米沢 長南の声なき声


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3月のつぶやき
2012年03月01日

●とっくの昔に死んだ親父の写真、そんなの載せて、いったい何になる?こんな誰も見てくれない「声なき声」「つぶやき」を発信したところでいったい何になる?
 いいんだ、このコンピュータに当方の言葉・主張・考え・写真が記録として残り、当方がポックリ逝っても遺言・遺影として残る。世界でただ一台のこのパソコンとフラッシュメモリーが永久に記憶しておいてくれるんだ。この俺が、そして親父がこの世に生きた証を。
●米沢での大震災復興祈念式典は大盛会だった。実行委員代表の井上肇、司会進行を務めた新関寧の両君をはじめ企画運営に当たったボランテア米沢の皆さんに「花丸」
●大震災、あっという間に1年経った。が、収束は何年何十年後。試練と苦闘の日々は続くなぁ
『市民の力で東北復興』―井上肇・新関寧コンビが綾部誠氏・丸山弘志氏らと「ボランテア山形」を立ち上げ、本を出した。
 彼らは阪神淡路大震災からボランテア支援活動に取り組んできて、東日本大震災でも発災直後から現在に至るまで米沢を拠点に山形県や米沢市など行政当局とタイアップして支援活動を展開してきた。その活動記録と災害ボランテア論がこの本にまとめられている。実に参考になり、為になる。彼らの旺盛なボランテア精神・企画発案力・行動力は見上げたものだ。学ばせられるよ。
●なんでこんな評論?当方のホームページの評論を貫く考え方はどこから来ているかといえば、それは戦争中に生まれた当方の生まれ育ち、小中学校―父は警察官だったが、夏休みともなれば、リュックサックを背負って汽車・バスを乗り継いで親戚の農家に米をもらいに行かされたし、身体検査や運動会がある度に普段はいていないパンツの工面に辛い思いをした。転勤にともなって転校を繰り返したが、中学になって父は病死し母子家庭になって―その後、どうにか高校・大学を卒業し就職して妻子をもち、定年まで勤めて年金生活、それらの境遇から生まれた感情・意識(つらい思い・惨めな思い・「こんちくしょう」という思い、バカで不器用だから、競争が嫌いで、マイノリティー・「弱い者」の側にいるという意識)からにほかならない。そういう感情・意識から、このような考え方になって、このような評論の論調になっているのだ。
●大阪では君が代起立斉唱条例が決まって、教育基本条例・職員基本条例も決められようとしている。俺のような「そんぴん」(米沢弁で「へそまがり」)は、とても大阪には住めないな。「非国民・非市民」扱いされ、子や孫たちがそこで職員になったとしても最低評価されてクビになるだろうし、学校では自由がなくテスト競争に追い立てられて落伍者にされる。米沢に住んでいてよかった。米沢市長は今のところあんなではなさそうだし、もしもあんなのが市長になったり、市議会であんな条例が制定されたりしたら、ここにも居られなくなってしまうからな。
●道々に見てゆく垣のからたちの棘あらわなる冬去りにけり―親父の短歌


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