●注目!9日の山新朝刊の投稿欄「私の主張」に長井市・渋谷善雄「政党助成金を復興資金に」が載っていた。電話で「全く同感!さすが・・・」というと、「先生の教え子だげあんべ」と。
●11日「建国記念の日」ということになっているが、米沢では「雪灯篭祭り」のこの日、市主催(「米沢市都市交流事業」)で姉妹都市の沖縄市長講演会が催された。講演に先だって米沢市長が挨拶、「雪灯篭祭りはそもそも戦争犠牲者の鎮魂の灯を燈し、平和を祈るためのものだ、明治の初期、最後の藩主だった上杉茂憲公が第2代沖縄県令を務めた縁から姉妹都市になっているとのこと。沖縄市長(東門美津子氏)の講演の演題は「75 %の苦悩、0.6%の叫び―日本の形、沖縄の心」というものだった。戦争では唯一の地上戦場になり、県民の4人に一人が犠牲になって戦後67年、沖縄が日本国憲法の下に本土復帰して40年、なのに未だに、日本の国土のわずか0.6%の沖縄に在日米軍基地の75%もが存在し続け、憲法9条よりも日米安保が優先されて、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン・イラク戦争の前線基地になり、様々な危険や被害にさらされ続けている。自分が国会議員だった当時、町村外務大臣に米兵による少女暴行事件をどう考えるかと質問したら、大臣は、「それは米軍の抑止力という存在価値とのバランスで考えなければならない」というような言い方。鳩山首相の「最低でも県外移設」論にせっかく期待したのに「抑止力」を理由に撤回、ところがその抑止力(論)は方便だったという。たとえ在日米軍の存在は必要不可欠だとしても、なぜいつまでも沖縄でなければならないのか。「本土の沖縄化か、沖縄の本土化か」いったいこの国は・・・・といった話しだったが、会場(伝国の杜・置賜文化ホール)の観覧席はあふれ、大会議室(中継録画)まで満席の盛況だった。雪灯篭祭りの賑わいよりも、講演会のこの賑わい、さすが米沢市民というか、米沢市民も捨てたもんでないというか。
●一月前に罹った風邪がまたぶり返した。水鼻と咳と寒気、熱は微熱。医者の検査ではインフルエンザは陰性ということ。小3の孫はインフルエンザで学校を休んだ。今年はかつてない豪雪と冷温に見舞われている。
●自家の前の大通りが渋滞。幼稚園わきの小路に右折して入ろうとした通園バス(園児は乗っていない)が立ち往生し、左側手前と右側向こうに合わせて10台以上が渋滞している。ブルト-ザーが大通りの雪をかいていった後で、小路の入いり口がかいた雪でもり上がって、マイクロバスが乗り越えられずに立ち往生していたのだ。外にいて除雪をしていた女房が見かねて、ちょうど来合わせた婿殿に言って、バスの運転助手と渋滞車から一人だけ降りてきた3人で押してどうにか動かしたとのこと。
女房いわく、「昔はこんな時はみんな車から降りてきて押してくれたものを、どいつもこいつも黙って見で待ってんだから」。