●大鵬が亡くなった。当方とタメだったんだな。樺太で生まれ、幼くしてウクライナ人の父親と離れ離れ。終戦直後母親と命からがら北海道に渡って道内各地を転々。転校を繰り返し、貧しく納豆売りをし、いじめにもあいながら子供時代を過ごしたという。柏鵬時代は、当方は柏戸の方を応援したものたが、柏戸は16年前58歳で亡くなっている。大鵬の方はずうっと健在だったと思っていたが、引退して5年後に脳梗塞で倒れ、その後遺症を引きずってきてたんだな。死因は心臓不整脈の一種らしい。
もう一人、お婆ちゃん詩人の柴田トヨさん。101歳、特別養護老人ホームで、老衰で逝かれた。詩集「くじけないで」をもう一度読んでみた。こんな詩があった。
『神様』
「昔 お国のために と 死に急いだ若者たちがいた
今 いじめを苦にして 自殺していく子供たちがいる
神様 生きる勇気を どうして 与えてあげなかったの
戦争の仕掛人 いじめる人たちを 貴方の力で 跪かせて」
『返事』
「風が耳元で 『もうそろそろ あの世に行きましょう』なんて 猫撫で声で誘うのよ
だから 私 すぐに返事をしたの 『あと少しこっちに居るわ やり残した事があるから』 風は困った顔をして すーっと帰って行った」
今回の「返事」は・・・・・だったのだろうか
●新聞に「体罰問題、部活動指導者に聞く」という記事。「東京都の40代の柔道部顧問は『親が子に手を上げるのと同じ。真剣に向き合えば、100回叱るより効果はある』と話」していたと。
「1回で聞かなかったら1,000回でも話して聞かせればいいんだ」と言っている女房に「この話、どう思う?」と訊いたら、「そういう考えだから、戦争になんなだべや」という。
そういえば尖閣の領海にちょくちょく入ってきてる中国の艦船に対して、海保はその度にスピーカーで警告を発しているが、一発砲撃を食らわせたらどうなるか、その方が100回警告するよりも効果がある、と言ってるみたいなものかもしれないな。
●新聞に教え子(65歳)のS君の投稿が載っていた。最高裁裁判官の国民審査について。「今まで全て無印」「裁判官がこれまでどのような裁判に関わったかなど知るすべもない。ほとんどの人がよく分からず判断しているのではないかと思う。」「選挙民の大半は困惑しているのが現状ではないか」と。 その通りだ。事実それで免職になった裁判官はゼロ。当方もずうっと以前からそれを感じていたのだが、その仕組み・投票用紙の記入の仕方なども全く改善されることなく、マスコミでも(議員選挙のほうは盛んに取り上げられ報道されるが)裁判官の国民審査のほうは、それが取り上げられることはいたって少ない。今回は、朝日では、投票日前、社説は一回だけ、記事も1~2回、投稿は一つ(「違憲状態 助長する人に『×』を」というもの)、それに「一人一票実現国民会議」なるものの意見広告が数回載っただけ。あとは投票日間際に選管から配られた審査広報だけ。(当方は、それらを見て裁判官が「君が代」などに関する職務命令をどいつもこいつも合憲と判断していることなどで全て×にしてきた。)
投票後は、朝日の「声」投稿が一つ(「儀式化した裁判官国民審査」―「信任されるためのシステムとしか思えなかった」というもの)出ているだけ。
S君の投稿は山形新聞にちょくちょく載っているが、アッパレ!いいところをついているよ。
●女房が、娘が孫にイライラしながら乱暴な対応をする時があるのを口説いて、「三四回ばかり聞かなかったぐらいで切れたりしてはいけない。千回でも繰り返し口で言って聞かせればいいんだ」と。娘が
返した言葉は「千回も言ってなきゃならないんだったら、その間お母さんは死んじゃうんではないの」という憎まれ口。バカ娘!
かくいう私は、高校教師だった在職中は生徒を怒って「はたき付ける」ことも、たまにはあったし、我が子を「折檻」することもあった。去年は孫を泣かせたこともある。
高校運動部での体罰事件が起きているが、それに関して元ジャイアンツの桑田が「中学まで毎日のように練習で殴られていた」が「私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありま背ん」と言って、「体罰不要」論を説いていた(朝日)が、なるほど尤も。えらい!
●米沢で雪下ろし事故―医院の院長が亡くなられた。当方と同じ歳、当方がつい先月、孫と一緒にインフルエンザ予防の注射を受けに行ってお世話になったばかり。
早朝、院長が自ら車庫の雪下ろしをしようと、スノーダンプをかついで梯子を登って2メートルの高さから転落。原因は「くも膜下出血」とのこと。
学校や幼稚園の校医を務め、様々な方面で多くの方々がお世話になっていただけに痛ましいかぎりだ。
それにつけても、高血圧や糖尿などにストレスを抱えながら、寒中に頭や身体に無理を強いて「くも膜下」などに襲われることのないよう、くれぐれも気を付けなくてはならないな。
●元日の朝日新聞に「日の丸を掲げたい街―官民を挙げて掲揚に乗り出した市や町がある」として石川県中能登町・鹿児島県垂水市・大分県津久見市3市町でのその状況を報じていた。
中能登町は日の丸の掲揚率日本一を町の目標にしており、日の丸購入の呼びかけを強める方針。「日の丸を掲げていない家の主婦は周囲に目をやって声を潜め」て「わざわざ買うつもりはないけど、旗を掲げている家を見ると負い目みたいなものを感じますよ」と。町民の冷たい目を感じる、そのような居心地のわるい街には住みたがらない人もいるだろうに、そんな町に発展性はあるのだろうか。
津久見市の副市長は「教育基本法は『国と郷土を愛する』を目標に掲げている。公教育は法律に従ってなされるべきだ。イデオロギーの問題ではない」と。そもそも副市長や教育委員会など行政当局は教育の条件整備を事とし、教育の指導内容や教育法に口を出すのは越権行為であり教育への「不当な支配」に当たるはず(前の安倍政権の下で改定される前の教育基本法ではそうなっていた)。そもそも法律で特定の歴史観や国家観・価値観などイデオロギーを押し付けるのは違憲。日の丸・君が代を教員や生徒に強制するのは特定のイデオロギーの押し付けであり、法律や職務命令に従う従わない以前の問題。
米沢でも当方が住む町の隣の町内では、祝日というと軒並み日の丸を掲げているが、町内会でそんなことを決めていいのだろうか。
再び安倍政権それに石原・橋下らの先駆け・加勢で、そのうちどの町内でも、或いはどの学校でも日の丸を掲げ、君が代を起立斉唱しないと「まずいことに」なるのだろうか。
そんなことになったら北朝鮮と本質的には同然ということになってしまう。イデオロギーの自由と多様性が無くなり、窮屈で住み難い国、住み難い町、学び難い学校になってしまう。納税義務を果たし、「ふるさと応援寄附」もし、法規を守って住んできたのに、村八分(のようなもの)にあって出ていくしかなくなるのか。悪い夢で済めばいいが。
●紅白を聞き流しながら、12年最後の新聞切り抜き、一片づつボールペンで日付を記入(分類して紙袋に)、「12.12.31」と。
そのうちの一枚に「12年世相カルタ」が載っていた。その中から3句紹介。
「(を)おかしいよ、4割台で議席8割」
「(ふ)不安倍増 安倍晋三」
「(し)”自由”の国は銃の国」 なるほど・・・・・・
紅白も、いくつか目を止めた。
「ヨイトマケの歌」 美輪あきひろ。 どんなかっこうで出てくるのかと思って目をやったら、まとも。
じいっと聴き入った。やはり「じーん」ときた。
それは、いつか夢の中で、なにかの集会に集まった大群衆が歌った労働歌だった(そう聴こえた)。涙目を覚まして気が付いたら、その歌は「ヨイトマケの歌」だったのだ。紅白が終わるとNHKは「ゆく年くる年」で、各地の寺の除夜の鐘とともに初詣の紹介。陸前高田の寺に新しく建てられた地蔵堂の母子3体は津波でなぎ倒された松原の松の木で彫られたとのこと。いつか子供らと行って初詣してきたことのある鎌倉の鶴岡八幡宮の銀杏の大木は大震災の前年、暴風で倒れ、根本だけが残った、そこに芽が生え出て葉をつけたという。
0:00を回って間もなく、新春最初のニュースは安倍総理の年頭会見。「デフレと円高からの脱却で経済再生・復興、教育・外交にも全力を挙げて取り組む」、「領土・領海を断固として守り抜くため、国境離島の振興・管理・警戒警備の強化を進める」との談話。その後には尖閣の海の映像に「9月の国有化決定以来20回目の中国監視船の一時領海侵入」というニュースだった。
今年は東シナ海波高しの年になるのか。