今、選挙の際して国民が政府・国会議員に対して「何とかして」と切実に求めているのは景気対策・デフレ脱却、震災・原発災害からの復興、年金・子育てなど社会保障であり、政権党・野党各党の側から選択が迫られているのは消費税増税の実施の是非、原発利用継続の是非、TPP参加の是非など。
ところが、安倍自民党と石原維新の会は改憲・自主憲法制定を政権公約に掲げ、その是非を争点として突きつけている。
各党の改憲案
①自民党
●天皇を「元首」に―国民の上に立ち、憲法擁護義務を負わない?(国民が主権者であることをぼやけさせる)・・・現行憲法では天皇に(国務大臣や国会議員・裁判官その他の公務員とともに)「憲法を尊重し擁護する義務」を負わせているが、それを国民の方に「全て国民はこの憲法を尊重しなければならない」として、国民の義務を(現行憲法では勤労・納税・教育の3大義務だけなのに、それ以外にも)様々列挙し、国や公の機関の指示に従わなければならないとして課している。
●近代憲法は、政府や公務員にそれを守らせ、権力の乱用を防ぐのが役目なのに(いわゆる立憲主義―伊藤博文・明治憲法の起草者でさえ、いわく「そもそも憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」と)。
●日の丸・君が代を国旗・国歌として尊重することを明記。
●9条に自衛隊を「国防軍」として明記・・・・国防軍に審判所(軍事裁判所・軍法会議のようなもの)を置く―「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪または国防軍の機密を犯した場合の裁判を行なうため」と(ところが別の箇所には「特別裁判所は設置することはできない」と―矛盾)。
●緊急事態条項―武力攻撃・内乱等による社会秩序の混乱、地震等による自然災害その他
総理大臣が緊急事態を宣言し、事前または事後に国会の承認を得る。宣言が発せられた時、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる(それによって、国民やその施設の動員を義務付け、一時的に人権制限)―かつての緊急勅令や戒厳令のようなもの。
(災害緊急事態は現行憲法でも想定されており、具体的には災害対策基本法に条項が定められているのに。)
海外居留民保護―「国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない」と(かつてはそれを名目に出兵)。
●国会の改憲発議要件を現行では衆参総議員の「3分の2以上の賛成」となっているのを「過半数」へとハードルを下げる。
③維新の会
首相公選制、一院制、道州制
9条改定で国民投票を実施。
改憲発議要件を自民案と同じく過半数に
②みんなの党
天皇を「元首」に
日章旗と君が代を国旗・国歌として明記。
首相公選制、一院制、道州制
改憲手続き緩和
④公明党―現行憲法に環境権やプライバシー権などを付け加える(加憲)。選挙の結果は、その自民党と維新の会が大勝・躍進する可能性が高く、来夏の参院選でもこの両党の他にみんなの党あるいは民主党・公明党など多かれ少なかれ改憲を容認している党派が、合わせて3分の2以上議席を取るようなことになったら、改憲が実行されることになる。まずは96条改定(国会での改憲発議要件を賛成3分の2以上から過半数にして改憲しやすくする)から始まって、「環境権」などの加憲、天皇の元首化、国会の一院制化・首相公選制、そして9条改定(自衛権の明記、自衛隊を「国防軍」として名実ともに軍隊化)に至る。そのような明文改定には長い期間を要するとしても、「集団的自衛権の行使」容認などの解釈改憲は容易に行われてしまうだろう。
これが行われれば、戦後、不戦平和国家として国際的にも認知されてきた我が国に対する見方はがらりと変わることになり、「戦争する国」として警戒の眼差しで見られることにもなるだろう。とりわけ、中国や北朝鮮を我が国が警戒し脅威と感じるように中・韓・北朝鮮・ロシアなどから、或いはたとえシュミレーションとしてでも核武装化を試みるようなことがあればアメリカからさえも警戒されるだろう(軍事ジャーナリストの田岡俊次氏などのよれば、アメリカが核武装を最も恐れている国は実はこの日本なのであり、IAEAの最重要査察対象国は他でもないこの日本なのだ)。「中国や北朝鮮が攻めて来たらどうする?いつどこから攻めてくるかわからない。自衛隊も米軍基地も無くてよいのか?」「台湾が中国から攻撃されて、それに介入して出動した米艦が中国軍から攻撃された時、自衛隊が米軍の援軍として武力を行使せず黙って見ているだけでよいのか?」(11月30日の「朝まで生テレビ」などで見られた議論)
とは、よく言われる「仮定の質問」だが、そのようなことは、実はありそうであり得ない(可能性はあっても蓋然性(必然性)はない)ことなのであって、そのような問いかけ自体が間違っているのだ。地震・津波・台風などの自然災害なら、いつ来るかわからないが、必ず来る。それは人間が阻止もできないし回避―かわすこともできない。しかし、戦争や軍事攻撃は自然災害とは異なり、人間が行うものであって、意図や理由・目算があって、人間の意志で決断して始めもすれば取りやめることもできるし、思いとどまらせ、やめさせることもできる。それは軍備によって阻止し抑止することもできるし(但し、「備えあれば憂いなし」とよく言われが、軍備による抑止のやり方は、かえって相手側の軍事力強化や軍拡競争を招き、かえって緊張を激化させ、戦争を誘発する危険をともなうので、それは賢明な方法ではない)、それ(軍備)には頼らなくても、(普段から友好協力を重ねて信義を結び、信頼の上に立って)、交渉・取引・説得などによって阻止(思いとどまらせることが)でき回避することができるのである。
まず、中国が、何もしない日本の自衛隊や海上保安庁などの艦船や米軍基地その他に対して一方的にいきなり攻撃をしかけるとか、日本に攻め込むなどあり得ないし、台湾を攻撃することもあり得ない。北朝鮮も、である(核・ミサイルの実験や軍事力の誇示・挑発行為などはあっても)。
なぜなら、独裁国家だから、自国民を犠牲にしても他国民を犠牲にしても、無法行為(拉致やテロその他)も平気な国だとはいっても、目算なしに(かつて日本が行った勝ち目のない無益・無謀な戦争の二の舞は踏むまいとの計算をも含めて)無謀な挙(アメリカに対しても、韓国に対しても、日本に対しても、本格的攻撃・開戦)に出ることはあり得ない。(追い込まれて苦し紛れに、「窮鼠猫をも噛む」が如く自暴自棄に走ることはあり得るが、それは追い込む側の問題。)北朝鮮がひたすら求めてやまないのは、むしろアメリカに対してキム現政権の安全保障と和平・国交正常化・経済支援を獲得することだろう。
中国と台湾・アメリカとの関係は、今は日本以上に緊密であると言ってもよく、中台間は経済的には一体化が進んでおり、人々の往来も盛んでFTA(自由貿易協定)も結んでいる。米中間も緊密な関係をなしており、中国はアメリカにとって最大の貿易相手国にして最大の債権国であり、米中戦略経済対話を毎年2回両国とも最高レベルの閣僚が集まって開催している間柄である。中台戦争も米中戦争もあり得ないのだ。それから、米軍が中台紛争に介入して中国軍から攻撃されたら、集団的自衛権を理由に、自衛隊が援軍出動することができるように、(解釈改憲であれ、明文改憲であれ)改憲すべきだ、というのも成り立たない議論だ。
なぜなら、自衛権というのは自国が攻撃された場合のことであり、集団的自衛権というのは同盟国の本国(アメリカならアメリカ本土かハワイやグアムなど)が攻撃されたばあいのことなのであって、イラク戦争やアフガン戦争に出撃した米軍に自衛隊が援軍出撃して武力行使することなどできない。それと同様に、中台戦に介入して国外で攻撃された米軍に自衛隊が援軍として出動し武力行使するのは集団的自衛権には当たらない―それは自国も同盟国も攻撃されてもいない国外の戦争に参戦するということ以外の何ものでもないからである。
そのような参戦・武力行使は憲法だけでなく日米安保条約上もできないのである。安保条約には第1条に「締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれに関係することのある国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。」
このような国際紛争に際する武力行使の禁止は国連憲章に規定があって、安保条約もそれに従って同じように規定している限り、憲法を変えてもどうにもならないわけである。いずれにしても、このような、あり得ない「たられば」の仮定の上に立った質問からは議論が成り立たない、ということである。これらあり得ない仮定のことを想定し、それを口実にした自衛権の明記、集団的自衛権の行使容認など改憲をはかる勢力の伸長を阻止しなければこの国はどうなるか。
戦後、不戦平和主義を国是とし、(朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争・アフガン戦争などあったが)戦争では一人も殺し殺されることのなかったこの国は「戦争をしない国」から「戦争をする国」(戦争で「殺し殺される国」)に変身することになる。
そして、軍事力を背景にした外交(軍事主義)―強硬外交(タカ派的外交・対決姿勢)
それは国際緊張とりわけアジア諸国に緊張を呼び起こすことになる(かつての日本軍国主義の「悪夢」を想起)。
近隣諸国は、日本が中国と張り合って軍事大国化するのを歓迎し、日本にすり寄ってくるだろうか。否かえって不安がられることになるだろう。
中国・北朝鮮・ロシアそれに韓国でも日本への警戒・反日はさらに強まり、尖閣・竹島・北方領土をめぐる緊張はさらに激化するだろう。北朝鮮はアメリカのみならず日本に対しても脅威感を強め、核・ミサイルをおとなしく手放すどころか、益々すがりついて離さず、「先軍政治」(かつての日本と同様の軍国主義)を取り続けるだろう。
日本の外交力の弱さは、石原氏らは軍事力が弱いからだと言っているが、それはアメリカの軍事力と外交力に頼り切って追従してばかりいるからなのであって、アメリカにも軍事力にも頼らずに、したたかに平和主義と信義に徹してこそ強い外交力をもつことがでるのでは。景気の悪化・不況の原因の一つは日中間の関係悪化である。それを招いたのは尖閣「国有化」であり、そのきっかけをつくったのは石原前都知事の尖閣購入計画と考えられ、このところの不況の悪化を「石原不況」と言う向きもある。
このところの中国脅威論や北朝鮮脅威論の高まりを追い風にタカ派改憲派が勢いずいているきらいがある。
しかし、安全保障の要諦は「敵をつくらないこと」(田岡俊次)であって、隣国を敵国とせず、不仲な国を友好国に変えることである。憲法9条を変えて中国・北朝鮮を仮想敵国にして軍事体制を強化することではない。現行の日本国憲法は大戦に至る歴史の中で犠牲にされた数多の命(大戦では日本人300万人、アジア諸国民2,000万人の血)で贖って得た、この上もない貴重な「宝物」であり、世界が日本国民に平和の担い手として与えた、いわば責任証書ともいうべきもの(前文には「日本国民は、・・・・・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し・・・・・この憲法を確定する。」「・・・・・これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。」「われらは、・・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と)。これをむざむざ放り出してしまうようなことになってもいいのだろうか。
選挙は改憲派が優勢、まさに歴史的危機というものだ。