米沢 長南の声なき声


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民主主義と独裁―イシ=ハシズム?(再加筆版)
2011年12月23日

民意―多様性―選挙で大勝したとしても、彼の言説のすべてが支持されたとは限らないし、他候補に投票あるいは棄権した人たちを除いた一部の人たちの限られた民意であって、民意のすべてではない(「民意は我にあり」などと豪語することはできない)。
●国民の政治意識・民度(レベル)―成熟度―未成熟なら情緒的でイメージ先行型に。
                      衆愚政治(大衆が政治家の威勢のいい言葉や扇動や利益誘導に乗せられる民主政治)
民主政治の方法
 ①直接民主制―首長選挙、住民投票・国民投票―民意をストレートに反映
 ②間接民主制―民意は議会(二院)を通ず。
  政党―多党制―様々な民意をすくいあげ、練り上げてから議会や内閣に持っていく。
  官僚(選挙では選ばれない)―行政の継続性・一貫性を保ち、民意にはいちいち左右されない―「公務員は全体の奉仕者」であって、大臣や首長への奉仕者ではないし、大臣・首長の意向や命令が直ちに民意・「民の命令」とはならない。
  これらによって民意は抑制
  これら(多党制・二院・官僚制・住民投票など)は権力の横暴を抑えるブレーキに。
  難点―合意・決定には時間がかかり(なかなか決まらなず)、停滞・対立抗争・迷走(首相がコロコロ替わるなど)―国民に閉塞感・イライラ感―特に国難(国家的危機)に際して―強いリーダーを待望―リーダーシップ(決断力・実行力)に期待―独裁・強権政治をも容認
国民の政治意識―朝日新聞社の12月30日発表の世論調査では
「日本の政治をどの程度信頼しているか」―「まったく信頼していない」15%、「あまり信頼していない」55%、「ある程度信頼している」28%、「大いに信頼している」1%
「いまの日本の政治は、国民の意思をどの程度反映していると思うか」―「まったく反映していない」21%、「あまり反映していない」59%、「ある程度反映している」17%、「大いに反映している」1%
「いまの政治があなたの意思をどの程度反映しているか」
「まったく反映していない」が25%、「あまり反映していない」が59%
、「ある程度反映している」が12%、「大いに反映している」は0%。
 「震災後の政治にどの程度満足しているか」―「どとらかといえば不満」52%、「不満」28%、「どちらかといえば満足」15%、「満足」1%。
 震災復興と原発事故への民主党政権の対応「評価しない」71%、「評価する」25%、
 野党の自民党の対応「評価しない」80%、「評価する」16%.
いまの自民党に政権を任せてよいと思うか」―「任せられない」56%、「任せてよい」30%
政党は全体として、国民のほうを向いていると思うか」―「向いていない」85%、「向いている」10%
政治の責任は、政治家だけでなく、政治家を選んだ有権者にあると思うか」―「有権者にもある」86%、「有権者にはない」12%
「いまの日本の政治をみて、首相には何が求められると思うか」―決断力63%、責任感34%、政策立案力17%、国際性16%、調整力11%、理念11%、発信力8%、庶民性8%、クリーン5%
首相にはだれがふさわしいと思いますか(国会議員かどうかにかかわらず、一人だけあげるとすれば)」―石原慎太郎8%、橋本徹6%、小泉純一郎4%、ビートたけし3%、池上彰3%、東国原2%、小沢一郎2%、孫正義・石破・前原・安倍晋三・枝野・野田・田中真紀子各1%
「これからの日本は、どんなふうに呼ばれる国になってほしいか」―「平和国家」32%、「福祉国家」24%、「経済大国」14%、「環境先進国」11%、「科学技術先進国」8%、「文化国家」5%、「防災先進国」4%
●「独裁」―個人独裁・一党独裁・二党独裁(二大政党制)・大政翼賛会(オール与党)型など諸形態あり
 橋本氏―独裁を容認―「日本の政治の中で一番重要なのは独裁」「独裁と言われるぐらいの力が日本の政治に求められる。政治はやっぱり独裁でなきゃいけない」と。 
  独裁の利点―事態を一気に動かし、改革を断行できる
  仁徳に優れ有能な人物である場合―善政(富裕層に増税し、民衆に分配。特権階級から特権を奪い民衆を助ける)「英雄」として民衆から迎えられ、人気を博する。
  単なるデマゴーグ(煽動家)―敵をつくって叩く(バッシング)、破壊的な言動が大衆にうけて人気を博する。
  弊害―権力の横暴(暴政・圧政)へ―少数意見は排除され、弱い人たちが犠牲にされる。

●その肝心なところは―そのやり方・その政策で市民・国民をいったいどこへ導くのかだ。はたして良いほうへか、悪いほうへか。幸福へか、不幸へか。

●ハシズムorイシ=ハシズム(石原・橋本ライン)は?
  彼らによる教育基本条例は?               
 12月21日両者対談―教育基本条例と職員基本条例で意気投合―教育基本条例は東京都も検討へ、と。
●現在の教育委員会制度には問題があることは確かだ―当初は公選制だったのが、首長による任命制(首長は自分の気に入った人を任命でき、首長の息のかかった人が任命されがち)に変えられてしまっていることなど。ところが、それをもっとストレートに首長の意思が貫かれるようにと、教育目標を首長が決めることを可能とするのが、この教育基本条例。民意を取り入れるのであれば、公選制こそがいちばん望ましいはずなのに。
  このような条例によって戦後民主教育の基本原則である政治(時の権力者)からの教育の独立性・中立性が突き崩されてしまうことになる。
  それに、この教育基本条例と職員基本条例によって、教員や職員は職務命令と5段階評価でがんじがらめに締め付けられ、その専門性や「全体の奉仕者」たる公務員としての信念(良心)に基づく自由裁量権が奪われてしまい、職務上の上司に対しては必要以上に(心象を好くしようと)気を使い(首長の言いなりになり)、生徒・住民に対しては心を通わせた真の教育や住民サービス(そのために日々悪戦苦闘している、それが)ができなくされてしまう。
 それらは権力の横暴を許す結果になる。それは生徒・住民にとっては不幸なこと。
 そのような方向に導かれていく。それこそが重大なことなのだ。
●それにつけても、首相がコロコロ替わり、足を引っ張り合うだけの与野党など既成政党の政治家に嫌気をさしている国民の多くが、今、さっそうとして強烈なリーダーシップを持った人物に引き付けられていることは確か。しかし、鼻っぱしらが強くケンカ言葉上手でありさえすれば誰でもいいというわけにはいかず、どういう志向性もち、国民や市民をどこにもっていこうとしているのか、よく見極めなければならない。やらせてみたら、いつの間にかアメリカのような競争・格差・自己責任社会かつての大日本帝国あるいは今の北朝鮮のような権威主義国家(国旗・国歌での起立斉唱など命令を絶対視する)など変な方向へもっていかれてしまってはたまらない。ヒットラーとムッソリーニの「ベルリン・ローマ枢軸」ならぬ「東京・大阪枢軸」・・・危ない、危ない!


 


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