米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


ファシズムと民主主義の違い
2012年02月26日

 一般には、民主主義というと、主権在民(民意によって物事を決め、事を運ぶ)、投票、選挙、多数決を考えるが、もう一つの要素は基本的人権の尊重―自由権・平等権など、それに「法の支配」という原則、三権分立の原則もある。
 ファシズムも民主主義も、「多数民意によって物事を決め、事を行う」という点では共通し、投票・選挙で人を選び、多数決で決めるが、多数民意ならすべて正しいとは限らず、多数民意の支持があれば何をやってもいいとは限らない。

 民主主義とファシズムを峻別するキーワードは次の4つ。
①多数民意を背にしての多数の横暴や権力の濫用を防ぐために、民主主義ならば、「チェック&バランス(抑制と均衡)」が考慮され、立法・行政・司法の三権分立だけでなく、政府と地方自治体(地方分権)、間接民主制(議員や首長を選挙して委任)と直接民主制(憲法改正の国民投票、最高裁判所裁判官の国民審査、地方自治体では住民による条例改廃請求、リコール請求、住民投票など)の組み合わせ、二院制、複数政党制、官僚制度(官僚は選挙では選ばれず、政治的中立が原則で、時々の政権や民意に左右されずに、一貫性・継続性を保ちながら行政事務に取り組む)、自治体首長と教育委員会、検事と弁護士、それに使用者(経営者)と労働組合といったものもあって、それぞれが組み合わされ、チェック&バランスがはかられる。その場合、分立する一方で多数を制して政権を握り主導権を握っても、他方では野党その他の方が勢力が優って「ねじれ」が生じ、簡単には思い通り決まらない(決定が遅れがち)といったもどかしさが付きまとうが、一方的に物事が決まってしまうとか、簡単に事が運ばれてしまうようなことはなくなる。
 ところが、ファシズムの場合は、これら分立システムが形式的に分立していても、どれもこれも一党一派の同調者が選ばれたり任命されたりするとチェック&バランスが働かなくなるとか、その分立システム自体が廃止されたり(一院制になるとか、一党制になるとか、教育委員会が廃止されるとか、労働組合を解散させるなど)もして、なんでも思い通り決めて、やってのけられる独裁体制になる。
 圧倒的な多数民意の支持によってそれが可能となるが、その民意が正しいか(正しい判断に基づいているか)どうかが問題―デマゴーグ(扇動政治家)やマスコミなどから煽られることなく、ムードや感情に支配されずに理性的判断ができているか、また正しい知識・情報が(学校教育やメディアによって)充分与えられているか、それが問題。

 民主主義といえば選挙・投票で、自分に投票した有権者の民意だけしか考えず、選挙で圧勝しさえすれば少数意見を無視しても、或は憲法を無視して人権を無視してでも何でもやれると思い込む(選挙絶対主義・多数民意万能主義)、その場合、それはもはや民主主義ではなくファシズムなのだ、ということである。

②「法の支配」(権力者の恣意による支配―「人の支配」―を否定し、治める者も治められる者と同様、法によって拘束)も、民主主義の場合には「自然法の支配」(人間や人間社会の本性に根ざし、あらゆる時代のあらゆる社会を通じて拘束力をもつ)という意味を持つのに対して、ファシズムの場合は、単なる「法治主義」で、形式や手続きがに法令に基づいて適法でありさえすれば権力者は何でもできるという法律万能主義。
③それに民主主義の場合は、自然法に基づく基本的人権(権力による違法・不当な介入・干渉や束縛から各人の自由を保障する権利)の尊重が重視されるが、ファシズムではこれが無視される。
 日本国憲法では基本的人権として、13 条に「個人の尊重」(→プライバシーの尊重)、19条に「思想・良心の自由」、 21条に「集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密」(→個人の政治活動の自由)、23条に「学問の自由」(→教育の自由)、 28条に「勤労者の団結権・団体行動権」(→組合活動の自由)が定められている。ファシズムはこれらを無視・軽視する。
④民主主義の場合は「少数意見の尊重」―議論を尽くして、可能な限り「合意・全会一致に近づける努力」が払われるが、ファシズムの場合は、少数意見は無視するか、審議はしても形式的に済ませて多数決を強行、それのみならず初めから排除。

 ヒトラーとナチス党は、経済恐慌にあえぎ既存政党や労組に不満をもつ中間層や失業者の支持を得て選挙で第一党となった。ところが共産党も躍進したので、それに脅威を感じた経営者団体からの資金支援も得るようになって政権を獲得、国会議事堂放火事件に乗じて共産党議員を排除して基本的人権を停止したうえで総選挙で過半数議席を確保、全権委任法を可決させて独裁権を獲得し、憲法停止、ナチス党以外の政党と労働組合を解散させて一党独裁体制を敷いた。
 これらはすべて多数民意を背景にして形式上、合法的に行われた。

 今、大阪で行われていることは民主主義なのか、それともファシズムなのか?


ホームへ戻る