最近、よく言われる「『決められない政治』からの脱却」(野田首相)とか、「日本は『決められない国』だとアメリカがいらだっている」(NHK)とか、「決定できる民主主義」(橋本)とか。
マスコミがそれに同調し、人々の間でも、「そう言われれば、そうだな」と、それに同調する向きが多い。すでに選挙制度は、中選挙区制だったのから、小選挙区制が導入されて議席の大部分を二大政党のどちらかで占められるようにし、それ以外の党から議員が選ばれる余地を少なくするやり方(小選挙区並立比例代表制)に変えられてきた。似たような考え(イデオロギーなど)の二大政党のどちらかが、3分の2以上の多数を制して、或は二大政党に中間政党を加えた3党間の談合によって、すんなりと決められるやり方だ。
大阪では「ハシズム」―選挙で当選したからには、その首長と、議会で多数を制した会派が決定権をもつとして何でもかんでも(選挙では公約になかったことまで白紙委任されたものとして、或は、憲法に保証されている人権や基本権に背くような、決めてはいけないことまで)決めてしまう独裁的なやり方を正当化している。また「維新改革」の中には、改憲して二院制を廃止して一院だけで決められるようにし、改憲の発議の要件を3分の2から過半数に変えて過半数の賛成だけで改憲発議できるようにするなど、決定システムやルールを変えようとするものが含まれている。しかし、肝心なのは何を決めたいのかだ。何でもかんでも早く決まればいい―どっちでもいいからサッサと決めてほしい―といって済まされるものではあるまい。
問題は決めようとする中身なのだ。
野田首相が決めたいと躍起になっているのは消費税増税、TPP、原発の再稼動、普天間基地の辺野古移設など等。
大企業・財界が「一刻も早く」(経団連会長)とせっついているのは消費税増税とTPPと原発再稼動。
アメリカが「早く決めろ」とせっついているのはTPP、辺野古移設など等、
橋本氏が決めようとしているのは大阪都構想、教育基本条例、職員基本条例など等。
これらに反対する人たちから見れば、そんなのは決まらないほうがいいのだ。
多くの国民にとって早く決めて実行してもらいたいと思ってやまないのは、震災の復旧と復興、原発ゼロ、電力の発送分離(送配電部門を別会社化、電力会社の地域独占を廃す)、年金改革(最低保障年金など)、税制改革(消費税など庶民増税ではなく、富裕層・大企業への減税廃止)、派遣法の抜本改革(正社員に戻す)、普天間基地の無条件閉鎖(沖縄基地の縮小・撤去)、農林水産業の再生(食糧自給率の回復)、大企業と中小企業間の公正な取引ルール(下請け単価の切り下げ強要などを無くする)、選挙制度改革(比例代表制に)、政党助成金の廃止、など等。