米沢 長南の声なき声


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草の根政党の存在価値(加筆修正版)
2012年12月11日

 不当解雇されたという知人。彼が言うには、自分はどうでも、他にも不当な扱いを受けた職員や入所者がいる。彼らのために、又、今後にわたって人々から必要とされる大事なこの施設の存続のためを思うと黙ってはいられない。議員に頼むんだったら共産党の議員がいいと思っている。なぜかというと、共産党は票にならなくても一生懸命やってくれるからだ、と。

 そこで考えた。

(1)民主主義の問題点
 民主政治とは多数支配で、選挙で国民の多数支持を得て多数議席を獲得した多数派政党が政権を握って統治するやり方。
 民主政治とは、いわば市場政治で、政策と人物(大衆を引き付ける才、弁舌、政治力・ポリシーなど)の売り手(政党・候補者)と買い手(選挙人)があって、買い手の多い(選挙で票の多い)政党・候補者が当選して議員となり、より多数議席を獲得し過半数を制した政党が国会で決定権を握り、かつ政権を握って行われる。
 政治家には二通りのタイプがある。一つは地位・権力・権益・名声などにありつこうとする欲望・野望から政治家になって政党を率い、或いはその政党に所属して立候補する者彼らが力を尽くし奉仕しようとする相手は選挙で票になる相手であり、最大限多くの票が得られそうな層を対象にして売り込もうとする。(ポピュリスト政治家は「賢くて強い」などを売りにする。大衆は、それが格好いいとその方になびき迎合しがちだからである。)
 それに対して、もう一つは、そうした欲望・野望なしに、ただひたすら困っている人々のため、恵まれない人々のために、或いはその政策を切実に求めている人々のために尽くそうとする政党・候補者―民衆への奉仕的精神に立ったいわばボランティア・タイプの政治家で、その愚直さは大衆にはあまりうけない(なぜなら大衆はとかく「強くて賢い」政治家になびき、愚直な政党候補者は「バカ正直でお人よし」と侮られがちだから)。

 前者は多数派(マジョリティー)の政党であり、後者はマイノリティーの政党、と考えられる。

(2)資本主義・市場競争社会では人々は上中下の階層に分かれ、下層でも、そのまた下の人たち(最下層・最貧層・いくら頑張っても自力では生活できない、条件に恵まれない人たち)が存在する。彼らは、数の上では相対的に少数(マイノリティー)なので、選挙の票田としては小さく、あまり票にはならない。したがって議員になって大臣あわよくば総理大臣にもなって権力にありつきたいという野心をもつ政党とそこに集まる候補者がターゲットにし、支持を得ようとする選挙民は、数の上では大多数(マジョリティー)をなす中間層(実際はそうでもないのに、人はとかく自分を弱者・マイノリティーだとは思いたがらず、自分よりまだ下がいると思い込んで「中流」の部類と思っている。そういう人も含めた中間層)から上の層(富裕層)。自民党にしても民主党あるいは維新の会・みんなの党なども、そのての政党・候補者が相手にするのは、大票田となり、金づるにもなる(政治献金が得られる)財界・大企業とその労組であり、中流意識をもつ市民・中間層から上の人々(マジョリティー)で、彼らに対しては一生懸命尽くして人気取りに努めるが、大して票になりそうにない下層・弱者(マイノリティー)に対しては、一生懸命になれない。
 そういう政党や候補者の多い中で、公明党と共産党などは一般に「弱者の党」と見なされている。ただ公明党は、自民党との連立政権に加わったり、石原都政の与党になったり、消費税増税の民自公3党合意に加わり、維新の会とも選挙協力を行ったり、「強者政党」の方近づき、共産党とは対立関係にある。こうして見ると共産党が唯一の「弱者・マイノリティーの党」ということになるか。
 このような政党は「万年野党」に止まらざるを得ないのかもしれない。しかし、無くてはならない存在であり、議席(国会や地方議会での発言権)を無くしてはならない政党である。
 なぜなら、票にはならなくても、また政権はとれなくても、弱者・マイノリティーのために人道と正義にために、ただひたすら頑張ってくれる政党の議員だからである。そういう議員がいなくなったり、わずかな人数に止まれば、当の弱者たちマイノリティーはもとより、国民全体にとっても、多数派の横暴・右傾化暴走に歯止めをかける役割(チェック機能)をもつ政党の議員が一定数いなければ困ることになるだろうからである。(多数派の政権・政策にただ反対するだけでなく、提案を示し、或いは、窮状に置かれ窮地に瀕している人たちの切実な声を国会・委員会で取り上げて代弁し、告発もしている。市民の請願署名の国会への提出には国会議員の紹介がなければならないが、紹介を頼まれる議員が一番多いのは共産党55%で、民主24%・自民11%より多い。)
(3)国際的にもそうで、歴史的に近隣諸国に対する侵略政策をとる支配政党とそれに対するマイノリティーの党の抵抗があった。かつての政権党・有力政党は藩閥官僚・財閥資本家・大地主層などの利益を代弁する政党で多数派支配政党として国民を朝鮮・満州の侵略に駆り立てていった。さらには全ての政党が大政翼賛会に合流し、いわばオール与党の下で中国~アジア・太平洋へと戦争を拡大させていった。それらの暴走をくい止める政党はなかった。
 共産党は「無産者の党」「労働者の党」として「万国の労働者、団結せよ」のスローガンの下に、各国の虐げられた人々との連帯を掲げて反戦と民主主義を説き続けたが、ずうっと迫害・弾圧され続けた「マイノリティーの党」だった。ところが敗戦・連合軍占領下に新憲法が制定され、それまで異端視されてきた共産党の反戦・民主主義などの主張は日本国民に正統性をもって受け入れられることになった。しかし、政権党はアメリカに服従し、安保条約を結ばされて基地を提供し、日本は従属国の状態に置かれることになった。共産党はそれに反対し、ソ連・中国の党の干渉をも排して自主独立路線を貫き、大国のいいなりになることに抗ってきた。今は自民・民主その他どの政党もマスコミも「日米同盟・基軸」による安全保障神話にすがりついてアメリカの産軍複合体と利益を分かち合う安保路線を維持し、アメリカの業界と利益を分かち合おうとするTPP参加路線に向かおうとしている中にあって、唯一それらに反対し、どの国との間でも平和友好と経済主権の確保を主張し、たとえ票にはならなくとも、ただひたすら基地住民・農民・小生産者・庶民消費者のために尽くそうとする草の根の「護民官」に徹している


 このような政党は希少価値?があるというもので、その議席を減らしてはならず、社民党など他の護憲派議員と合わせて改憲発議をはばむに足るだけの3分の1以上議席に達するように議席を増やさなければなるまい

 と思うのだがいかがなものだろうか。  


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