だますことは罪だが「だまされることも罪」(最近の朝日新聞に掲載された伊丹万作エッセイ集から)。
為政者が国民・市民に情報を知らせないことが罪として責任が問われるが「知ろうとしないことも罪」になる。それに、かつてヨーロッパでファシズムの嵐が吹き荒れた当時、ある牧師が述懐した言葉に「はじめに社会主義者が・・・(迫害されたが―引用者)私は黙っていた、次に自由主義者が・・・、それでも私は黙っていた、・・・そしてとうとう宗教者が・・・」というのがある。(それらの言葉は、先日の米沢地区国民教育研究集会での一レポートで聞きつけた。)それは「黙っている罪」ともいうべきもの。
それに関連して、もう一つ最近思いついたことは、「黙っていられない」、だから「声なき声」をこのブログで発信しているのだが、集会・デモにも東京くんだりまで行って参加している。それは政府や為政者たちに対するプロテストだけでなく、彼らとその党を選挙で投票して選んだ有権者市民、あるいは彼らとその党の政策に反対している党の候補に投票しなかった有権者市民に対しても訴えずにはいられないからにほかならない。民主主義(デモクラシー)とは「デモス(市民)の支配(クラティァ)」ということで、国家はリーダー(為政者)によって運営・統治されるが、それは彼らを支持して選んだ多数派市民によって市民が支配されるということでもある。
消費税増税にしても、それを決めたのは自公民3党だが、彼らを支持して選んだのは有権者国民であり、その自公民各党に投票した人たちのせいで、払いたくもない10%もの消費税を払わされるはめになっている、ということである。(もっとも民主党に投票した人たちの中には、同党がマニフェストで消費税は上げないと言っていたのを信じて投票した人たちもいるだろうが、彼らはそれが裏切られた。そういう人たちは責めるわけにはいかないだろうが。)
或は大阪では橋本・維新の会を選んだ有権者市民のせいで、人々は強行採決して決めた諸条例とその強権支配に服さざるを得ない結果になっているわけである。
しかし、彼ら(サイレント・マジョリティー)は、個々には誰に投票したか判らないように(秘密投票で)黙って投票しており、いちいち責任を問われることはない。
自公民3党や維新の会には投票しなかった人たちにとっては、消費税増税などの政策や強権支配を合法化する諸条例を決めたこれらの党派と彼らを支持%E