米沢 長南の声なき声


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「決められる政治」なるもの② (加筆修正版)
2012年06月16日

 「決められる政治」とは、国民が嫌がることを嫌がらない人たちが決められる政治にほかならないだろう。
 国民(庶民)が嫌がることとは消費税増税、原発再稼働、TPP、米軍基地、9条改憲、競争・管理教育など。
 「嫌がらない人たち」とは、これらが決まっても、たいして困らない人たち、かえって有利になる人たちだ。
 「決められる政治」の手法の一つが「主要3党」の「修正協議」合意―要するに多数派独裁にほかならない。
 その3党協議とは、国会では関連法案を審議する衆院特別委員会に他党委員も出席し、公聴会も設けられて質疑が行われている最中、それをよそに、3党だけで、協議実務者が都内のどこかわからないホテル(週刊朝日によれば赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京)にこもって進められたという、まさに密室談合。消費税増税法案それに原子力規制法案(40年廃炉の条文に見直し規定を設ける)も、そこで合意。
 主要マスコミは、それを歓迎・評価。
 彼らは「3党協議で結論を出す政治スタイルを確立しないと国民の期待が地に落ちる」(公明党の山口代表)などと言って、その手法を正当化。(週刊朝日は「事実上の『大連立』による「談合政治」と書いている。)
 彼らは「多数派」だとは言っても、国会の各党議席の構成では多数派だが、消費増税など個々の問題に関するかぎり彼らの意見は国民世論の中では少数派なのである。世論調査では消費税増税には6割が反対、原発再稼働も賛成派は少数派なのである(マスコミが、あれほど「財政破綻したらどうする」とか、「停電になったらどうする」と脅し、煽っていてもだ。)
 そのような多数民意の反対を押し切って3党だけで決定し、それを国会そして国民に押し付ける、そんなことが「決定できる民主主義」などと言って正当化できるものか。そんなのはとうてい民主主義の名に値すまい。

 


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