新保守主義 二つの要素
①新自由主義―民間の自由な経済活動に任せる市場原理主義
民営化・「官から民へ」・規制緩和(派遣労働の自由化、非正規雇用の拡大、そのうえ解雇規制の緩和も企図)
「地域主権」―統廃合―伝統的な地域を解体・・・・都構想・道州制
競争・格差(強者・「勝ち組」・マジョリティーによる弱者・「負け組」・マイノリティーに対する優越・支配)を肯定、
教育は「国際社会で勝ち抜く競争力のある子どもを育てる」人材育成のサービス業と見なす。
「自助努力」「自己責任」―能力と機会さえあれば、まづはそれでいくのは当然だとしても、それらに恵まれず(心身が普通に働ける状態になく、或は働ける能力はあっても仕事がなく、働くに働けないなど)自助努力・自己責任だけでは立ち行かない人の場合は、国の責任で公助が必要なのに、それを極力ひかえて自己責任に帰せようとする―そして社会保障を抑制―生活保護制度と受給者バッシング―親族の扶養義務強化の動き。
「頑張った人が報われるべきだ」と成功者(勝者)の高所得を肯定し、累進課税・所得再分配を嫌がる。
②新国家主義―強い国家
―国家は自分たちの今の生活・営業を守るための道具
権力を支持・利用―国益イコール私益・・・・かつての「滅私奉公」(お国のため自己犠牲)との違い(新自由主義を伴うこととともに「新」たるゆえん)
強い軍事力を保持―自衛隊(軍隊化)・日米同盟の維持・強化
③文化的保守主義
伝統・愛国心にとらわれる(→排他的ナシンョナリズム)・・・・「がんばれニッポン」と、自然にわきあがる感情ならいいが、押し付け・強制が問題
家族・地域共同体の「絆」を重視―しかし、それらは競争・格差で分断・分解(矛盾)
教育・文化の管理統制を強化―教育委員会に対して首長の権限を強化
「日の丸」「君が代」強制
「つくる会」系教科書の選定・押し付け
社会統制したがる―監視社会(治安維持のために「皆がそれを望んでいる」と)
要するに、人も組織も競争させて管理・統制を加えるのがいちばん、という考え方
―生徒も教員も職員も「人間」としてよりも競争力のある「人材」として、管理される対象として考える人間観これらのイデオロギー・価値観に共通項をもった政治家・党派
小泉―構造改革・・・「郵政民営化」
靖国参拝にこだわる
安倍晋三―「戦後レジームからの脱却」、
「美しい国・日本」、教育基本法を改変、改憲手続き法を制定
みんなの党―小泉改革を継承、「大阪維新の会」と連携
石原(都知事)―憲法無視
橋下(「大阪維新の会」党首・大阪市長)―「決められる民主主義」―多数派の独裁―強いリーダーシップ―トップダウン
「選挙では、国民に大きな方向性を示して訴える、ある種の白紙委任なんですよ」
―政治家は大きな方向性と価値観を示し、それが支持されたのであれば、
その範囲である種の白紙委任が認められるのだと。
(マニフェスト・公約になくても、その一存で決められるというわけだ)。
「強いリーダー」としてウケける―「改革者」として見られる(イメージ)
キャッチフレーズ
「自立する個人」―自助努力・自己責任を強調、生活保護・福祉サービスの抑制
「自立する地域」―内政は地方(自治体)に丸投げ、外交・防衛は国(政府)の役割
地方間格差を埋める地方交付税を廃止し、消費税をすべて
地方消費税にして自治体の自助努力にまかせる。
「自立する国家」―従属的な日米同盟「基軸」はそのまま
内外に「敵」「抵抗勢力」を作って―公務員・労組・北朝鮮・中国など
それらと「果敢に闘うリーダー」に見られ、 バッシングを煽る。
断定的な(歯切れのいい)言葉・・・・巧妙なレトリック(言い回し)
感情に訴える(「感情統治」)
―論理や科学的根拠に(矛盾していても)とらわれない
やっていることは―「君が代起立斉唱条例」・「教育基本条例」
「職員基本条例」・「市職員政治活動制限条例」等の制定、
職員の思想調査、
公的福祉サービスの切縮め、教育・文化施設の縮小・廃止
改憲を志向―現行憲法を邪魔ものと
いじめ・虐待はこれらの政治がもたらした競争・ストレス社会の産物
テスト競争・管理教育→強いストレス感・不安感・プレッシャー(抑圧感)
→「うさ晴らし」―ふざけ・いたずら・「遊び半分」からサディスティックな(苦しむのを見て楽しむ)陰湿・残忍な「いじめ」へとエスカレート(「自殺の練習」から自殺に追い込まれる)
教員評価制度・学校評価制度→学校・教育委員会の隠ぺい体質・事なかれ主義
教員の雑務(報告書・指導案等の作成、研修、成績処理・数値データのパソコン入力)で長時間過密労働―生徒(教員数に対して多過ぎ)をよく見れない(目配りできる時間が少ない)学校も社会も一人ひとり(命・人権・人間としての尊厳)が大切にされる状況にない―子どもも大人も生きづらい(教員にも自死、うつ病など精神疾患が増えている)
漫画家の西原理恵子さん(亡くなった夫は戦場カメラマン)は新聞(8月5日朝日―「いじめられている君へ」シリーズ)に次のように書いている。「いくら紛争地帯でも、年間3万人も死ぬことはありません。でも、日本ではそれくらいの人々が自殺しています。そう、この国は形を変えた戦場なんです。」