聞かせればいいんだ」と。(そう言われて子が返した言葉は「千回も言ってなきゃならないんだったら、その間お母さんは死んじゃうんではないの」という憎まれ口だったが)相手が聞き入れ、言ったことが身に付くまで何回でも繰り返し言い、何回でも練習を繰り返させる辛抱強さ、そういう厳しさこそが、親や教師には必要なんだ、ということだろう。


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