米沢 長南の声なき声


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脱原発依存ではなく脱原発を
2012年05月25日

 原発再稼働については、電気を大量に使う利用者や原発関連産業で収入を得ている人々にとっては、必要性は強くても、もっと広範な人々や生き物にとっては生命の安全性の方が大事なのであって、安全性を最優先に判断すべきだろう。
 それに、この種の安全性を考える場合、事故の確率はゼロにもっていかなければならない。なぜなら原発は航空機事故とかその他の事故の場合と違って、一度事故が起きてしまったら計り知れない数多の人々や生き物に災いをもたらすからである。
 確率ゼロにもっていくとは原発そのものをゼロにもっていくことにほかならない、即ち脱原発。それを可能なかぎり早期に達成すること。そしてその行程表をつくり、やむをえず暫定的に再稼働するにしても、そこに位置づけてその期間内に限定すること。
 ところが政府は、原発割合を小さくしていくだけの「脱原発依存」という考え方で、原発を40年かそこらの間に「着実に減らしていく」とは言っても、「最終的に原発がゼロになるということとは必ずしもイコールではない」と(枝野経産大臣)。それは、原発ゼロはできるだけ先延ばしにするということにほかならず、安全性よりも必要性のほうを先行させ、とにかく再稼働させずには置かないという考え方である。
 そのようなことでは、原発を稼動し続けている間にいつ過酷事故が起きるやもしれず、起きたら福島以下のレベルでは済まない、とりかえしの付かないことになるかも知れない。その確率は少ないとはいえ、絶対起こらないという保証はないわけである。
 政府は「脱原発依存」などではなく「脱原発」をこそ決断すべきなのではあるまいか。


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